ゼロからの『資本論』 (NHK出版新書 690)

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  • NHK出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140886908

作品紹介・あらすじ

コミュニズムが不可能だなんて誰が言った?

『資本論』は誰もがその存在を知りながら、難解・長大なためにほとんど誰もが読み通せない。この状況を打破するのが斎藤幸平――新しい『資本論』解釈で世界を驚かせ、『人新世の「資本論」』で日本の読者を得た――、話題の俊英だ。マルクスの手稿研究で見出した「物質代謝」という観点から、世界史的な名著『資本論』のエッセンスを、その現代的な意義とともにていねいに解説する。大好評だった『NHK100分de名著 カール・マルクス『資本論』』に大量加筆し、新・マルクス=エンゲルス全集(MEGA)の編集経験を踏まえて、“資本主義後”のユートピアの構想者としてマルクスを描き出す。最新の解説書にして究極の『資本論』入門書!

感想・レビュー・書評

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  • 【まとめ】
    1 資本論の成り立ち
    人間は、ほかの生き物と同様に、絶えず自然に働きかけ、様々な物を生み出しながら生を営んできた。家、洋服、食べ物などを得るために、人間は積極的に自然に働きかけ、その姿を変容し、自らの欲求を満たしていく。こうした自然と人間との相互作用を、マルクスは生理学の用語を用いて、「人間と自然との物質代謝」と呼んだ。
    「物質代謝」とは元来は化学・生理学の用語で、「生体に取り込まれた物質が、多様な化学変化を経て、異なった物質となって体外に排出される過程」を指す言葉。どんな時代にも人間は、労働を通じて自然と物質代謝を行ってきた。

    空気や水の豊かさといった、貨幣だけでは計測できない、一人ひとりが豊かに生きるための物、それを「社会の富」と呼ぶ。
    マルクスは、そうした社会の富が、資本主義経済では次々と「商品」に姿を変えていくと論じている。お金を出せば、いつでも何でも手に入るようになったことで、私たちの暮らしは「豊かになった」ようにも見える。しかし、かつてのコモンだった「社会の富」が、商品化によって資本を持つ者に独占され、社会の富の潤沢さとしてはむしろ「貧しくなっている」ことを、マルクスは一貫して問題視している。

    現代資本主義では、労働が「人間の欲求を満たす」ためのものから「資本を増やす」ためのものに変わってしまった。マルクスは商品には「使用価値(有用性)」と「価値(労働投入量から算出される純粋価値)」の2つがあると言っている。資本主義のもとでは後者ばかりが優先されてしまい、その結果モノに振り回され、モノに支配されている。
    資本主義のもとでは、「価値」を増やすことが生産活動の最優先事項であり、「使用価値」はないがしろにされる。こうした「使用価値と価値の対立」、「富と商品の対立」が、人間にも自然にも破壊的な帰結をもたらすと、マルクスは警告している。

    大勢の人々が富へのアクセスを失うような状況を意図的に作り出すことで、一部の企業や富裕層はますますお金を貯め込んでいる。この対立と格差を生み出し、拡大し続けているのが、「資本主義的生産様式」つまり、価値を増やし、資本を増やすことを目的とする商品生産の特徴である。格差を始めとした社会問題を、個人の問題というより社会構造の問題だと指摘するのが、『資本論』なのだ。


    2 労働時間の延長による絶対的剰余価値の増加
    マルクスは、資本はお金や物ではなく「運動」と定義した。
    どんな運動かというと、絶えず価値を増やしながら自己増殖していく運動だ。この運動を「G-W-G’(ゲー・ヴェー・ゲー)」という式で表し、マルクスはこれを「資本の一般的定式」と呼んだ。Gはドイツ語で貨幣を意味するGeld、Wは商品を意味するWareの頭文字だ。
    資本主義社会では、元手となるお金で靴を作って販売し、手にしたお金でまた靴を作る。それが売れたら、さらに売れそうな靴作りに、手元のお金を投じる。そして最初のGに儲けが上乗せされたG’が生み出される。資本主義とは金儲けの運動なのだ。

    G’の値を増やす手っ取り早い方法は、給料を増やさずに1日の労働時間を増やすことだ。労働時間を延ばして労せず手にした追加の剰余価値を、マルクスは「絶対的剰余価値」と呼び、労働時間の延長が絶対的剰余価値を生産すると指摘している。

