笑い神 M-1、その純情と狂気

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163916323

作品紹介・あらすじ

M‐1とはネタの壮大な墓場でもあった。
にもかかわらず漫才師たちは毎年、そこへ向かった――。

一夜にして富と人気を手にすることができるM‐1グランプリ。いまや年末の風物詩であるお笑いのビッグイベントは、吉本興業内に作られた一人だけの新部署「漫才プロジェクト」の社員、そして稀代のプロデューサー島田紳助の「賞金をな、1千万にするんや」という途方もないアイディアによって誕生した。
このM‐1に、「ちゃっちゃっと優勝して、天下を獲ったるわい」と乗り込んだコンビがいた。のちに「ミスターM‐1」「M‐1の申し子」と呼ばれ、2002年から9年連続で決勝に進出した笑い飯である。大阪の地下芸人だった哲夫と西田は、純情と狂気が生み出す圧倒的熱量で「笑い」を追い求め、その狂熱は他の芸人にも影響を与えていく――。

芸人、スタッフ80人以上の証言から浮かび上がる、M‐1と漫才の深淵。
笑い飯、千鳥、フットボールアワー、ブラックマヨネーズ、チュートリアル、キングコング、NON STYLE、スリムクラブ……。漫才師たちの、「笑い」の発明と革新の20年を活写する圧巻のノンフィクション、誕生!

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    本書を読み終わったあとに、あらためて笑い飯の漫才を見直してみた。奈良県立歴史民俗博物館、機関車トーマス、鳥人……。久しぶりに見ても、まだまだ面白い。ワードチョイスのキレ、動きのコミカルさ、畳みかけるようなボケとツッコミの応酬に、笑いすぎて頬が痛くなってしまった。
    笑い飯の特徴はやはり「ダブルボケシステム」にあるのだが、笑い飯以外の芸人は決して取り入れようとしない。正確に言えば、笑い飯を真似しようと試みた芸人は当時何人かいたらしいのが、いずれも完成度が低くて続かなかったのだという。

    千鳥の大悟は、「今でも哲夫さんにおもろないと言われるのが、いっちゃん怖いですから」とこぼす。元アジアンの馬場園は、まだ笑い飯が無名だった頃から「この人らが売れんかったら、誰が売れんねん」と思っていたという。
    笑いの開拓者、唯一無二の存在。それが「笑い飯」であった。

    本書は、M-1に命を賭けた芸人たちのヒストリーを追ったノンフィクションである。筆者は「言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか」をナイツの塙さんと一緒に製作した中村計さん。「言い訳」がM-1の戦術本であるならば、こちらはM-1のドキュメンタリー本だ。第一回大会の2001年から休止するまでの2010年に的を絞り、M-1という大舞台に人生を捧げた芸人たちの生きざまを、本人たちへのインタビューを交えながら丁寧にまとめている。

    本書は「M-1本」であるが、中身の大部分は「笑い飯」の話である。何故かと言えば、2002年から2010年まで、9年連続でM-1の決勝ラウンドに進出しており、休止前の最後の大会で悲願の初優勝を果たした「M-1の申し子」だからだ。M-1の歴史を追うことは、必然的に笑い飯の歴史を追うことにつながってくる。

    実は、笑い飯はコンビ仲が良くない。M-1優勝前こそ協力して活動していたものの、優勝後はネタ合わせ以外全く口を利かないという。そのネタ合わせ中も常に殺伐としており、哲夫が考えるネタに対して西田が素っ気なくリアクションするばかりだ。そんなピリピリする空気が明け方まで続き、何も収穫を得られずに解散、というのが当たり前らしい。西田がぼんやりと興味を示したときに初めて「アタリ」が来る。そこからまた夜遅くまで頭をひねり、打合せ室から笑いが漏れてやっと形になるという。
    二人は決して歩み寄らない。非効率、非合理、非論理。それが笑い飯のネタ作りだ。

    本書にはこうした「哲夫と西田の我の強さ」がたくさん語られる。かつてのbaseよしもとでは、「面白くない奴は死」と言わんばかりに殺伐としていたという。プライベートではずっと笑かし合いで、席を立ったら必ず面白いことをやって戻らなければならない。笑いのためなら恥も下半身もさらけ出すのは当たり前で、それについて来られなかった芸人はお笑い界から去っていく。そんな弱肉強食の環境で笑い飯の二人はどちらも「相方より俺のほうが面白い」と思っていたのだから、自然と「オレがオレが」の空気になってしまうわけだ。

    そもそも、笑い飯の代名詞とも言える「ダブルボケ」自体が、相手がウケているのが我慢できないがゆえの発明だった。相手のボケでウケると、我慢できない。俺の方がもっとおもしろい。だからお互いが公平にボケられるダブルボケが作られたのだという。

    漫才とは結局、「ケンカ」なのだ。コンビ内でのボケとツッコミ然り、他の芸人とのぶつかり合い然り。芸人は生き残るために、「俺のほうが面白い」という意識を心の中に持たざるを得ない。そしてそのボルテージが最高潮に高まるのが、M-1決勝の舞台だった。最高峰の舞台に立つため、芸人は何日も寝ないでネタを考えて、何百回も練習してくる。それを否定され、誰も笑ってくれないという地獄を経験し、それでもまたM-1に挑み続ける。

