- Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163910727
感想・レビュー・書評
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テレビでも紹介:2019年8月8日発売。
いじめに悩む子どもたちが、未来の扉を開くために
あなたの時間はあなたのもの。
あなたの命はあなたのもの。
誰にも奪うことはできない。
タレント、女優、歌手、声優として活躍する中川翔子さんが、いじめで不登校になり、「死にたい」とまで思い詰めた先に見つけた気持ちを文章と漫画で綴ります。大人になったいま、中川さんがなによりも伝えたいのは「ゼッタイに、死ぬんじゃねーぞ」詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
いじめを経験した当事者であるしょこたんの話は、リアルでとても響いた。
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ムスメが図書館で借りて来た本。彼女曰く「爆速で読んだ」とのことやったけど、確かにさくっと読める、わかりやすい本やった。内容が重く、メッセージ性が強いものなので、このくらいさくっと読めるのはいいと思う。
くどくどと面倒臭いことをつめこむより、著者が伝えたいことがシンプルでわかりやすいもんな。
ムスメが読み終わったあとに、さーっと斜め読みして、上記のことを
「ふーん…」
などと思いつつ感じて、それから著者を見て
「中川翔子か!」
と、なった。なるほど。彼女はほんま色々なことを一生懸命やるなあ。えらいなあ。
あらためてちゃんと読んでみて、とにかく
「死ぬな」
「生きて」
の、連呼で、ますます「いじめって怖いな…」と、なった。
わたしは前述の通り、いじめたこともいじめられたこともなく、スクールカースト……は、どうやったんやろう…。とにかく「目立たない人」やったので、そういうのに縁なく過ごしてきてるのよね。モブ人生万歳。
(「目立たない人」という位置づけにわたし自身不満に思わないところもアレなんやろうな。そこでがんばろうとしたらなんやかんや言われたのかもしれへん。知らんけど)
せやから、いじめを受けるということは、ほんまに生き死にの問題なんやな、と、思った。
そこはちょっと、わたしには想像もつかんというか、所詮
「そんなことぐらい」
で、片付けがちなのかもしれへん。
それは、(当事者に対して)あかんわ。気を付けとこ。
今更わたしがいじめられるとかそういう目には、まあ、ないやろと思うし、子どもらがこういう目に遭わんかどうかのほうが重要。
著者が書いていることは、わたしも
「せやでー」
と思うことばかり。
でもって、ムスメ自身にもそう伝えてるつもりやけど、どうかな。伝わってるかな。
親の言葉よりこういった同年代(でもないけど)および同年代ちょっと上世代からのメッセージのほうが響くやろうから、いろいろ感じとってほしいな。
以前も言うたけど、子どもが多かった高度成長期の学校は、やっぱり人が多すぎてなかなか他人のことまで気が回らん部分もあったと思うねん。
それでも、当時からいじめ問題はあったやろうけど、そこからだんだん子ども人口が減ってきて、今となっては結構密な関係を結んでると思うねんな。
たいしてしゃべったことのない人も、それなりに顔と名前は知ってる、みたいな。
わたしが学生時代にあんまり他人に興味がなかった(わけではないけど、誰とでも仲良くせなあかんという気持ちはあまりなかった)ので、名前も覚えてない人は八分の一くらいいたと思うけど、今はどうやろ~…。
学生の数が少ないとお互いに見知ってしまうし、それで気が合う面子と流れならいいけど万が一「気に入らんな」てところが浮き彫りになったら、そればっかり気になってしまうんちゃうかなーと思う。
せやから、ほんま著者が言うように
「いろんな人がいるし、すべての人と気が合うわけではない」
と、いうことは学校でもっと発信してほしいなあ。
まずそこを認めてから、
「気が合わない相手を攻撃するのは愚かなことだ」
に、繋げるべきちゃうんかなあ。
ひつこいけど、わたしらの時代(の学校)は(人数があまりにも多くて、学校側でも調整をとるために)
「いろんな人がいる」
と、いうことからまず否定されていたので。
大人数が勉強するにあたり、足並みをそろえているほうが大人としてはやりやすい、と、いう方針。
わたしはそれに可もなく不可もなくすごしたけど、馴染めない人はそりゃあ苦労しはったやろうなーと思う。
でも今となっては、大人の人数のほうが多いんやから、足並みをそろえることを第一にするんじゃなくて、互いの個性を大事にするということを大事にできるんちゃうの? と、思う。
それこそ大人のキャパシティの問題じゃない? 大人なんやから、そのくらいの幅は見せるべきじゃないの?
