女たちのシベリア抑留

  • 文藝春秋 (2019年12月13日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (320ページ) / ISBN・EAN: 9784163911434

作品紹介・あらすじ

終戦直後、満洲や樺太などにいた軍人や民間人など60万人近い日本人がソ連によって連行された「シベリア抑留」。その中に数百人から千人近い女性捕虜が存在したことは、長く歴史の影に埋もれていた。関東軍の陸軍病院で勤務していた従軍看護婦や軍属として働いていたタイピスト、電話交換手、開拓団の民間女性、そして受刑者たちが、極北の地シベリアに送られていたのである。その中には「女囚」として10年を超える抑留生活を送った女性や、日本に帰る場所もなく異国の地で人生を全うした者もいる。帰国を果たした女性たちにとっても、故国の人々のまなざしは決して温かいものではなかった。

戦後70年以上、長く沈黙を守ってきた女性たちをインタビューすることに成功し、2014年にNHK・BS1スペシャルで放送されたドキュメンタリー「女たちのシベリア抑留」は、文化庁芸術祭賞優秀賞、放送文化基金賞奨励賞、ATP賞テレビグランプリ優秀賞、ギャラクシー賞奨励賞、NHK放送総局長特賞など、その年のドキュメンタリー部門の賞を総なめにした。その番組を担当した女性ディレクターが綴る本格ノンフィクション。ロシア側から初めて提出された女性抑留者の記録「登録簿」の内容も明らかになる。

感想・レビュー・書評

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  • 同時並行で『ホス狂い』という本を読んでいたが、こちらの本も同じく、時代やイデオロギー、大きな権力に振り回されて逞しく生きる女性たちの話だ。終戦直後にソ連に連行されたのは男性や軍人だけではなく、看護婦や開拓団などの女性も少なくなかった。彼女たちはシベリアに抑留され、どのように生きてきたのか。その内容を赤裸々に綴ったのが本書。

    読み終えて「私たちが何をしたというのだ、帰せ」というような発言が頭に残った。ソ連の強制労働は許されるものではないとして、この戦争において、女性たちは何もしなかったのか。軍人だけの戦争、政府だけの戦争、民間人は嫌々参加したのだし、まして女性は被害者である。これはどこまで、国内外に対して正しいのか。調べると、国際法的にも歴史認識的にも、戦争の決定権がなく、強制されたり被害者としての立場を負う民間人や特に女性は「何をしたというのか」という意識で良いようだ。それならば尚の事、悪い。そして尚の事、被害者である立場の人間が関与して戦争を起こさない抑止力としての役割が重要である。

    ー 射殺された二人の遺体は、むしろに巻かれ、収容所の中庭にあるナツメの木の下に一週間放置された。そこは、宿舎と便所の間にあり、日中でも夜間でも、必ずそのそばを通らなければならなかった。少年たちと同世代の弟のいる赤星治は、死体を見せしめにするソ連のやり方に憤りを感じた。「カチカチに凍った遺体を、収容所の真ん中に見えるように飾っておくんです。見せしめに。「逃げるとこうなるんだぞ」と。何もそんなことまでしなくたってね。死んだ人にね」この事件の後、ソ連の監視兵の日本人捕虜に対する響戒はいっそう厳しくなった。

    ー 「ソ連側に、女性を抑留するという意図はなかったと思います」キリチェンコは、開口一番、そう断言した。「女性をソ連に移送するよう指示した文書は見たことがありません。第九八九八号指令にも女性については言及されていませんし、モスクワ以外の地方の公文書館でもそうした指示をした文書はない。当時の内務大臣への報告書にも、女性については一言も書かれていないでしょう。私の考えでは、ソ連軍の中で女性捕虜に関して統一された指示はなかったはずです」では、なぜ佳木斯の看護婦たちを始めとする女性たちは抑留されたのだろうか?「おそらく現地の移送指揮官が、自分の裁量で決めたのではないでしょうか。人員を増やすために、できるだけ多くの人を捕えて収容所に送ろうとした過程で、女性が混ざってしまったのでしょう。当時は自分の職務に忠実なあまり、さまざまな違法行為がありました。まあ私に言わせれば、女性の抑留のみならず、日本人の抑留自体が違法だったと思いますが」つまり、キリチェンコによれば、女性たちのシベリア抑留は、手違いから生じたというのだ。この推測を裏付けるようなエピソードは、女性抑留者に関する回想録などにたびたび登場する。終戦後の満州で、女性が危険から身を守るため男装して兵士たちの間に紛れて行動しているうち、そのまま収容所に送られ、収容所到着後にソ連側が気付き、大騒ぎになったという類のものだ。