    ――M-1は、残酷なまでに光と影を対比させる。光をより輝かせるために。影をより深くするために。(略)芸人にとって、M-1は出たい大会でも、出なきゃならない大会でもなかった。出ざるを得ないのだ。栄光が発する光量あまりの眩しさに、引き寄せられずにはいられないのだった。
    ―――――――――――――――――――――――――――――
    本書はお笑い好きのみならず、「お笑いなんてM-1でしか見ないよ」という人にも是非オススメの一冊だ。主役は笑い飯だが、千鳥、ブラマヨ、キングコング、チュートリアル、ノンスタイルなど、かつての王者たちが直に当時の様子を語ってくれるのは大変貴重だ。
    個人的には、M-1生き残りのための「新スタイル」の模索が非常に面白かった。ダウンタウン松本に「最低点」を突き付けられたチュートリアルの快進撃、笑い飯に「おもろないやつ」認定をされたノンスタイルのモデルチェンジなど、M-1を勝ち上がるためにはここまでやらなければならないのかと思い知らされることがいっぱいだった。
    再開後の2015年以降、王道の「しゃべくり漫才」「コント漫才」とは一線を画す亜流たちが認められるようになったのも、M-1が「新スタイル」を受け入れ続けてきたからである。そして、その源流には「ダブルボケ」という新スタイルを生み出した笑い飯がいる。そうした「漫才手法」の変遷を辿ることが出来るのも、本書の面白さの一つだろう。
    ―――――――――――――――――――――――――――――

    【まとめ】
    0 まえがき
    筆者がM-1を取材する中で、関西で青春時代を過ごした芸人の口から、何度も聞いた言葉があった。「M-1で勝つよりも、笑い飯に認めて欲しかった」
    2000年にコンビを結成した笑い飯は、2002年から2010年まで、9年連続でM-1の決勝ラウンドに進出している。「容赦ない」と言われるM-1予選の選考において、空前絶後の記録である。そして、出場資格の関係で最後の挑戦となった2010年に悲願の優勝を遂げた。M-1の最初の十年は笑い飯の歴史でもあった、そう言われるゆえんである。
    元アジアンの馬場園は、まだ笑い飯が無名だった頃から「この人らが売れんかったら、誰が売れんねん」と思っていたという。
    千鳥の大悟は、「今でも哲夫さんにおもろないと言われるのが、いっちゃん怖いですから」とこぼす。

    桁違いの狂人、笑いの神。それが「笑い飯」であった。


    1 笑い飯のネタ作り
    笑い飯のネタは、大まかな設定をまずは哲夫が考える。それに対し、西田が興味を示すか否かが最初にして最大の関門だった。
    哲夫は不服そうに話す。「ぼんやりとした材料をいくつか用意していって、相方に提案するんですよ。前向きなときは 『しゃべってみるか」ってなる。ノーリアクションやったら、ややイエス。ノーやったら、はっきりノーって言うんで。『ようわからんな 』とか。西田君みたいなタイプは会議で、いちばん嫌なヤツです。案はないけど、否定だけはめっちゃする」
    二人は決して歩み寄らない。非効率、非合理、非論理。それが笑い飯のネタ作りだ。

    ネタ作りが殺伐としてきたのには二つ原因がある。一つは、ネタが出てきそうなところはほぼ掘り尽くしてしまったこと。哲夫が考える設定の条件は「みんながわかって、で、誰も漫才に取り入れてないこと」だ。M-1で披露したネタでいうと『奈良県立歴史民俗博物館』や『きかんしゃトーマス』がそうだった。「哲夫基準」をクリアし、かつ新しく、かつ前年を上回るネタを絞り出すことは、毎年、カラカラに乾いた雑巾を絞るような感覚に近かった。

    ネタ作りの空気が重くなった原因の二つ目は、互いの相手を思う温度の変化だった。コンビとして何度となく衝突し、こすれ合い、関係性が摩耗してしまった。

    ネタ作りの大半を沈黙が支配し、明け方、何も収穫がないまま部屋を出るという光景は当たり前だった。


    2 笑い飯と千鳥
    大阪に出てきて、大悟と千鳥を結成したばかりのノブ。ノブはインディーズ当時を思い出してこう語る。
    「哲夫さんと西田さんが言ってること、やってることは、ずっと、めちゃくちゃおもしろかったんです。すげえ、すげえ、って」。ノブ、大悟、西田、哲夫の四人でつるんでいた当時、ノブは西田と哲夫の二人に揉まれまくって、笑いを鍛えられた。
    ノブ「最初の1、2年なんて、ずっとボケられてましたから。6時間も7時間もボケ続けられるのって 『どなたさんですか?』のときだけじゃないですから。あとは大喜利するか、ですね。バラエティ番組をみんなで見て、ケラケラ笑ってる時間なんてゼロですよ」
    大悟がノブの話を受ける。「僕の部屋の壁、全面、大喜利の答えでしたもん。(周囲の壁面を指差しながら)ここも、ここも、ここも、全部、大喜利の答え。一晩中やって、おもしろかったんを哲夫さんと西田さんが勝手に貼ってくんです。だから、寝るときも変な言葉に囲まれてて、気持ち悪い部屋でした」
    大悟「ノブのツッコミは特に、笑い飯の二人がいなかったらここまでにはなっていなかったでしょうね」