著者の言う「意味の分からない学校規則」こそ、いにしえの(笑)
「人数が多いのでとりあえず決まりを作って守らせておけ」
と、いう、大人の事情でしょうよ。決まりのための決まりにしか見えないので、何の意味があるのかさっぱりわからん。
自由度が高くなるとそれをまとめる大人が大変やからある程度の規制をしていたんやから、いまさら決まりに意味はないし、意味がないものに従うような教育をしてどうするのさ。
「ある程度の不自由を味わうべき」
って向きもある(特にわたしらより上の世代からは)。
でもわたしも、その意味はわからんな~。不自由をなぜ自主的に味あわないとあかんねやろ。
「学校でうまくやれないと社会に出てもうまくやれない」
っていうのも、どうかな~…。
「うまくやる」の「うまく」によると思うけど…。
学校でうまい人間関係が作れるからって社会にでてそうできるとも思えないしなあ。
勉強だけを教える場としてもっと特化すればいいのになあ。
著者がいう「カリキュラムの自由度をあげる」というのもそれにつながる気がする。
たまたま同じクラス、学年になった相手と気が合うほうがまれな話やで、と、ムスメには言うてる。
合わん子のほうがおおいし、お互いに大人(?)なら、
「あー、合わんな。チャンネルが違うねんな」
ちゅうことで、互いのチャンネル、世界に関与しない関係ができる。
(肯定もしないけど否定もせず、侵略もしない)
それができれば百点なんよね~。そこを攻撃していく人がいると、話がややこしくなるねん…。
せやから、行った先の学校がムスメやムスコに合わんな、と、思って、学校へ行くことが(勉強以外で)
「苦痛やな」
と、感じたら
「行かんでもよし」
と、言うてる。
苦痛をおしてまで行くところではないし、わたしにとって大事なのはムスメであり、ムスコであるので、そこまでして行く必要はないねん。
ほんで、(まあこれがわたしのいい加減さなんやけど)学校に通って世界を作ってるのはムスメとムスコなので、ほんまのところどんなけのことがあってどう苦痛なのかは、わたしにはわからん。
せやからそれは、自分で判断してほしい。でも、そこで
「無理」
と、思ったらすぐにそう言うてほしい。彼らの下す判断をわたしは否定はせえへんので。
…と、言うてるけど、果たして(大人として)どこまで信用されてるかは、わからんけど…。汗
ただ、社会に出ることを考えると、中学、高校の勉強はせなあかんと思う。
せんでもいいけど、せんかったらそれだけ今後の人生に不利になることが多いと思う。
せやから、学校には行かなくてもいいから何等かの形で高校卒業まではしよう、と、言うてる。
(行けなくなることを前提にしてるのもどうよ…)
(そのくらい、中学校を信頼はしていない)
今から六年間で、将来自分がどうしたいかを考えて、行動に移していかんとあかんねん。
「中学校に通う」
は、目標ではなくて、単なる通過点なので、大事なのはそこではないのよ。
楽しめればそれに越したことはないけど。
あと、「好きなものを作れ」と、いうのも、同じ。ずっと言うてる。
学校とは違うところに活動場所があるのもいい、とも言うてる。
何をやってても、たとえ好きなことをやっていても、しんどいときってある。
そのときに気持ちの拠り所にできることや、気持ちを切り替えるスイッチがあれば、すこしは負担を軽くできるのだ。
10代のうちに知っておくことはそれちゃうんかな、と、いう気がしなくもない。
大人になったらスイッチを切り替えまくってすごすもんな。笑
楽しいことばかりをやってるように見える人は、スイッチの切り替えがうまいのだと思ってる。
みんなあれこれ抱えながらすごしてるもんね。
「裏アカウントを作って愚痴を言うのもダメ」
と、いうのは、ちょっと、堪えたな。汗
最近裏アカウント作ってしまった。日常的なことを呟きたくて作ったけど、たしかに愚痴ばっかりかも。反省。
もっと日常的な、楽しいことばっかりつぶやくようにしよう。ほんま、言葉は言霊やもんね。
著者がますます好きになったなあ。
彼女はすごい優しいと思う。これからもぜひ、いろんな活動をしてほしいな。 -
してきたことが今の自分を作っている。
今していることが未来の自分を作る。
だから絶対死んだらダメ。
隣る人 という言葉が印象に残った。
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しょこたん、素敵な本をありがとう!みんなで長生きしよう!
