ヘーゲル 生きてゆく力としての弁証法 (シリーズ・哲学のエッセンス)
- NHK出版 (2004年9月28日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (125ページ)
- / ISBN・EAN: 9784140093061
作品紹介・あらすじ
他者との相克や葛藤に囚われる自分が担う制約・限界を突破し、より大きく広い視野をもつための方途として弁証法を捉え直す。
感想・レビュー・書評
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テーゼに対し、アンチテーゼを取り入れて
ジンテーゼを生む正反合
合意形成を謳っているヘーゲル弁証法は美しいが。
発展や上昇のイメージがありすぎる。 -
青春の蹉跌に惑いながら、ドイツの思想界に登場した際の遅れを論争によって取り戻そうと焦燥感に駆られるかのように、影響を受けた哲学を換骨奪胎することで自らの思想を形成しようとしたヘーゲルは、その思想的な綻びを隠すことなく、性急なまでに体系構想を試みては改造する。そうした概念の労苦の連続のなかで生き延びようと苦闘したヘーゲルの姿である。こうしたイェーナ時代のヘーゲルから、体系期と呼ばれる時期のヘーゲルの著作や講義を照射すると、どのくらい分かりやすく、新しいヘーゲル像を描出できるだろうか、こうした理念で本書は支えられている。
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ヘーゲルの弁証法について、哲学になじみのない読者に向けてわかりやすく解説している本なのですが、あまり説明がこなれていないような印象を受けます。
生命の成長・発展を例に弁証法の説明がなされていますが、読者が弁証法についてのイメージをもつことができるような工夫として受けとればよいのではないかと思います。ただ、同じような説明を採用している本としては、長谷川宏の『新しいヘーゲル』(講談社現代新書)のほうがとっつきやすいのではないでしょうか。
その他、シュルツェの懐疑論に対するヘーゲルの態度について解説しているのは本書の特徴といえるように思います。古代の懐疑論と近代の懐疑論との差異や、『精神現象学』の中の「すべての牛が黒くなる闇夜」ということばが、じつはシェリングではなくシュルツェに対する批判だったのではないかという議論などは、興味深く読みました。 -
シリーズ・哲学のエッセンスを全て読了。最後はヘーゲル。とても分かりやすく、親しみやすかった。弁証法のイメージ、射程が分かった。
・p103:対立し合う要素を考慮しつつ、自らの限界や弱点を自覚した上で、これを生かすようにもってゆくからこそ、調和なのであって、こうした統一的な把握ができるのは「思弁」だという。
・P112:安部公房「明日のない希望よりも、絶望の明日を」 -
・私たちの成長というのは、小さく狭量で、自らの能力を出し切っていない<自分>を、より大きく広い視野を持って、自分の可能性を実現できるように度量を大きくしていくところにある。自己実現といってもよい。ところが、その自己実現とは、今の<自分>をそのまま押し通すことではない。今の<自分>が囚われている制約・限界を超え出て行くことなのだ。その意味では、自己否定を通して自らを形成することになる。ただし、自己否定の契機をもって、それまでの内容がすべて否定されてしまっては、超出にはならない。それに、自己実現とは、自らが本来そうありたい<自分>に気づくことがまず必要で、その本来あるべき<自分>へと帰る営みでもある。したがって、自らが陥っている限界ある<自分>、制約を担った<自分>を否定することが求められることになる。
・何らかのもの<である>ということは、それ以外のもの<でない>ということによって支えられている。
・有限で制約のある認識はそもそも否定されているのであって、制約ある認識が矛盾にまみえることによって否定されることを通して、全体的な制約のない認識を拓いていこうという理路
・存在する事物のそれぞれが、それ自身の自然本来のあり方において、純粋にどのようなものであるかをわれわれは言うことができず、ただ相対関係においてどのようなものとして現れるかを言うことができるだけであろう
・普段の生活を送っている日常的な意識では真理を捉えることはできない。なぜなら、さまざまな事柄を無自覚的に前提して暮らしているからである。~いろんな前提や思い込みの下で、普段の生活を送っている。そうした確信は、時と場合、その場に居合わせる人、さまざまな要因によって制約されているし、違ってくる。したがって、その手の確信は真理だとは言えない。偶然的な確信でしかない。
・知識の進化・発展は、自己意識のなかで、既知の認識を一定の成果として捉えつつも、それを疑うことによって可能になる。その際、単に疑り深い態度で終始しないためには、新たな認識を求めようとする構えが前提されていなければならない。
・教養形成を重ねるごとに、人間本性の調和は分裂を深めざるを得ない近代の宿命
・根源的な自然、傷のない無垢な生への復帰、~帰り来ぬ親しき世界への帰一
・人生行路において、時には途方にくれ、時には出口が見えないなかで、自分にとって否定的なものと出会い、自らを相対化しながら、さらに全体を展望しつつ統一的な把握に向けて進む生き方、~彼方に目指すべき自分を想定しつつ、それに向かって難儀や自己否定を耐え、進んでゆくなら、必ずや地平は拓かれるということ -
ヘーゲルの弁証法が知りたくて、買った本。
3章に分かれてて、丁寧に解説してて読みやすかった。
まだうっすらとではあるが、ヘーゲル弁証法の全体像が少しは分かった気がする。 -
「哲学のエッセンス」シリーズは、ものすごくわかりやすいし、
為になるので大好きです。