    漫才の実力者たちのネタを聴いていて、いつも感嘆するのは、何十回、あるいは何百回とかけているだろうネタでも、鮮度を維持しているところだ。本当に初めて聞いたようなリアクションを自然にできる。いつ見ても表情が、言葉が、生き生きとしているのだ。
    それに対して、M-1で早々に消えていくコンビは、やはりセリフの向こうに「台本」が見える。台本通りにしゃべっているだけで、表情やセリフに生気がない。

    元魚群メンバーの仲尾健秀は、笑い飯の二人のタイプをこう比較する。
    「西田さんはお笑いの天才。大喜利でスベってるの、見たことない。職人ですよ。哲夫さんは人間味の天才。だから下(ネタ)から上まで全部、できる。ようスべるんですけど、それがまたおもろい。そういうのも全部わかってて、やってるんですけどね」


    3 M-1の誕生
    前代未聞、優勝賞金1000万円のお笑い大会。第一回大会の記者会見で、大会委員長の紳助は口角泡を飛ばし、「単なる漫才番組ではないです。命をかけた、格闘技」とぶった。
    紳助は誇張したのではない。本質を暴いたのだ。

    関西における「お笑い」とは、誤解を恐れずに言えば、ケンカである。あの時代、彼らの世界で「誰がいちばんおもろいか」を競うことは、「誰がいちばんケンカが強いか」を競うのとノリがそっくりだった。
    おもろない芸人は、生きる価値すらない。それが漫才という格闘技の世界だ。

    M-1は、それまで吉本が掲げていた「アイドル路線」に終止符を打ち、「実力至上主義」の漫才ブームを作ったきっかけとなった。

    記念すべき最初のM-1決勝は、若手芸人にとって、何もかもが異例尽くしだった。
    収録現場の東京・砧のレモンスタジオには、オンエアのおよそ5時間前に招集がかかった。通常の番組では考えられない念の入れようだった。入り口にはレッドカーペットが敷かれ、ロビーには一万円札を1000枚並べた透明の巨大なアクリルボードが掲げられている。楽屋で待機していると、そこへ審査員を務める島田紳助や松本人志ら生きる伝説たちが激励に訪れた。怒濤のごとく押し寄せる「非日常」に、芸人たちの平常心は少しずつ蝕まれていった。

    第一回大会で決勝に進出したユウキロックはこう語っている。「大会というより、全国のゴールデンでネタをやるということの重責ですよね。そんなこと、20年近くなかったわけでしょう?ここで俺らがコケたら、この番組の道は閉ざされてしまう。だから重苦しい雰囲気でしたよ。会話があるわけでもなく」

    かつて、M-1はあくまで通過点のはずだった。ところが、今や目的そのものになりつつある。漫才のメジャー化と競技化に拍車がかかり、本質から遠ざかっていってしまっている面も否めない。

    ユウキロックの元相方、ケンドーコバヤシは、M-1によってお笑い界に急激な路線変更が行われたことに苛立ちを覚えている。
    「漫才愛を語るヤツが増えた。おれ、法律がなかったら、そんなやつ、その場で顎カチ割ったろうと思いますもん。カッコ悪いことすんな、と。あいつらにはあいつらなりの矜持があるんやろうけど、俺には俺の矜持がある。そこは絶対、交わらんやろな」。ケンドーコバヤシは論をぶつ人間を嫌悪していた。

    一方、第一回大会の王者、中川家の剛はM-1に感謝を述べている。「それまで漫才っていうのが、カッコ悪いみたいな風潮があったんですけどね。M-1が始まったことによって、漫才が、芸術品みたいに、ちゃんとみてくれるようになった。急に漫才し始めたコンビ多いですよ。今までコントしてたのに」


    4 笑い飯、M-1の舞台で花開く
    2002年のM-1で決勝に進出した笑い飯。奇想天外なネタで紳助、松本ら重鎮から高得点を獲得する。
    紳助は首を傾げながらこう評した。「完成してないのが、僕は、変におもしろかったですね。はまってしまいましたね。風呂沸いたと思って入ったら沸いてへんみたいなね」
    「完成」よりも「新しさ」。審査委員長自ら、M-1の審査基準を新しく規定したのだ。

    M-1予選の名物MC、はりけ〜んずの前田登は笑い飯の功績をこう讃える。「笑い飯がいたから、マヂカルラブリーとか、ランジャタイとか、『あれは漫才か』と言われるようなコンビが今も勝ち残れるんやと思いますよ。笑い飯が既成概念を壊してくれたことで、M-1は、ああいう変わったスタイルでもきちんと評価する大会だというイメージが定着しましたから」

    2002年の最終審査は新しさの笑い飯、完成度のフットボールアワー、王道のますだおかだが激突。ますだおかだが勝利を収めた。当時はまだ「誰がおもしろいかではなく、誰がふさわしいか」で決められていたフシがあった。松本は新しさ基準、紳助はプロデューサーという立場もあってやや王道基準に傾いたようだった。
    笑い飯は、新しすぎたのだ。