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しょこたん、ありがとう。
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全ての子ども達と大人に読んでほしい。
「隣る人」が、どの子、どの人にも見つかりますように。
先生方、この本で何時間か授業されませんか? -
教師に相談することが最後の願いであったのに、そこで受け入れてもらえない。教師なんて学校なんて信じられない。 自分が教師であるからこそ、とても悲しかった。子どもたちにこんな思いをさせてしまっていけない、、教師としての教訓になる本でした。
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【いじめに悩む子どもたちが、未来の扉を開くために―ー】十代のときにいじめで不登校になった中川翔子が、”死にたかった夜”の先に見つけた気持ちを言葉と漫画で綴った渾身のメッセージ。
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バラエティ番組でときどき見かけて、かわいらしくて好感を持っていた中川さん。ただ、かわいらしさに似つかわしくない”ネガティブ”な発言がちょっと気になっていたが、それがこういうことだったんだとわかった。
タイトルにある通り、今まさにいじめを受けている10代の若い人へ向けての本だけれど、中川さんも大人になっているので、大人がどうすればいいかの提言でもある。むしろ、大人にも読んでほしい。
それにしても中川さん、よく自身のいじめ体験を書かれた……。思い出すだけでも吐き気をもよおしそうなことだと思うし、ましてや”書く”ことで(しかもドロップアウト)さらに記憶に定着してしまう。辛かっただろうな……。それがよくわかる。
でも、これを読んでその辛さがわかる!と読んだ全員が思うだろうか?と自分は正直感じる。中川さんもいじめてる人に伝えるのは難しい、と書いている。
ちなみに自分の大好きな漫画家、川原泉さんの作品の中でこんなセリフがある「投げたあんたは忘れたろうが、当たった私は忘れない」。これが心に刺さっていて、まさに忘れられない。
いじめから抜け出したばかりの女性2人へのインタビューが収録されている。中川さんが「いじめはなくなると思いますか」と質問すると、2人は「なくならない」と同じ答えをしている。リアル。抜け出したばかりだからこう答えたのだろうか?絶望からこう答えたのだろうか?
ひとりは当時大学生になって、ネットでいじめられている人の居場所を作っているという。絶望してたらできない。
しかし、なぜか大人は”自殺はいけない、悩んだときはここへ電話を”となんか紋切り型のメッセージしかしない。丸投げな感じでリアルさがない。中川さんのように、一緒に闘っている人は少ないと思う。いや、いじめが社会問題として認識され始めた時よりかは増えている、と思いたい。
学校がいやなら無理していかなくてもいい、と今は少しづつ理解されてきた。今まではそれは「逃げる」ことで良くない、だったが「違う道」を探すことと、インタビューの中で出てきたのは印象的だった。
中川さんの一貫して伝えたいことは”あなたの命はあなたのもの。好きなことを全力で追究しよう”。そのために、死んではいけない。詩のような訴えが繰り返し書かれている。叫びのようだ。
自分の中で今では”ネガティブ発言”も中川さんの”魅力”の1つになっている。