現実とは?: 脳と意識とテクノロジーの未来 (ハヤカワ新書)

著者 :
  • 早川書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784153400047

作品紹介・あらすじ

「現実」って何? この当たり前すぎる問いに、解剖学者、言語学者、メタバース専門家、能楽師など各界の俊英が出した八者八様の答えとは。あなたの脳をあらゆる角度から刺激し、つらくて苦しいことも多い「現実」をゆたかにするヒントを提供する知の冒険の書

感想・レビュー・書評

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  • 科学者や能楽師などに現実とはというテーマで対談したもの 外と中の世界

  • VR、ARなどXRが盛んな昨今、現実とは何か、という新たな問いに対して広い分野で「現実」という捉えどころのないものについて語る、という内容であった。

    技術が進歩し、人間が制御可能な分野が広がるにつれて、いままで自然から与えられたものに対しての思想、倫理が問いただされる、ということは過去多く存在する。

    錯視、錯覚が示すように人間が感覚機関を通じて得られる情報が全てこの世界を投影しているわけではない。
    人間が進化の産物で生存のために獲得した、最適化されたフィルターを通して情報を歪ませ、取捨選択を行っている

    それは人の話す言語、育った環境、などさまざまに由来する。10人いれば10通りの現実が存在する

    画一された現実というものはもはや人間が語り得るものではなく、誰の意識にも存在して、どこにも存在しないものなのではないだろうか

  • 現実の捉え方について考えを深められた

    自分の身体を通して感じたことをどのように解釈するか、そのプロセス含めて現実となる
    身体状況や知覚能力などの能力面、物事の捉え方といった文化的側面は個々人それぞれであるため各人の現実派異なったものとなる
    その現実を表現する際の言語も知覚したものの内、解釈し分類した結果の言語化が行えたもののみ表現可能なため、言語で共有できるものは全体のごくわずかとなる
    脳内の言語化前のイメージが共有できるようになると世界は広がる可能性もあるがハレーションが起こる可能性もあるのではないか

  • 系・院推薦図書 3系(情報・知能工学系)
    【配架場所】 図・3F開架 
    【請求記号】 491.37||FU
    【OPACへのリンク】
    https://opac.lib.tut.ac.jp/opac/volume/468258

  • ▼東京大学附属図書館の所蔵状況(UTokyo OPAC)https://opac.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/opac/opac_link/bibid/2003664983

  • 現実の本質を問う対談集。私たちは独自の現実を感じ、その一部を共有するのみ。特にAR技術の発展で「現実」の定義に疑問が。この著作は多角的な視点で考察を深める手引き。続編に期待し、10年後の「現実」の意味が変わるのではと予感。

  • 現実について著者に多様な専門家との対談をまとめた一冊。日常生活であまりにも当たり前に受け入れらているが故に改めて考えると全く掴めない「現実」という概念。私たちはそれぞれに自分の認知の上に自分だけの現実を立ち上げ、そのわずかな重なりの部分を言語などを通して通じ合う。このような人間の変わらない本質的な性質は古代の神話から、最新の情報技術まで語り継がれている。

  • p18 百聞は一見にしかず 下の句がある トーマス・フラー
    Seeing is believing, but feeling is the truth.

    p161
    デジタルだけなレベてもリアリティは生まれないというのは、いわゆるシンボルグラウンディング(記号接地)問題だと思うんです


    ジョン・サール 中国語の部屋
    中国語が全くわからない人を部屋に閉じ込め、文法書と辞書を与えて全部覚えさせたとしましょう。さて、その人が中国語のテストに合格して外に出られるようになったとき、この人は中国語を話せるのかというと話せません。それは、この人が中国語を記号として覚えていても、その記号ひとつひとつが、身体に結びついていなからです。つまり、抽象的な言葉の操作ができるようになるためには、言葉を伴う身体経験がある程度必要印なるんです。


    p174 わたしたちは、記憶というものは安定したものであり、微妙に細部を忘れたりするかもしれないけれども、本質的には古く固定されたものだと考えている。しかし、実はそうではない。記憶が、不確かで実に曖昧なものだというのはさまざまな認知課題で明らかにされている。ということは連続して存在し続けているはずの「わたし」というのも、いまここにしか存在しないということんある。5秒前のわたしと、いまのわたし、5秒後のわたしは厳密に言うと異なっている。しかし、わたしはわたしの中で連続したわたしのままなのである

    p176 つまり、現実は時々刻々変化している

    p186 ユヴァル・ノア・ハラリはサピエンス全史のなかで、人間が人間たるゆえんは虚構をシェアして共通認識としてもちあることができることだと書いています。それによって人間は統率され、ほかの動物よりも優位にたてたと。

    p187 シミュレーションができれば物事を理解したと言っていい

    p212 能をご覧になると、よく寝ちゃう人がいるんですよね。特に舞の部分で。何もないので。でも、舞を習ったことがある人は寝ないんですよ。なぜかというとm,舞台で舞っている人の視点を感じるからです。そうすると、舞台の舞手と自分の内的な身体感覚が一致するんですね


    鈴木大拙 アイデア(観念)の対置語としてリアリティを挙げている 近頃の文化人は観念には優れているが、リアリティから遠ざかっていると

    p234 ラカン 人間にとっての世界を象徴界、想像界、現実界の3つに分けている。 象徴界はシンボルが支配している世界、つまり人間がつくった言語や数字というツールや記号によって理解されている世界 想像界 言語されていないイメージの世界 現実界 そのどちらでもない

    p239 さわるというのは一方的で、一般の物体に対する接触
    それに対し、人間に対する接触には通常ふれるの方を使います。;すれるは双方向的で、自分の接触のパターンを接触されている相手の反応を通して微調整し続けることを指すからです。例えば、こう接触したらこの人は緊張するかなとか、ここだったら大丈夫かなと探っている

  • 若い頃に「唯脳論」を読んでいたせいか、自分の現実感も養老先生の影響を受けていることを再認識しました。
    また、本書から発想が飛躍して、SF小説の「都市と都市」を思い出しもしました。あれは異なる都市がモザイク状に重なっているという設定だったと記憶していますが、そのような設定を可能にする「現実感の操作」も、いつかテクノロジィによって実現するのかもしれません。
    そして、「すべてがFになる」からの引用を見て、そういえば森博嗣さんも「現実とは何か」について一家言ある人であったことも思い出しました。

  • 複数の方が語る「現実とは何か」に対する答え。
    現実って客観的なものではなく主観的にしか存在しないものなのかもしれないと感じました。

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著者プロフィール

理化学研究所脳科学総合センター適応知性研究チーム・チームリーダー/適応知性および社会的脳機能解明が研究テーマ

「2014年 『談 no.99』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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