    倉本は言う。「ダウンタウン以前、ボケでもツッコミでも、両方でしっかり笑いが取れるコンビはいなかった。今は、千鳥がその道を正しく受け継いでいる気がしますね。ただ、笑い飯は今も継承者が現れていない。出てくれば、また、笑い飯の再評価につながるんでしょうけど。二人は今も唯一無二、孤高の存在ですね」

    2003年のM-1、笑い飯は「奈良県立歴史民俗博物館」を披露し、会場を爆笑の渦に巻き込む。笑い飯の次番の2丁拳銃は完全に飲まれた。また、3つ後のフットボールアワー岩尾は、あまりのウケ方に体が固まっていたという。

    最終審査に残ったのは笑い飯、フットボールアワー、アンタッチャブルの3組。結果はフットボールアワーの勝利だったが、4票対3票の激戦だった。


    5 M-1を勝つためのスタイル
    M-1には、漫才のスタイルによって有利不利がある。
    M-1の歴史上、おぎやはぎがそうだったように、どんなにおもしろく、どんなにうまくても、「静」の漫才が評価されたことはほぼない。熱が伝わりにくいからだ。ブラマヨや笑い飯のような「ケンカ漫才」が有利なのだ。

    第一回大会で松本に「50点」を突きつけられ、芸人人生のどん底に落とされたチュートリアル。彼らは05年のM-1でスタイルチェンジを図り復活した。「妄想漫才」の誕生だ。
    徳井「僕らはプロなんで、めちゃくちゃお客さんにウケるネタをやろうと思ったらできるんですよ。でも、ウケるネタと、おもしろいネタって、違うんです。M-1はやっぱりおもしろくなきゃダメ。相手はプロの審査員ですから。なんで、M-1を意識したネタをオンバトにかけたら、まあ、そうなるわな、と。オンバトの審査員は素人なんで」

    変ホ長調は、唯一アマチュアで決勝戦に進んだ女性コンビ。彼女たちの芸は漫才というよりも世間話である。中年女性二人による極端なローテーション漫才は、予選会場で大爆笑をかっさらう。しかし、決勝の舞台で「引きの漫才」は明らかに分が悪い。結果はビリ2だった。
    変ホ長調・小田「楽屋に戻ってきたときの空気がすごかったんです。チュートさんが会見でいない間、お通夜みたいで。舞台にいるときは祝福モードだったんですけど、もう、誰もしゃべれへん。後藤さん、めちゃくちゃ悔しそうで。怖過ぎて、見てられんかったわ。あんとき、とんでもない場所にきてしまったんやなー、って。笑い飯さんも、床に座り込んでいて。あの光景がいちばん衝撃的だったかも」

    M-1は出場回数を重ねれば重ねるほど周囲の期待は高まる一方で、新鮮味が薄れていく。そのため芸人が越えなければならないハードルは高さを増す。2007年、03年から4年連続出場中だった麒麟は準決勝で敗退。6年連続出場の笑い飯、二大会ぶり4度目の千鳥も、決勝には残ったが、予選で強烈なインパクトを残しているわけでもなかった。

    ネタ順5番目のトータルテンボスは、1番から4番までのコンビ(笑い飯、ポイズン、ザブングル、千鳥)のウケが悪かったため、「タメが出来た」と確信する。6番手のキングコングの梶原は「トータルテンボスが温めてくれるから、そこに乗っかれる」と思っていた。
    実際に、トータルが「爆発」させたことで、会場の空気が一気に緩んだ。人間はリラックスしているときの方が寛大になる。それはキングコングのときに最大限、有利に働いた。西野は「最後まで気持ちよくできた」とニンマリする。

    しかし、誤算があった。敗者復活枠のサンドウィッチマンだった。
    西野「会場も、テレビの前の人も、敗者復活からの大逆転劇を期待しているのがわかった。コンクールは『今年はこいつや 』みたいなの、あるじゃないですか。それが決まると、ひっくり返せない。サンドさんはチャンピオンになる雰囲気をすでにまとっていましたね。」

    とろサーモンの村田は、笑い飯、麒麟、千鳥時代のbaseよしもとの様子を呆れ気味に振り返る。
    「おもんないやつのネタは絶対、笑わないんですよ。舞台の袖でも、舞台で一緒になんかやってるときも。笑ったら負けやから。『なんでおれが笑わなあかんねん』って。今考えたら、あんな殺伐とした劇場ないですよ。笑いをつくってる場所やのに、なんでケンカ腰やねんていう」
    客もそんな芸人たちに感化されていったという。
    村田「おれら刑務所の慰問にきてるんちゃうかなというぐらい、お客さんの背筋がピッとしてるんです。そんで『ちゃんと笑かしてくださいね』『そのボケ、前見たから』みたいな顔をしてる。あれも笑い飯マジックですね。笑い飯が、そういう客にしちゃったんですよ。人気路線でやってきた芸人はそういう客に馴染めず、どんどん淘汰されて行きましたね」