    真相は分からない。便衣兵と民間人が区別がつかなくて巻き添えになるケース。女性自身が自己防衛のために男装化していて巻き込まれるケース。極限の混乱状態では一部で手違いがあったというのは事実だろう。そもそも強制労働が違法であるという大前提は忘れてはならないが。

  • まず、シベリアに女性がいたのに衝撃でした。
    これは、学校でも習ってないと思う。

    看護師さんが戦地に行ってたことは知ってたけど、その先を知らなかった。
    何かあった時のために、青酸カリを持ち歩いてたと言うこともショックだった。
    青酸カリで楽に死ねると皆は思ってたが、実際に青酸カリで自害した人が苦しんでた姿を見て衝撃を受けたこととかすごい光景を目の当たりにしてたんだろうし。
    しかも、その看護師さん達が学校を出たばかりの若い子達。他にも日赤の看護師さん達がいたが。
    日本に帰国した時の日赤の対応にはショックだった。
    国のために働いて戦地に行ったのに、汚いものを見るような目で見られたとか酷すぎる。


    後半には、ロシアに残ることにした村上秋子さんの話が衝撃的でした。
    彼女も壮絶な人生で何とも言えなかった。
    女性に見えないような姿になるまでの強制労働など
    でも、なぜ日本に帰れるときにロシアに残ったのか?とても疑問だったけど。
    満州に身売りさせてたと言う事情。
    家が貧しく売られて芸妓として生きてたとか悲劇しかない。
    最後、自分の妹と連絡が取れたが…
    家族のために身体を張って生きた凄まじい人生。
    女を出せと言われ、自ら進んで出て芸妓さん達。
    信じられないことばかりでした。

    この本を読んで改めて、残留孤児のことを思いました。

  • 終戦後、日赤と陸軍の看護婦たちは、陸軍の部隊と行動を共にし、シベリアへと送られる。

    彼女たちは、厳しい労働の中でどうやって明日への活力を生み出していたのか…

    自分の意志などあってないようなものだろう。
    ただ毎日生きることをそれだけを願っていたのだろうか…

    死んでいく者…
    女囚となり帰国しない者、できない者…

    真実はどうだったのか⁇

    帰国しても自らのことを語らない者もいるだろう。
    語れない者もいるだろう。

    今はもう誰も真実はわからないのでは…。

  • 北斗星(8月14日付)|秋田魁新報電子版
    https://www.sakigake.jp/news/article/20200814AK0010/

    シベリアに1000人近い日本女性が抑留されていた! 数々の賞を受賞した「NHK BS1スペシャル」の話題作がついに書籍化 | 特集 - 文藝春秋BOOKS
    https://books.bunshun.jp/articles/-/5206

    『女たちのシベリア抑留』小柳ちひろ | 単行本 - 文藝春秋BOOKS
    https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163911434


  • 「戦争は女の顔をしていない」と共に、あまり表立って語られることの少なかった、歴史の中の女性の姿。記録されなかった事実をひとつひとつ丹念に拾ってくれた人がいて、私たちは、現在が過去からつながっているものだということを再確認する。現在からつながる未来のためにも、過去をきちんと知らなければ。

  • 「戦争は女の顔をしていない」を読んだ後のこの1冊。ロシアも日本も女性の戦争参加は戦後語られないという共通点は、つまり「戦争」という行為の、ダーティな状態がいかに万国共通かということを暗に表しているように思う。
    日赤の看護師さんや軍で働いていた女性達の収容所での苦労は、専門職であることもあり、もしかしたら男性捕虜よりもまだマシだったのかもとも思うが、最後の章に書かれた娼婦として満州にわたり、その後革命を志す若者を支援し捕まり収容所送りになったムラカミさんの話はツラい。

