水滴

著者 :
  • 文藝春秋
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本棚登録 : 192
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  • Amazon.co.jp ・本 (188ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163172804

作品紹介・あらすじ

ある日、右足が腫れて水があふれ出た。夜な夜なそれを飲みにくるのは誰か?沖縄を舞台に過去と現在が交錯する、奇想天外な物語!芥川賞受賞作。

感想・レビュー・書評

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  •  
    ── 目取 真俊《水滴 1997‥‥ 19970901 文藝春秋》
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4163172807
     
    (20231128)

  • 「ある日、右足が腫れて水があふれ出た。夜な夜なそれを飲みにくるのは誰か?沖縄を舞台に過去と現在が交錯する、奇想天外な物語!芥川賞受賞作。」

    「舞台は沖縄。徳正の足は冬瓜のように膨らみ、親指の先が破れて間断なく水がしたたり落ちている。夜になると、重症を負った日本平たちが壁から現れる。ベッドの横に列をつくり、徳正の足の指からしたたる水に口をつける。
     かつて徳正は艦砲射撃によって腹部に被弾した負傷者たちを、自然壕に置き去りにした。徳正は悟る。夜事現れる亡霊はあの時壕に残された者なのだ。
     徳正は沖縄戦について話す「語り部」をしている。でもずっと後ろめたさがあった。徳正はベッドの上で、これまでごまかしてきた記憶と、死ぬまで向かい合わねばならないという恐怖を味わっていた。だが相手は17歳の姿のままだ。ふいに徳正の中に怒りがわいた。「この50年の哀れ、お前が分かるか」」
    (『いつか君に出会ってほしい本』田村文著 の紹介より)

  • 2023.06.21 図書館

  • 表題作のみ読了。

    沖縄言葉(と呼ぶのが正確かよくわからない)がふんだんに用いられていて、
    でも読みづらさはなく、物語の雰囲気に呑まれた。

    朝ドラの『ちむどんどん』でよく使われていた、
    「アッキサミヨウ」が「呆気さみよう」と書かれていて、
    漢字を当てるとこうなのか、と驚いた。
    他にも今まで漢字を当てられているのを見たことがない言葉がいくつもあって、
    新鮮だった。

  • 五十年も昔、仲間を裏切ったことへの罪悪感がこの奇妙な病として表れたのか。
    急に原因不明の冬瓜のように腫れた足をかかえ意志疎通できない寝たきりになった男。
    そして夜な夜な沖縄戦で犠牲になった仲間の日本兵たちが足から染み出てくる水を飲みにやってくる。その中に、同郷で友だった石嶺が現れるようになる。石嶺に足を吸われ男はエクスタシーを感じてしまう。生死の境は、子孫を残そうと生殖本能が起きると聞きかじったことがある。必ずしも性愛があったわけではないと思うけど、石嶺は美しいもののような形容のされかたをしている。そこには赦しを求める者として神聖視しているのかもしれない。
    羅生門の醜女のようなキャラの従兄弟も含めて、芥川賞っぽいなぁと感じた。

    同録『風音』の方が引き込まれた。こちらも沖縄、戦時中の回想と戦後が入り交じる構成。各々が一人の風葬された若い兵士と関係する人物だったという、真実が少しずつ明らかになっていくお話で、一気に読めた。鳥葬ではなく蟹…そうだ蟹の眼って飛び出てるんだったと想像してゾッとした…。
    死んだ若い兵士は美しく、表題よりこちらのほうが匂い系だった。ノンフィクションとも幻想的ともいえるので、戦争ものと気負わず、その描写力を堪能して欲しい。
    (リトルモア版「風音」とは内容違うらしい)

    私の祖父も戦争体験者で、防空壕で敵からガス攻撃されたとき、たまたま側に隙間があったから生き延びられたと。いまの子供たちは、身近にそういう方たちがいないんだなぁ。平和な未来を願っていた祖先と、かなり解離した日本の平和ボケというのは、今この世界の中でみると少し恐ろしいような居心地の悪さを感じる。もちろん世界中が争いのない平和ボケになれば良いのだけど。

  • 水を使うと神秘的なイメージになる。でも、それだけじゃなかった。戦争は生き残ったものの気持ちもまえに進めなくする。滞っていた心の思いとか、叫びみたいなのをうまく使ってるのかなと思った。それに、沖縄の言葉は本気で何をいっているのかわかりません。

  • 表題作の「水滴」、続く「風音」は、戦時中の沖縄を思い返し、現代に生き残った者が何かをする、という話しの構造になっている。構造は同じだが、展開は全く異なる。
    「水滴」はまず全体的に短く、寓話っぽく、悲しいのにどこか可笑しく思えてしまう。最後には勧善懲悪な要素もある。しかしこれが賞を受賞したというのは、不思議というか、珍しいこともあるのだな、という印象が拭えない。
    「風音」の方が、現代と、戦時中との差別化が出来ているのに、その距離というものが近くに描かれ、人物の内面が各々、スポットライトの当たり方によって強弱はあるが、描かれていたし、政治的(正しくは金絡みの問題)でもあった。二篇とも、重く、生き残った者たちの悲しみと息苦しさが、沖縄の言葉でもって、濃く描かれていた。

    三篇目の「オキナワン・ブック・レビュー」は、実験作で、戦争とも関わりはあるが、少々悪趣味なものだった。レビューを通して人物を描き、最後には点と点が線を結ぶ構造になっているが、中身が文化的な書かれ方をしているにも関わらず、薄っぺらく、冗長が過ぎる気がした。

  • H27/11/7

  • 沖縄人の夫婦。原因不明の足の浮腫を煩う夫のもとに、夜な夜なやってくる兵隊達。戦争体験との付き合い方とは。

  • 広島で焼き殺されることと、
    沖縄で撃ち抜かれること、どちらが惨いでしょうか。
    全戦争犠牲者に慰霊を。

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著者プロフィール

1960年、沖縄県今帰仁村生まれ。琉球大学法文学部卒。
1983年「魚群記」で第11回琉球新報短編小説賞受賞。1986年「平和通りと名付けられた街を歩いて」で第12回新沖縄文学賞受賞。1997年「水滴」で第117回芥川賞受賞。2000年「魂込め(まぶいぐみ)」で第4回木山捷平文学賞、第26回川端康成文学賞受賞。
著書:(小説)『目取真俊短篇小説選集』全3巻〔第1巻『魚群記』、第2巻『赤い椰子の葉』、第3巻『面影と連れて(うむかじとぅちりてぃ)』〕、『眼の奥の森』、『虹の鳥』、『平和通りと名付けられた街を歩いて』(以上、影書房)、『風音』(リトルモア)、『群蝶の木』、『魂込め』(以上、朝日新聞社)、『水滴』(文藝春秋)ほか。
(評論集)『ヤンバルの深き森と海より』(影書房)、『沖縄「戦後」ゼロ年』(日本放送出版協会)、『沖縄/地を読む 時を見る』、『沖縄/草の声・根の意志』(以上、世織書房)ほか。
(共著)『沖縄と国家』(角川新書、辺見庸との共著)ほか。
ブログ「海鳴りの島から」:http://blog.goo.ne.jp/awamori777

「2023年 『魂魄の道』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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