    その当時「イジリ芸」を笑い飯に邪険にされていたNON STYLE井上は彼らに反発を覚えていた。
    「笑い飯さんがトップにいた頃のルールは 『芸人はおもろければいい』やったと思うんです」
    笑い飯は、客がクスリともしていなくても、平然としているところがあった。いや、むしろ、そんな状況すら楽しんでいる風だった。だが、井上のルールは違った。
    「自分の中では、おもろいことがいちばんではなくて、客が笑ってることがいちばんなんで。笑い飯さんのためにお笑いをやっているわけでもないですし。笑い飯の二人に認められるよりも、1億2千万人に 『井上、おもしろい』って言ってもらった方がいいじゃないですか。笑い飯に認められても、売れなかったら意味がない。それより、笑い飯に認められてなくても売れてるやつのほうが偉いやろって思っていたんで」

    石田はイジリ芸を捨て、「二重ツッコミ」というスタイルチェンジを図り、優勝を掴み取った。
    石田は、優勝が決まった瞬間、子どものように声を上げて泣きじゃくった。
    石田「M-1はウケるだけでは勝てない。それ以外のところで審査員をいかにうなずかせるか。完成度でもいい、人間味があふれているというのでもいい、とことんバカっぽいというのでもいい。僕らはそこを 『新商品』を開発することで突破できた」

    2010年、スリムクラブは「超スロー漫才」でM-1史上最大と言われる革命を起こした。「間」をこれでもかというほど贅沢に使ったのだ。

    スリムクラブの誕生について、事務所の先輩芸人ひーぷーは、まさか真栄田と内間がコンビを組む日がくるなど考えたこともなかったと話す。「賢の世界観と、内間の世界観が、あまりにも違い過ぎて。二人を知っていたら、くっつけようなんて思う人いないんじゃないですか。でも、言ったら、ゴッホとピカソですよ。タイプは違うけど、二人とも天才。常人では考えられないようなところがある。だって、普通、あんなにに待てないですよ。しゃべり続けるよりはるかに難しいでしょ。あんなに待ったら、何も言えなくなりますよ。タイミングがわからなくなる」
    漫才師は、ほぼ例外なく間を恐れるのだが、内間はその逆を行ったのだ。

    多くのケンカ漫才をする芸人が北風だとすれば、スリムクラブの漫才は太陽だった。その温かい笑いで、会場を包み込んだのだ。


    6 笑い飯、優勝。だが…
    2010年、笑い飯M-1ラストイヤー。僅差でスリムクラブを躱し、ついに優勝をかざった。

    しかし、笑い飯は優勝しても、ほとんどテレビに使われていない。
    朝日放送の山口はこう語る。「笑い飯さんが優勝したからといって、じゃあ、どんな番組を、どうやればいいのか。そのアイディアも、エネルギーも、なかなか湧いてこないというのが実際のところでした」
    インディーズ時代からの盟友である芸人の梶は、二人をキャスティングすることの難しさを、こんな面から指摘する。「笑い飯はキングですから。テレビとか、ライブとか、頭じゃないと似合わないんですよ。その点、千鳥とか麒麟はサブでもいける。でも、局からしたら、何の実績もないうちから頭というのも難しいじゃないですか」
    奥谷も似たような感想をもらしていた。「笑い飯は誰かのエンターテインメントの一部になる芸人ではない。笑い飯そのものを消費していただけますか、という売り方の方が合っている。ただ、その売り方ができなかったところはあるかもしれませんね」

    優勝後、今後の活動に向けた話し合いの中で、メジャー志向の哲夫と非メジャー志向の西田で意見が対立し、コンビ仲が悪化していく。
    笑い飯の現状に対し、とろサーモンの久保田は苛立ちを隠さなかった。「昔ね、哲夫さんとか、よう言ってたんです。芸人がグルメロケに行ったり、情報番組でアイドルとからんだりするのを見て 『おもんないよな』って。でも、それをできてたら笑い飯は変わっていたかも。おもろいことなんて言わなくてもいい。普通に求められることだけを返せてたら。そんな二人を見たくないという思いもある。でも、それを見せないと、おもろくても売れないわけでしょ?だったら、見せないといけないわけじゃないですか。漫才師の世界だけは、おもろいやつが売れることこそが正義だって笑い飯に教わったんですから。俺はそれだけを信じて、ここまで来たんですから」

    漫才ひとつでのし上がったという意味では、千鳥は、まさに現王者と言っていい。そのルートは、笑い飯が目指した道でもあったはずだ。愛弟子のような存在であり、また、ともに時代に抗い、そして新たな道を切り開いてきた同胞でもある千鳥に対し、今の笑い飯は、どのような感情を抱いているのか。
    西田「嬉しいですね。千鳥が売れたことで、ああ、おもしろかったら、ちゃんとこうなるんやなということを証明してくれたんで。自分がおもしろいと認めたコンビでもありますし」
    哲夫「(嫉妬は)まったくないんです。ほんま、二人の漫才が大好きなんで。負けてるとは全然思わないんで。そういう感覚じゃないんです」
    西田「千鳥になりたいかていったら、やっぱりなりたないですから。というか、なれない。テレビって、数字をとりたいんで、こういうこともやってください、みたいなときがあるんですよ。千鳥はそういうとき、おもしろくないもんをおもしろくできる。僕は楽しめないときは、ぜんぜん楽しめないんで。自分なりに、合わせてはいるんですけど、『売れるんだ 』っていう方向に思い切り舵を切れてないのかもしれません」
    哲夫は、そんな西田を理解し、最大限尊重していた。