  • 同じ職業婦人として
    ソ連の女性と温かい交流があった話には
    やはり 国ではなく 人なんだな
    と心温まりました

  • シベリア抑留と言えば過酷な強制労働のイメージがあるが、本書に出てくる女性のシベリア抑留者は、主に看護師である。満州で看護師として働いていた彼女たちが、敗戦後そのままシベリアに送られたのである。主に陸軍看護師、日赤看護師、看護師見習いである菊水隊である。彼女たちは、シベリアに送られた後(時には肉体労働もさせられたようだが)看護師として働いた。
    国際法では捕虜による労働は禁じられている。
    どんなに過酷だったのだろうかと読み進めたが、実際に彼女たちが語るところによるとあまり悲壮感がなく、過酷さを感じさせなかった。しかし、当人たちの中で辛いことは忘れようとした結果なのではないだろうかと思う。家族と離れ、異国の地で、家族がどうしているかも知れず、いくら仲間がいたとはいえ、相当な苦労をしたであろう。
    看護師の一人は、開拓団の一人と出会った時に彼らから聞いた話を次のように語っている。「開拓団の団員さんが『子どもは連れて行っても足手まといになるから、殺せ』と命令して、みんなで殺したんですって……。(p52)
    また、彼女たちも女性であることで不安を感じながらの生活だった。軍司令部からの通達文書に「ソ連軍の要求するものは、抵抗せずに渡すこと、その第一は酒、第二は女」。受け取った曹長は驚愕したとのことであるが、本当に驚く内容である。いくら有事とはいえ、味方からの通達とは思えない。
    護身薬として、粉末の青酸カリが入った小瓶が彼女たちに配られたそうである。いざとなった時に自決するためである。
    また、「女性たちの中には、「シベリア抑留は、大した苦労ではなかった」と語る人も多くいた。自分たちは帰国できたのに、満州にいたはずの家族が帰って来なかったからである」(p249)とあるように、家族と満州で生き別れになった人もいる。

    最後にアーニャのことが書かれている。アーニャは日本への帰国を拒みその生涯をロシアで終えた。
    彼女は受刑者として収容所へ送られた。
    日本での彼女の足跡が記されているのだが、彼女の過去を暴くようで、彼女のことを思うとそれを本に記すことに疑問を感じた。
    彼女がなぜ日本へ帰ろうとしなかったのか、本当は帰りたかったのに帰らなかったのか。その心中は私には推し測る事しかできないが、さぞや無念だったろうと思う。
    戦争は多くの人の人生を狂わせる。人の命や人生をないがしろにする。とても愚かな行為であると改めて思った。

  • ふむ

  •  17世紀帝政ロシアの時代のシベリア流刑から続くソ連の収容所群島。安価な囚人労働と捕虜の抑留・労働によるロシアの国土開発。1929年からスターリンが死んだ1953年の間に、収容所に送られた人々は1800万人に上る。北海道の半分をくれとトルーマンに言って断られたスターリンは違法である抑留50万を要求。昭和20年8月9日未明、不可侵条約を破棄してソ連軍160万が満州などに侵攻。日本人抑留者70万人。その中に看護婦、交換手、タイピスト、スパイ容疑などで数百人から千人の女性が。酷寒、病魔、飢えと戦いながら・・・。

  • 大陸で捕虜となった女性について、この本で初めて知った。

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  • 女たちのシベリア抑留

    著者:小柳ちひろ
    発行:2019年12月15日
    文藝春秋


    あまり知られていないが、シベリア抑留者には女性もいた。2019年11月現在で、
    1.佳木斯(ジャムス)第一陸軍病院看護婦、約150人。
    2.その他の短期抑留者、80名
    3.受刑者、114名。特務機関に勤務した女子軍属など。
    4.子供、24名
    この本は、上記の佳木斯第一陸軍病院看護婦の一部を中心に取り上げたノンフクション。2014年にNHK-BSで放送された内容について5年の歳月を費やして書き下ろされたもの。看護婦といっても、日赤看護婦、陸軍看護婦、そして、看護婦不足のため満州の一般の職場で「子供でもいいから」と召集された若い娘たちからなる「菊水隊」と呼ばれた人たちだ。

