- Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
- / ISBN・EAN: 9784140912775
作品紹介・あらすじ
武力だけでは権力を維持できなかった。正統性なき政権の、支配の正当性とは何か。
700年におよぶ”武士の政権”について、私たちはどれほど本当に知っているだろうか。「清和源氏でなければ征夷大将軍になれなかった」「”鎌倉幕府”は後世の学術用語で、当時は使われていなかった」などの数々の誤解を正すところから始め、古典から最前線までの学説も総括。「京都を食糧で満たす」ことが正当性の根拠となった古代の「都市王権」から、「法の支配」も意識された鎌倉・室町期を経て、「伝統としての権力」が強調される江戸時代までをたどりながら、支配の正当性がその折々にどうアップデートされてきたのかを、歴史学・政治学・社会学・哲学の垣根を越えて描き出す。日本史を見る眼が一変する、かつてないスケールの歴史書!
感想・レビュー・書評
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幕府の正当性について考察した歴史書である。都市王権、もっとあからさまに言えば都市民を食べさせることに注目する。
『応仁記』は公家も武家も庶民も奢侈を好んだことを応仁の乱の原因とする。人々が華麗さを好むと万民が苦しむという関係になっている。贅沢や飽食は世を乱す。人々が金を浪費し、華麗なものに執着することが社会の安定と経済の発展を妨げる。無駄に金を使って金を回すことが経済発展という昭和の感覚を否定する。
足利義政は土木事業を頻繁に起こし、天皇に叱責された。多数説は天皇を支持し、義政の悪政と評価する。これに対して少数説は、貧民に職を与える雇用創出事業であったと積極的に評価する。しかし、「大規模土木事業を興し、雇用を創出すればするほど、窮民を京都に集める結果となる」(227頁)。
後の豊臣秀吉も大規模普請によって雇用創出を図った。しかし、劣悪な労働条件のために負傷して働けなくなり、乞食になった人々が京に充満した。「雇用創出の理想とは逆の結果も生まれた」(289頁)。
足利義政と豊臣秀吉の事例から大規模な土木事業が雇用を創出する面があるものの、その結果として窮民が京都に集まり、劣悪な労働条件下で働くことを余儀なくされた。金を回すことが経済発展とはならない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
<目次>
第1章 平家政権と「いくつもの幕府」
第2章 鎌倉幕府、正しくは東関幕府~正統性なき北条氏の正当性
第3章 足利将軍家の時代~二つの変動期と正当性の変容
第4章 織豊政権~近世の始動と中世の終焉
第5章 江戸幕府は完成形なのか~生存の近世化
<内容>
「幕府」について、副題のように「正当性」を問いながら、学説の流れをまとめていったもの。むろん、自説の主張のために打破していくだが、その筆致の圧力がすごい。言い方を変えると口が悪い。コテコテの関西人だと思う書き方だ。その論理は筋が通っている。基本、中世の泰斗、佐藤進一説推しである。 -
東2法経図・6F開架:210.4A/H55b//K
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第1章 平家政権といくつもの幕府(幕府をめぐる基礎知識/平家政権をどう捉えるか)/第2章 鎌倉幕府、正しくは東関幕府ー正統性なき北条氏の正当性(都市王権と武力ー一一八六年、鎌倉幕府誕生の前提1/義経の結婚ー一一八六年、鎌倉幕府誕生の前提2/正当性の更新と「幕府」呼称の誕生)/第3章 足利将軍家の時代ー二つの変動期と正当性の変容(鎌倉末期~南北朝期の転換/統治権的支配とは何かー足利将軍家の正当性/足利将軍家の正当性の推移/足利政権中期の正当性の変化/物流構造の変動と転換期としての十五世紀後半/戦国大名と「公儀」の行方)/第4章 織豊政権ー近世の始動と中世の終焉(近世の始動と中世の終焉/中世の黄昏としての織田政権/豊臣政権と中世の否定)/第5章 江戸幕府は完成形なのかー生存の近世化(生存の近世化という視点/正当性から正統性ー家康の神格化と近代天皇制の創出/曲がり角としての一六八〇年代/幕府と「被災者」救済ー正当性の行方)
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支配の正当性の観点から武家政権を描き直す内容。個々の内容には興味深い点もあったが、総じて著者の見解がそれほど説得的とは思えず、強い自己顕彰の側面と、他研究者に対する傲慢な姿勢も相まって読むのに多大なストレスを感じた。読まなければ良かったと思うほどの不快な読後感を持ったのは近年ちょっと記憶に無い。研究者ではない身として内容の是非判断は難しいが、こうした見識下での立論にどこまで信を置けるかとなると、かなり厳しい。