    「会話がない」
    笑い飯の二人の関係性について、そんな話を何度聞いたことか。だが、彼らの漫才に触れるたびに思った。いや、漫才をやっているではないか、と。
    漫才とは、とどのつまり濃密な会話だ。3年近く笑い飯を担当しているマネージャーの大谷は最近、こんな風に話すようになった。「最初の頃は、二人一緒の仕事をいかに増やすかばっかり考えていたんです。でも最近は、それは漫才があればいいのかなって思うようになってきて」
    二人が立つステージからは、いつだって会話を超えた、魂のぶつかり合う音が聞こえてきたものだ。
    漫才師として、二人の関係が良好になること以上に大事なもの。
    それは、この響きの有無である。

  • M-1,漫才師の人生をかけたコンテストとは認識していたが、当事者の漫才さんにとっては名声も、人気も、収入も一気に手に入れることのできる、最大イベントである。

    でも、いつの間にやらいびつなものになってしまった。M-1は実のところ漫才日本一を決める大会ではない。漫才という競技の、M-1という種目の日本一を決める大会である。したがって、M-1で際立った結果を出せなかったからといって、漫才がつまらないわけでも、下手なわけでもない。

    「完成」よりも「新しさ」。Mー1は単なる「うまさ」を競い合うコンテストではない。このことが後々、芸人を勇気づける一方、苦しめ劇的なドラマを生む一方で悲劇を生んでいく。

    でもそこでの優勝者と敗退者のその後には雲泥の差がある。
    単にあははと笑っていたテレビ番組、漫才とは何か。笑いとは何か。その核心を、その真髄をのぞき見たようで、色んな方がM-1の審査員になるのを拒まれるのもわかる気がします。

    真剣に取り組めば取り組むだけ、それは狂気に満ちたものになっていく・・。

  • M1が好きな人間には堪らないでしょうね。
    読み出したらM1が見たくなり今年のM1を見直しました。
    共感する部分も一杯あるし面白いと思いました。
    「リングにあがった事の無い人間がプロレスを語るな」という言葉があります。
    漫才師の本当の事は漫才師にしかわからないと思います。
    これが漫才師の真実なのか。
    何でもいい漫才師は面白ければ。
    自分はそれで良いと思います。

  • 20年以上前から戻ってくるので自分の小中学生の頃から笑い飯というかM-1と歩んできたのかと勝手にアツくなりました。思ってたことに近くて、でももっと内部に起きてたこととか、二人のこと、周りの芸人さんのこともよく取材されておりとてもおもしろく読めた。

  • サンパチマイクを前に前に喋る、ただそれだけのことに人生賭けるのって確かに馬鹿だけど最強に格好良いな。
    自分の思うおもろいは何か、悩んで狂って…
    笑い飯と千鳥の若い頃のエピソードとか常人は笑いのためにそんなこと出来ないだろってことまでやってのける姿が描かれてて正直読んでて怖かったし、同業者ですら彼らの世界に迂闊に足を踏み入れられなかったのかと更に驚いた。
    漫才日本一の称号に恋焦がれて飛んで火に入る夏の虫の如く喋りひとつで戦っては散っていく姿、痺れるなぁ、そして厳しいなぁ、
    笑い飯の2人の唯一の濃いコミュニケーションが漫才しかないっていう不器用さも自分の思うおもろいしか信じない頑固さも全部魅力的。
    情熱的に描きすぎてる気もしなくは無いけど。
    熱すぎる内容だし、旧M-1や笑い飯に携わった人達の膨大な人間ドラマのことを考えると感想なんてまとまらない。
    とりあえず2023のM-1予選が始まる前に読めてよかった。

  • 2001年に始まったM-1グランプリ、最初の10年は笑い飯の歴史だったとも言われるらしい。2002年から8年連続で決勝ラウンドに進出するも優勝には届かず、2010年に悲願の優勝を遂げた笑い飯を中心に、M-1グランプリを掘り下げた一冊。

    審査員は一般のお客さんではなくプロばかり。4分間で、いかに笑いを詰め込めるか、という側面も大きいらしい。一般受けする方法とは違うものが求められると。M-1で優勝するには、普段の漫才とは全く異なるネタを準備しないといけないらしい。

    ダブルボケと呼ばれる独特のスタイルを続ける笑い飯、強烈なエピソードとして紹介されている「奈良歴史民俗博物館」と「鳥人(とりじん)」を、You Tubeで見てみた。確かに突き抜けた感が半端でない。

    終始、笑い飯が笑いにかける姿勢、狂気ばかりが紹介されていたが、エピローグでは、実は繊細、気遣いなどが、実の姿として記されていた。

  • 面白かった!

