稲作以前 (NHKブックス 147)

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  • Amazon.co.jp ・本 (316ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140011478

感想・レビュー・書評

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  • 1971年刊行。
    著者は国立民族学博物館教授。

     稲作を核とする農耕システム全てを、大陸から直に、あるいは半島経由で、さらには南西諸島を伝播して継受したのは弥生時代?。日本文化の基底を稲作が構成するとのステレオタイプな見方は本当に正しいのか?。
     日本各地や東・東南アジア、インドの農村でのフィールドワークを経て培われた疑問(このあたりが京大人文科学研究所、つまり今西錦司・梅棹忠夫らの影響か)を基に、縄文農耕に関する先行学説・考古学・文化人類学・民俗学・文献史学など多様な学問的淵源に依拠しつつ、稲作以前の農業を解析する。

     そして農耕儀礼や食性を通じ、稲作日本文化とは別の面に光を当てようと試みる書。
     元より、約半世紀弱前の書籍であり、三内丸山遺跡などの新規の遺跡、分子生物学・環境考古学ほか理系的知見が積み上がる今、例えば稲作伝播における山東半島の各種遺跡を考慮しない本書の古さは否めない。

     しかし、縄文農耕、すなわち非水田稲作=照葉樹林焼畑農耕を考える上で不可欠である国内の焼畑農業が、今やフィールドワークではほぼ調査不可能な中、これを1960年代に実行した著者の実地分析と解説は捨て置けはしない。
     それゆえ本書読破の価値は揺るがないだろう。

     殊に、本書の指摘で印象的なのは、主食に上がる米を常食にしたのは都市部でも精々江戸中期であり、それも通常は麦・雑穀混合な点である。
     ここから推察されるのは、農村や非稲作地域での米食常食は、それこそ戦後以降といっても過言ではないところ。
     ならば弥生時代以降でも2千数百年経過する列島において、稲作のみを農耕文化の基底と捉えるのは明らかに片手落ちと言わざるを得ず、それを如実に反映する具体例が、正月の雑煮の中にコメの餅と共に、嘗ての主食のサトイモを入れる地域が極めて広範な点である。

     これは個人的体験からも十分得心のいく指摘だ。
     ちなみに、この点は「南からの日本文化」他、著者の21世紀での著作にも伺える内容だ。

     加えて印象的なのは、水田稲作の開始=焼畑の停止が齎す社会的影響に関する仮説。インド・東南アジア他でのフィールドワークに基づき、焼畑農耕の持つ共同性・共同作業の不可避性(特に恒常的な森林の伐採作業。儀礼にも共同性が反映)に比し、それと同居する水田稲作(つまり焼畑から水田稲作への過渡期の状態)の持つ農耕作業の個人ないし家族単位での完結性が、(土地の)私的所有概念を亢進させた可能性だ。
     この実地に基づく解釈は容易に成し得る指摘ではない。

     さらに言うと、縄文中期、そして同後期の土器分析の重要性も注目すべき点。
     縄文後期における西南日本の凸型文土器、東北・東日本の亀ヶ岡式土器などが、その使用方法、これに由来する食性。さらに朝鮮半島や南西諸島、さらには北方など他の地域との連関性が文化の伝来を露わにしつつ、その境界もまた露わにするというところ。

     古い書であることを忘れさせる、読み応えのある一書という評も充分首肯できる。

  • 米づくりが伝わったから弥生時代・・・じゃないんだよ

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著者プロフィール

出席者
佐々木高明(前・国立民族学博物館館長/財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構理事長)
野村義一(北海道ウタリ協会前理事長)
榎森 進(東北学院大学教授)
加藤一夫(静岡精華短期大学教授)
常本照樹(北海道大学教授)
大塚和義(国立民族学博物館教授)
尾本惠市(国際日本文化研究センター教授)
吉崎昌一(静修女子大学教授)

「1997年 『アイヌ語が国会に響く』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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