- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784140017197
作品紹介・あらすじ
〔天皇をめぐる近代日本のアイデンティティ〕明治初年から現代に至る近代国民国家(nation state)の形成過程のなかで、「見えざる天皇」は、「身体化された天皇」として群衆の前に姿を現わし、全国巡幸にはじまり、華麗な天皇のページェントや国家的イベントに彩られてあらゆる国民(the people)に、単一の求心的なまなざし(sight)を振り向けていると観念され得る存在となり、やがて"象徴天皇"へとかたちづくられてゆく。"視覚化された天皇"の文化的・社会的・政治的意義は何か。「近代の国民」(citizenry)は如何に生みだされていったのか。本書は、新進気鋭の日系アメリカ人研究者による、犀利な日本論であり、日本の歴史的連続性を相対的な視点から捉えた卓抜な日本研究の書である。
感想・レビュー・書評
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小田博志のテキストの読むべき本である。しかし、フィールドワークの特徴がよくわからない。フジタニが外国人の目から見た天皇の説明のような気がする。これはオーストラリアの作家のプリンセスマサコと同じスタイルである。翻訳だから仕方がないのか、このどれを学生が参考にしてフィールドワークができるのかがすぐにはわかりづらい。
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日本が近代国家を形成していくにあたって、明治政府が様々な公式行事(ページェント)を当時新たに生み出すことを通じて天皇を中心とした新たな国家を構築しようとしていたことが、当時の新聞をはじめとする資料から描かれている。フーコーの規律権力概念を参照とした、天皇とその臣民(国民)の見る/見られるという関係性が丁寧に分析されている。
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20世紀最後の四半期の歴史学的潮流を示す著作のひとつ。フーコーなどの古典とともにP・ノラ、P・ブルデュー、A・ギデンズなどの社会学も援用して、ポスト構造主義的視点から日本の近代・現代を分析する書。
読んでみたところでは、本書の題材である明治維新以後の天皇をめぐる国家的イベントの表象に関し、分析の例証が貧弱である印象をうけた。それは紙幅の都合というのが理由として大きいのかも知れないとは思うものの、やはり題材が題材だけ(分析は抽象的にならざるを得ず、写真・映像の例示が少なければますますそうなる)に残念な感じ。
また「国民」から天皇への眼差し/天皇から「国民」への眼差しの分析の箇所では、フーコーの君主的な権力と規律・訓練の権力の議論を適用しようと試みているが、このフーコーの提示した図式を軸にして日本と西欧の君主権力や国家権力のあり方の比較を試みたりするわけではないため、何とも実のない感じがした。