    ミュージシャンズ・ミュージシャンという言葉があるが、本書の主役である笑い飯はさしずめ漫才師’S漫才師だろう。

    観客の面白いことよりも自分たちの面白いことを追求する姿勢は芸人にはうけてもお茶の間には届きにくい。
    ネタ番組が増えたといっても、まだまだテレビでのバラエティ番組が一番映える(お金もそこについてくるのだろう)からお茶の間に届きにくい、もしかしたら届かせる気もない笑い飯はブレイクしきらない。千鳥のようには。

    ”M-1は甲子園や箱根駅伝に似ている。若者のがむしゃら
    さ、無鉄砲さが絵になる舞台だ。 ー 375ページ”


    笑い飯を主軸に於きながらスポーツ大会のようになったM1が語られている。なるほど、このようにしてM1はM1になっていったのか、と。

    笑い飯と同じくらい漫才師S漫才師であるおぎやはぎがM1に向かない、M1で結果を残してないのはおぎやはぎの引いた、凪のような芸風が大会の求める”熱さ”を提供しないからである。

    NON STYLE石田はこう語る
    ”「普段、お客さんが、あんなに集中して漫才を観ることってないですから。寄席や営業だと持
    ち時間は通常十分から十五分くらいなんです。ゆったり鑑賞する場。そこで、競技のための詰
    め詰めにした速いテンポの漫才なんて、誰も求めてないんです。もう一つ言うと、競技用漫才
    のネタって、熱量が高い。でも、劇場でいきなり熱量の高い漫才をすると、お客さん、びっく
    りしちゃうんです」 ー 371ページ”

    途中で麒麟川島へのインタビュー場面を通じて著者は本書のように笑いの舞台の裏側をドキュメントで語ることは野暮なことではないか? と自問自答している。

    ケンドーコバヤシは「中村さんのやっている行為が、一番寒いと思いますよ」「笑いの解説とか解析とか。そんなん、教える必要あります?」(144ページ)とつっこむ。


    自分もそう思わなくもないけれど、くだらないものと思われていることこそ語り継ぐ必要があり、それも人文系の役目なのだなという考えも読み進めるうちに湧いてきた。

    例えばアメリカではジャズやヒップホップを大学で研究し教育しているし、日本でもマンガを研究し教えている大学もある。

    お笑いに焦点を合わせても古典落語を大学の文学部で研究していると聞いて、それが野暮なことだとは自分は思わないし、実演家でない人間が研究し、それは何かと突き詰めて(要するに評して)語り継ぐことが必要なことだとすら思う。

    本書の中でも触れられているようにこれまでの漫才とM1の漫才は似て異なるものになっていくのかもしれない。マヂカルラヴリーのコレは漫才か論争もあったけれど。だとすれば、なおさら、M1とはなにか? というのについて取材した本書のような書籍は必要になってくるのだろう。


    最期に2022年大会でのヨネダ2000の「ロンドンで餅つき」ネタは笑い飯の「奈良歴史民俗博物館」ばりのしょうげきを残したのではないか? とか思った。

  • 本作は今では年末恒例の巨大イベントになったM-1にかける芸人たちを追いかけたノンフィクションが本作だ。お笑い番号は滅多に見ないという人でも、M-1はとりあえずみるという人多いんじゃないだろうか。ちなみに自分は休止前は見ていたが、復活後は一度も見てない・・というカテゴリーの人間である。

    本作はM-1の中でもその休止前までを主に取り上げている。主役に位置するのは、M-1の申し子と言ってもいい笑い飯。ダブルボケで強烈な光を放った彼らが突然M-1の舞台に出てから前期最終年に優勝するまでをいわば縦軸に、各年の優勝コンビを横軸にして、M-1に挑む芸人たちの狂気を描いている。

    自分はたまたまM-1の決勝にでた芸人に知り合いがおり、彼らの単独ライブを見に行ったことがあるのだが、お笑いもあのレベルまでいくとスポーツに近いというのがよくわかるイベントだった。M-1はその中でも短距離走と言われるほどの爆発力が求められる領域だ。
    そこで優勝するためには「クラスでちょっと面白い」ぐらいのレベルではなく、1年間M-1で優勝するためにあらゆる努力をしなければならないことが、本書を読むと痛いほど伝わってくる。

  • ノンフィクションライター中村氏がM-1の始まりからこれまでの関係者インタビューをもとに執筆。
    M-1の歴史とともに歴代最長ファイナリスト出場記録をもつ笑い飯が必然的にスポットになる。彼らと千鳥との関係エピソード、過去のM-1出場者それぞれの舞台での心境など、知られざるエピソードが満載。
    結果、本書を読みながら、2001年から2010年までのM-1をAmazon primeで全て視聴。その時の出場者の心境や背景を知りながらM-1を見ることで新たな楽しさを発見。

  • 日本がボイコットとしたモスクワ五輪が開催された1980年の新春早々、突如として漫才ブームが沸き起こる。朝起きたら漫才ブームだったそんな感じだった。

    というのもフジテレビで毎日曜日21時の『花王名人劇場』の枠で漫才を放映してみれば高視聴率。エンタメ路線に舵を切ろうとしてたフジテレビにとっては新たなコンテンツ候補。早速ゴールデンタイムに『THE MANZAI』と銘打ち、放映すればまたもや高視聴率。

