- Amazon.co.jp ・本 (179ページ)
- / ISBN・EAN: 9784140883020
作品紹介・あらすじ
多くの人と乗り合わせながら、孤独で自由なひとりの人間に戻れるのが通勤電車。揺れに身を任せ、古今東西の名詩をよめば、日常の底に沈んでしまった詩情がしみじみとたちのぼる。生きることの深い疲労感を、やさしくすくいあげてくれる言葉の世界へ、自らも詩人である編者が誘う。
感想・レビュー・書評
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人生観が変わったとまでは行かないけど、琴線に響くというか心にポツポツ残った。小学校で習うような簡易的なものから一読だけではサッパリなものまで。
「この世を生き抜くためには
挨拶はひとつでいい
『お疲れ』だけで事足りる」
気疲れした心にガンガン響いた。
トーマ・ヒロコ氏の作品にも興味がわいた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
通勤しなくなって10年近くたちました。通勤電車に乗らなくなって25年、通勤バスにも乗らなくなって17年ですね。
朝の気ぜわしいなかにある1時間ほどの「空白」、帰りの「カエルコール」の後の脱力した「空虚」、何となくとりだした新書の中に草野心平とか金時鍾とかみつけると周りを忘れるでしょうね。
見つけるのが20年遅かったアンソロジーでした(笑)。
「ゴジラ老人シマクマ君の日々」というアホブログにも、チョット感想書きました。覗いていただけると嬉しい(笑)
https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202312030000/ -
なんて斬新な!と思いまして。
私の場合は通勤電車ではなく、帰省の列車内のお供としてチョイス。電車×詩とは、意外に相性がよいものだと思った。揺れるリズムや車窓の風景を楽しみながら詩を読むというのは、なかなか心地よいものだった。
「移動あるいは途上の時間は、目的地に着いてしまえば、消えてなくなる。それはこの世のどこにも根を下ろさない、不思議な間としか言えない時間である。」
編者の小池さんが、電車で運ばれるという経験を、まえがきでそのように述べている。本当にその通りであり、そんな時間が好きだからこそ、自分は鉄道に惹かれるのかなと。ただ、収録されている詩は軽く味わえるというものではないので、個人的には、短距離よりは長距離、ロングシートよりはクロスシートで、じっくり噛みしめる内容だなと感じた。
いくつか収録されている、鉄道がテーマの詩が、これまた味わい深い。中原中也、北原白秋、長田弘、パウル・ツェラン、エミリー・ディキンソン…古今東西の詩が幅広く選ばれており、初めて知る詩人も多く、この詩集を手にしなければ出会わなかったであろう作品ばかりだ。何より、各詩に添えられている小池さんの寸評が素晴らしい。
電車内はもちろん、それ以外の場所でも読んでほしい、極上の詩のアンソロジーである。 -
詩人である作者が集めた、様々な作者の詩が41篇はいった詩集。作者がかつて電車の中で多くの詩を読んできたように、詩は電車の中で読むことに非常に適した形態の文学かもしれない、と実際読んでみて思った。ただ、探そうと思うといろんな作者の詩を集めた詩集というのはあんまりないものなので、もっとたくさん出してほしいものだ。
フェルナンデス、言語ジャック、母の死、昨日いらっしってください等が好きだなと思った。 -
詩は、個人の好みが特に強く出る気がする。
あるいは、タイミングもあるのかもしれない。
この本の中でも、ぴんと来なかったものも
理解できなかったものもあった。
心にしみたものもあった。
「しずかな夫婦」は泣きそうになったし、
「母の死」のたんたんとした描写は、かえって手におえないほどの気持ち、悲しみや喪失感や言葉にすらできないような思いがにじみ出てきた。
「賀状」の、遠くなってしまった近かった友達を思う気持ち、はっきりと言葉で表現できないような思いが伝わってくる気がした。
「川がみたくて」は、ふらっとどこかに出かけたくなる気持ちに、とても共感ができた。
詩の良さは、この、言葉で言い切ってしまうとちょっとちがうんだよな、っていう感情を表現できるというところだな、と思った。 -
人気女流詩人が、古今東西の名詩41篇をセレクトし、各編に短いコメント(解説とか鑑賞というほど堅苦しいものではない)を付したアンソロジー。
少し前に読んだ茨木のり子の『詩のこころを読む』の類書である。おそらく小池昌代も、『詩のこころを読む』を十分に意識して本書を編んだことだろう。だからこそ、取り上げられた詩は一篇も同書と重複していない。
最近の若い詩人の作品から、宮沢賢治やエミリー・ディキンソンまでが登場するセレクトは、脈絡がないといえばないし、『詩のこころを読む』よりも古典寄りだ。が、著者が付していくコメントがとても気が利いていてカッコイイので、教科書的な堅苦しさは皆無である。
コメントはそれぞれ400字にも満たない短いものだが、それでもさすがにコメント自体が一篇の詩のようにキマっている。
たとえば、あまりにも有名な北原白秋の「からたちの花」に付されたコメントには、次のような一節がある。
《詩と歌詞は違う。しかし白秋のこの詞を読む時、私は、言葉が、むかし、歌から別れてきたところを、目撃しているような気分になる。》
また、冒頭に置かれた「次の駅まで――はしがきにかえて」という著者の文章も、一篇の詩として味わうことができる。これも一節を引こう。
《詩を読む態度として必要なのは、その詩を理解しようとか解釈しようとか説明しようというものではなく、その一篇に、丸裸の心を差し出し、その一篇と踊る用意があるかどうかという、それだけだ。》 -
20160507
これまで国語の授業でしか詩に触れたことがなかった私には少々難解でした。なにこれ!意味わかんない!の連続でしたが、時々「ほぉ」と感じる詩に出会うと、言葉は時に感情を超えてくるのだと思わずにはいられませんでした。
好きになった詩
「うたを うたうとき」
「胸の泉に」
「賀状」
「駅へ行く道」
「昨日いらつしつて下さい」 -
まさしく通勤電車内でさくっと読めてしまった。
日本人だけではなく、海外の詩人による詩も集められていて、飽きない。
詩の入門書となる一冊。 -
携帯をいじったり、目をつむったり。多くの人と乗り合わせながら、自分だけの孤独で自由な世界を持つ。電車というのは、不思議な空間だ。
そんな空間で、詩集を読むということ、
言葉と出会うということを提案するのがこの詩集である。
電車の揺れに合わせて、詩の言葉は私の心にしみ込んでくる。
ウンベルト・サバ「ぼくの娘に聞かせる小さい物語」
天野忠「しずかな夫婦」
白石かずこ「池(pond)」
が特に好きだ。