    終戦直前、彼女たちが働いている病院撤退が決まった。私物は最小限にすることになり、看護婦たちは軍隊がため込んだ物資の多さにあきれながら、自分たちの思い出の写真や手紙、満州に渡る際に知人から贈られた晴れ着、化粧品などをじっと見た後、営庭で焚かれていた火の中に投げ入れた。

    しかし、逃げ出すわけにはいけないと看護婦たちが言ったため残留することになって、それが抑留生活へとつながることになる。残留が決まった翌日、女性たち全員に「御身薬」と称する小瓶が配られた。粉末の青酸カリ30㏄と寒天(水がなくても飲み込めるように)が入ったものだった。

    菊水隊の1人は、山形から来た開拓団に黒竜江省の方正で出会い、話を聞く。女性たちは逃げる時、「子供は連れて行っても足手まといになるから殺せ」と団長に命令されて殺していた。子供も覚悟して「お母さん、痛くないように殺してね」と言ったそうだ。方正について気持ちが落ち着いたら大変なことをしてしまったとみんな気づき、松花江に飛び込んだ人も何人もいた。みんな過酷な運命を背負っていた。

    菊水隊は看護婦として懸命に働き、ソ連人看護婦からも高く評価された。しかし、ソ連人看護婦にも感心させられた。
    病気になった1人の収容所日本人看護婦(林正カツエ)が入院。捕虜なのにこんなによくしてくれるのかと思うぐらい、ソ連人看護婦の看護は献身的だった。日本軍では、赤十字の看護婦でも敵の捕虜の看護をするなどあり得なかった。

    やっと帰国できることになったが、ナホトカでは文字の書かれたものを持って帰国しようとするとスパイ行為だと思われる。抑留中の志望者名簿を持ち帰ろうとして見つかり、懲役10年の刑を受けた人も。12人の軍医、27人の看護婦が勤務していたチョプロ・オーゼロ収容所病院では、全員の帰国が決まったが、軍医たちは収容所で亡くなった兵士の氏名と住所を、帰国する看護婦たちそれぞれの都道府県別に振り分けて暗記させた。
    なお、先日読んだ嶌信彦著「伝説となった日本兵捕虜」では、収容所で共に働いた457人全員の住所と氏名を隊長が何ヶ月もかけて丸暗記した話が出ていた。

    たどり着いた舞鶴でも、また屈辱が待っていた。舞鶴には厚生省の外局・引揚救護院があった。下船と同時にDDT消毒。入浴、脱衣の消毒、種痘接種などがあり、女性だけに行われた検査も。「妊娠している人は申し出てください。ここで処置します」と。
    引き揚げ者はソ連の収容所について7日間にわたっていろいろ聞かれた。しかし、恐ろしい体験の真実が先方に伝わると残留者への過酷な報復が待ち受けていることを想像し、真実を語らなかった。スターリン時代だから必ず伝わるだろうと思っていたそうだ。

    1988年12月、「中国残留婦人交流の会」が山口で設立。中国で改革開放政策が始まり、残留孤児の肉親捜しや一時帰国が脚光を浴び始めていたが、日本政府は終戦当時13歳以上になっていた女性たちを「自らの意思で残留した」と見なして国からの支援を行わなかった。

    戦争における国家の身勝手さ、頼りなさ、ひどさは筆舌に尽くしがたい。とりわけ日本は、国民などまったく守らず、天皇を中心とする国家のテイ、いわゆる国体を守ることに終始したことが、こうした女性に関するルポルタージュからも感じられる。

    ****(メモ)*****

    ちょっと綺麗な看護婦をソ連人が宿舎で女中みたいに使っていた。看護婦の一人が強姦されそうになり、相手の腰の銃を取って撃った。彼女は収容所に戻ってこなかった。

    当時、陸海軍は「女子軍属」として若い女性を募集し、事務職などに従事させていた。確かな総数は不明だが数万人に及ぶことは確かで、従軍看護婦も軍属に当たる。

    終戦後の満州で、女性が危険から身を守るため男装して兵士たちの間に紛れて行動しているうち、そのまま収容所に送られ、到着後にソ連側が気づいて大騒ぎになった話はたびたび登場。