    出演したのはB&B・ツービート・紳助竜介・ザぼんち・のりおよしお・サブローシロー…。以来しばらくはどのチャンネルも漫才、漫才。中でもアイドル的人気をほこったのがザぼんち。僕的には何が面白いの…と思ってたけど。そのブームも、漫才師のネタ切れと露出の多さから飽きられ、ザぼんちが武道館Live⁈をやる頃にはすっかり下火となり、82年にフェイドアウト。

    当時の漫才って、島田洋七・ビートたけし・島田紳助らのボケが圧倒的に目立ち、ひたすら喋りまくりツッコミはあくまでも添え物然としてたたずむ、熱量あふれる高速漫才スタイル。

    ツービートの漫才は『毒ガス漫才』と呼ばれ、社会風刺を放送禁止・差別用語キワキワでぶった斬る、今なら放送出来ないネタのオンパレード。それに比べるとウエストランドの毒舌漫才なんて可愛いもの。

    一方、各々の相方 島田洋八・ビートきよし・松本竜介のツッコミ三銃士は『うなずきトリオ』を結成。竜介の『んなアホな!』・洋八の『なんでやねん!』・きよしの『よしなさい!』というお決まりの引き出しなきツッコミを逆手に取ったトリオは悪ノリし、レコードデビューまでしてしまい、なんと大瀧詠一が作詞作曲。それもこれも、漫才ブームは東京が主導したからスケール感もデカかった。

    たけしや紳助ばかりが目立ち、ボケとツッコミが互いに機能しあう、所謂しゃべくり漫才に照らせば異端も異端。速射砲のごとく次々と繰り出す毒っけのあるボケそのものがニューウエーブで、漫才の形式を借りた『揶揄』と『風刺』の効いた漫談に近かった。それとたけしの場合は、明大工学部中退というインテリな経歴も一役買ってた。

    それらをつぶさに見てた者として、M-1に見る漫才のレベルの高さはもちろんのこと、あれは漫才ではないと物議を醸す新型漫才が出現するぐらい発展を遂げている。

    その先鞭を付けたのがダウンタウン。本書でもダウンタウンに影響を受けNSCに入学、M-1決勝での松ちゃんの評価に一喜一憂するエピソードが何度も登場する。

    私見ながら、ダウンタウンと村上春樹の出現は、それ以降の漫才及び文学地図を大きく塗り替えたと思っている。ゆえに影響を受けた亜流を多産した。マイクの前でボソボソうだうだ喋る漫才、比喩を多用したすました文体には大いに鼻じらんだけど、こと漫才ではツッコミのバリエーションを生んだ。

    浜ちゃんは漫才について多く語らないけど、ボケが作った笑いを『ツッコミが増幅』させる、その定型を作った第一人者である。

    くりぃむしちゅー上田&フットボールアワー後藤の
    例えツッコミ、さまぁ~ず三村の感情むき出しツッコミ、おぎやはぎ矢作のなだめツッコミ、千鳥ノブの嘆きツッコミ、ミルクボーイ内海の解説ツッコミ…といった具合に。

    そんな日々刻々と進化する漫才を仕立て上げたのが『M-1グランプリ』。芸歴15年までの漫才師がその年の漫才の頂点を目指す、毎年数千組の芸人が挑むお笑い界最大のビッグコンテスト。覇者ととなれば一夜にして富と人気を約束されるシンデレラストーリーが待ち構える。

    M-1の4分間はさながら格闘技に挑むアスリートのごとく…、本書は結成10年目にして頂点に立った笑い飯を軸にその戦譜を克明に刻む。

    M-1草莽期の覇者 中川家、打倒吉本に燃えたおかだますだ、松本人志の低評価に懊悩したフットボールアワー、異能コンビ笑い飯に背を向け自分たちの目指す笑いで覇者となったノンスタイル、笑いを追い求めるあまり精神疾患になったブラックマヨネーズ吉田、決勝本番直前に相方に深い感謝を述べたスリムクラブ内間…。

    本書は、漫才師が一夜にして寵児となるようにM-1自体が化け物イベントになっていく軌跡が綴られ、表紙をなぜ笑い飯が飾ったのかが理解できうる評伝でもある。

    笑い飯のダブルツッコミボケという斬新な漫才スタイルのみならず、NSC出身でない傍流を歩みつつも、ふたりの根幹に根差す『ひとが面白いと思うより自分たちが面白いと思うもの』という迎合しないウケを狙わない断固とした姿勢を崇拝する芸人も多く、ふたりの醸す狂気と熱情を炙り出していく。

    著者の取材も次第に漫才師たちの熱量が伝導したのか、取材を良しとしない芸人への食らいつく執念にも似た果敢さ、それを活写していく筆力にはただただ圧倒され、読後感はクタクタ。超力作。

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著者プロフィール

1973年、千葉県船橋市生まれ。同志社大学法学部卒。スポーツ新聞記者を経て独立。スポーツをはじめとするノンフィクションを中心に活躍する。『甲子園が割れた日 松井秀喜5連続敬遠の真実』(新潮社)でミズノスポーツライター賞最優秀賞、『勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧幻の三連覇』(集英社)で講談社ノンフィクション賞を受賞。他の著書に『佐賀北の夏』『歓声から遠く離れて』『無名最強甲子園』などがある。

「2018年 『高校野球 名将の言葉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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