    なぜそんな状態になっても労働者は逃げられないのか。それは、資本主義が「自由」であるからだ。奴隷や身分制のような不自由から開放された私たちは、同時に、生産手段からもフリーになった。その結果大半の人は自給自足できず、共同体からも扶助を受けることができない。そんな不安定な環境の中で売れるのは自分の労働力しかない。
    労働者を突き動かしているのは、「仕事を失ったら生活できなくなる」という恐怖よりも、「自分で選んで、自発的に働いているのだ」という自負である。だからこそ、「職務をまっとうしなくては」という責任感が生じてくる。自己責任の感情をもって仕事に取り組む労働者は、無理やり働かされている奴隷よりもよく働くし、いい仕事をする。そして、ミスをしたら自分を責める。理不尽な命令さえも受け入れて、自分を追い詰めてしまう。これは資本家にとって、願ってもないことだろう。資本家にとって都合のいいメンタリティを、労働者が自ら内面化することで、資本の論理に取り込まれていく。政治学者の白井聡は、これを「魂の包摂」と呼んだ。

    マルクスは、解決策として賃上げよりも「労働日の制限(短縮)」が重要だと指摘している。資本家が賃上げ要求を呑めば、たしかに搾取は緩和される。しかし、資本の論理に包摂された資本主義社会の労働者は、「では、我々は頑張って働きます!」と言い始めることになる。これは、むしろ企業にとって都合のいい展開だ。賃金を少しばかり上げて、その代わりに長時間労働もいとわず「自発的に」頑張ってくれるならば、剰余価値(資本家の儲け)は、かえって増えるかもしれないからだ。


    3 イノベーションによる相対的剰余価値の増加
    イノベーションにより商品が効率的に生産されるようになれば、今まで価値の高かった商品が安く売られることになり、そこに注ぎ込まれた労働そのものが安くなる。生産力が上がって安く生活できるようになっただけで、この労働者が一時間の労働で生み出す価値は変わらない。このように、労働力価値の低下によって生み出される剰余価値を、マルクスは「相対的剰余価値」と呼んでいる。

    生産力の増大を手放しで喜べない理由はほかにもある。それが「相対的過剰人口」の問題だ。
    機械化が進んで生産力が2倍になれば、同じ商品を製造するのに必要な労働者数は半分になる。景気がよくて「よし、生産規模も2倍にしよう」という話になれば別だが、社会の需要は有限で、どこかで必ず頭打ちになる。そうなれば労働者たちは資本にとって不要になる。特に、低経済成長が続く今の日本のような状況でさらに生産力が上がれば、企業は容赦なくリストラを進めて、コストカットしようとするだろう。すると、労働市場には、資本の需要に対して「相対的に過剰」な労働者があふれ、買い手優位の状況が生まれる。工場の外に「とにかく仕事を下さい」という人が増えれば、工場の中にいる労働者は必死になってますます長く働き、さらに生産性が上がり、さらに相対的過剰人口を増やす結果となる。


    4 コミュニズムは可能なのか?
    現存した「社会主義国家」とは、生産手段の国有化を通じ、資本家に取って代わって、官僚が労働者の剰余価値を搾取していく経済システムにすぎなかった。
    20世紀を代表するマルクス主義社会学者のイマニュエル・ウォーラーステインは次のように指摘した。
    ――資本主義が「世界システム」として成立してしまっているなかで、ソ連や中国、アフリカの国々が目指したことは、資本主義を別のやり方で発展させ、近代化と経済成長を推し進めることにほかならなかった。
    実際、それらの国には、商品も、貨幣も、資本もあって、労働者の搾取も行われていた。そのため、20世紀に社会主義を掲げた国の実態は、労働者のための社会主義とは呼べない単なる独裁体制にすぎなかった。それは、資本家の代わりに党と官僚が経済を牛耳る「国家資本主義」だったのだ。

    生産手段や生産物の私的所有こそが、資本主義の基礎をなす本質的特徴であり、私的所有を廃棄しさえすれば社会主義に移行できる、という考え方は根強い。しかし、国有化を推し進めたとしても、労働者は、資本を増やすために過酷な条件で搾取され、市場では大量の商品が貨幣によってやりとりされ続ける。