    夫とともに収容所に行くことを希望した女性おいた。おそらく、日本に帰っても生活するすべがないと思ったのだろう。収容所で二人目の子供を産んだ人も。

    林正カツエが満州で菊水隊員1人がソ連兵にさらわれたまま行方不明になって気にかけていることをマリア婦長に言うと、真剣な顔で「自分もレニングラードから専科に追われて逃げて来た。ドイツ兵は村を焼き、母親の手から赤ん坊を奪って火の中に投げ捨てる場面も見た」と言った。

    憲兵の妻だったという理由だけでタイシエトの戦争裁判にかけられ、労役16年になった女性。他の4人は同じように軍部の従業員だったという理由で8-10年の労役。

    菊水隊で移動中にソ連兵にさらわれた上田房江は、結局、殺された。遺体はとても親兄弟に話せないありさまだった。

    広大なロシアの中でも最果ての流刑地であるマガダン市を中心とするコリマ地方は、収容所群島の顔を象徴する地名で、一度送られたら生きて帰ることはできない陸の孤島、囚人の墓場として恐れられていた。村山明子はここに送られた。おそらく抑留された日本人は60万人の中の1%にも満たない。(269)

    ソ連軍は1945年8月末までに北朝鮮全域を制圧し、平壌に軍司令部を置き、「日本の植民地統治から朝鮮民族を解放する」と宣伝し、朝鮮人の自治組織を樹立させた。しかし、現地ではソ連軍兵士による略奪、暴行、婦女子に対する強姦が横行し、また「スパイ摘発」と称した密告と監獄送りによって市民の間に恐怖と分断が。ソ連に対する不満と反発が密かに高まり、抵抗のために「朝鮮国家社会主義労働者党」が組織され、村上明子も何らかの動きに関わった。

  • シベリアに女性も抑留されていたとは・・・!というか、よくよく考えてみたら軍の病院に看護婦はいただろうし、それは日本の病院だけでなく外地の病院でも同じだろう。なのになんとなくそういう人たちは敗戦で帰国か残留婦人かあるいは彼の地で亡くなってしまったか、で、まさかシベリアに連行されていたとは思わなかった。看護婦だけでなく、民間人もだけど。本当に知らないことだらけ!日本人よりソ連人の方が人情味があるなんて話しは、なんか寂しい。でも帰国後の日赤の態度なんて読んでたら、そうなのかなと納得できたりして。

  • 終戦時、57万人を越える日本人が旧ソ連に連行され、労働に従事されられた。そこには数百万人の女性もいたことは恐るべき史実だと知った。スターリンの非人道的な指示に憤りを感じるが、そもそもは日本の無謀な帝国主義がもたらした結果かと思うと、犠牲になった方々が無念でならない。

  • シベリア抑留の話は聞いたことがあるが、女性でシベリアに送られた人がいたことは初めて知った。
    きっと、辛い思いをしたのだろうが、与えられた場所で頑張って看護師として働いていた女性もいたようで、すごく強いなと感心した。

  • 東2法経図・6F開架:210.75A/Ko97o//K

  • 想像を絶する内容だった。何度も泣いた。
    これまで、残留孤児として苦労された方や逃避行の末帰国された方の本は何冊か読んできたが、看護婦さん達については知らなかった。
    この本を読んで改めて戦争の悲惨さを痛感した。
    語り継がれるべきだと思うが、体験した方々は思い出すことも辛いだろうと思う。
    この本を通じて、史実をたくさんの人に知って欲しいと思う。
    親戚にも片足を無くしてシベリアから帰国した伯父がいた。穏やかで優しい伯父だったが、戦争の話は一度も聞いたことがなかったし、聞いてはいけないことのような気がした。
    抑留者の帰国後の人生が幸多いものであってくれたらと願わずにいられない。

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