    この問題を解決し資本主義を乗り越えるためには、搾取のない自由な労働のあり方を生み出すことが必要である。

    ヒントは福祉国家で見られる「脱商品化」だ。つまり、生活に必要な財(住居、公園)やサービス(教育、医療、公共交通機関)が無償でアクセスできるようになればなるほど、脱商品化は進んでいく。これらの財やサービスは、必要とする人に対して、市場で貨幣を使うことなく、直接に医療や教育といった形で現物給付される。現物給付の結果、私たちは、貨幣を手に入れるために働く必要が弱まる。福祉国家は、もちろん資本主義国家です。けれども、脱商品化によって、物象化の力にブレーキを掛けているのがわかるだろう。

    ソ連も教育や医療を無償化していたが、ソ連で先行したのは国有化だった。反対に、福祉国家で先行したのは物象化の力を抑えるための社会運動であり、マルクスはこれを「アソシエーション」と呼んだ。労働組合、協同組合、NGO、NPO、社会保険、公共医療といった、人々の自発的な相互扶助や連帯を基礎とした民主的社会である。

    晩年のマルクスは共同体に注目していた。それは、資本主義とは全く異なる仕方での人間と自然の物質代謝の営みがあったからだ。共同体は「伝統」に依拠しており、共同体では、「富」が一部の人に偏ったり、奪い合いになったりしないよう、生産規模や、個人所有できる財産に強い規制をかけていた。こうすることで、人口や資本、生産や消費の総量が変わらないまま推移する「定常型経済」を実現していた。また、遠方との交易も限定されているため、自給自足に近い形で、「循環型経済」を実現していた。飛躍的な生産力の増大も、土壌を疲弊させることもなく、自然に必要以上の負荷をかけることもなかった。

    マルクスは、社会の富が商品として現れないように、みんなでシェアして、自治管理していく、平等で持続可能な定常型経済社会を構想していた。その際、どのように富をコモンとしてシェアするかというと、
    ・各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて!
    である。
    コミュニズムは贈与の世界と言ってもいい。等価交換を求めない「贈与」、つまり、自分の能力や時間を活かして、コミュニティに貢献し、互いに支え合う社会。もちろん、「贈与」といっても差し出してばかりではなく、逆に自分が必要なものは、どんどん受け取ればいい。そうやって、生活に必要な食料や土地、道具、さらには知識などの富が持つ豊かさを分かち合いの実践を通じて、シェアしていこうということだ。
    脱商品化を進めて「コモン」を増やし、労働者協同組合や労働組合によって私的労働を制限していく。そして、無限の経済成長を優先する社会から、人々のニーズを満たすための、使用価値を重視する社会へと転換する。マルクスはコモンの領域を増やすことで、豊かな社会を作り上げようとしたのだ。

  • 斎藤さんの本は3冊目。自分が冊数を重ねたからなのか、本書が一番よく理解できた(と同時に、これまでと同じ話も多い)。
    著者の作品を読む度、資本主義での生活に辟易してきたのだけど、今回は何故か、今の自分の環境ってそんなに悪くないかもと思うに至った。
    確かに私達は、「構想と実行」が分けられた世界に生きている。しかし、それらは完全に分離されている訳ではなく、ある程度オーバーラップしている職業の方が多いのではないだろうか。
    つまりそこに、自分なりの工夫ができる余地があり、故に人々は労働にやりがいを見出しているのではないか。

    また、これは表現の問題だが、本書で「まずいコンビニ弁当」と「給食センターで作られるまずい給食」が出てくるが、私が知っているやつはどちらも美味しいし、愛情持って作っている方々を思うと、悲しい気持ちになった。

    1冊目の時はコミュニズムを桃源郷のように感じたが、これは性善説でしか成り立ないのではないかと思う。
    自分は何も貢献せず、得たいものだけ得るフリーライダーが多い場合、コミュニズムは破綻する。何故ならコミュニズムの前提はGive&Takeだからだ。
    そう考えると、農村の集落はコミュニズムに近いのかもしれない。故に、集落での暮らしをイメージすれば、コミュニズムの良し悪しも見えてくる。
    それは私達にとって理想的な社会なのだろうか。憧れの田舎暮らしで「思ったのと違う」と言う人が結構いることを考えると、資本主義のドライな感じも悪くないのかもしれないとも思う。
    私は地方出身なので、田舎暮らしも結構好きだけど。

  • 資本主義が魂まで染め上げてしまった
    私たちの生活、人生がヤバい。
    それは実感も一部伴って共感できます。
    俺たちよりも、次の世代が「幸うすい」人生を
    描いているなんて、我慢しがたい!

    その先を考える材料として
    著者は資本論ラブを主張されるのですが、
    やっぱ、資本論を手に取ったところで
    世の中をマシな方向に向ける発想や
    まして行動なんて
    発生しないと思う。

  • 『人新世の「資本論」 』を読んだ時もだけど
    とてもわかりやすく説明してくれて
    仰りたいことはわかります。
    でもこれを実現するとなると、
    すごく大変なことじゃないかと。

    「構想と実行の分離」という言葉がありました。
    斎藤幸平さんは構想する人として素晴らしい。
    実行できる人はいるのでしょうか?

  • 今、自分が一番興味のある「労働」について書かれていてとても面白かった。
    なぜここまで長時間労働が蔓延するのか?そのカラクリが分かりやすく説明されていて、ひとつひとつ腑に落ちた。

    資本主義社会では労働者は自発的な責任感や向上心、主体性を強いられるため残業も厭わず働き続ける。
    それは構想する仕事と実行する仕事を分業化したことに起因している。

    労働者が富を取り戻すためには賃上げより労働時間を短縮すべきという考え方も興味深い。

  • マルクス=社会主義=ソ連、北朝鮮とか中国で、ヤバいんじゃないの?という印象を変えてくれた。 これらの国々は、労働者が搾取されているという点では資本主義とは変わらないということ。 マルクスの想定したユートピアの実現には程遠いが、まずは現実と理想を知ることが大切。

  • 資本主義がもたらした弊害について、なるほど、と感じた。一方で、資本論をもとに著者が考える世界への転換について、魅力は感じなかった。その世界では、おそらく皆が善人でなければならないこと、煩わしい人間関係が必須であること等、ユートピアを維持する方向性を想像してしまうと、げんなりした。その感覚も、資本主義がもたらした弊害なのかもしれないが…。

  • 「マルクス=社会主義」ではなく、資本主義の問題点である物象化からの脱却を、コミュニティやアソシエーションによる互助によりコモンの回復を図るための考察。
    自然をぶち壊し、べらぼうな格差社会を生み出した現在の資本主義が、とうに限界に達していることちついては疑いの余地がない。

  • 資本主義の本。さすがで、とてもわかりやすくて面白い。

    メモ
    ・資本主義とはあらゆるものが商品となり富の対価とされるということ。
    ・商品にするために自然に働きかける行為が労働
    ・資本主義以前は人間の欲求を満たすために労働があった。資本主義以降は資本を増やすことが目的となった
    ・価値のためにものをつくる現在はものに振り回される形に。使用価値のためにものをつくっていた時代は人間がモノを使っていた
    ・資本とは金儲けの運動
    ・自己責任の感情を持って取り組む労働者は無理やり働かせられる奴隷よりもよく働くが、自分を追い詰めてしまう
    ・ギルドのようなモノが分解され個別化すること手間、搾取なども行われやすくなる。資本家に自由に差配されてしまうように
    ・構想と実行の分離
    ・社会主義は国家資本主義
    ・必要な財やサービスが無償でアクセスできるようになればなるほど、脱商品化は進んでいく。

  • わかりやすい。マルクスやコミュニズムについて、私は誤解していたみたい。今さらですが、そのことに気づけて良かったし、新しい資本主義と謳われる時代に、資本主義を超えた思想について学べてよかった。

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著者プロフィール

1987年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科准教授。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。専門は経済思想、社会思想。Karl Marxʼs Ecosocialism:Capital, Nature, and the Unfinished Critique of Political Economy (邦訳『大洪水の前に』)によって権威ある「ドイッチャー記念賞」を日本人初歴代最年少で受賞。著書に『人新世の「資本論」 』(集英社新書)などがある。

「2022年 『撤退論 歴史のパラダイム転換にむけて』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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