- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784166614172
作品紹介・あらすじ
独ソ戦が日本の運命を変えた!陸軍の頭脳はなぜ挫折したのか?陸軍きっての戦略家・永田鉄山の後継者と目された武藤は、二二六事件の収拾に尽力、石原莞爾と争って日中戦争を推進したが、対米開戦には一貫して反対の姿勢を貫いた。にもかかわらず、東京裁判で最年少の死刑判決に――。昭和の難問を背負った男の本格評伝。
感想・レビュー・書評
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武藤章は途中で変節したのではなく、永田鉄山の後継者としての国防国家建設、そして対米戦回避という一貫した論理があった、と本書の冒頭にある。
なるほど、華北分離工作と英米可分を前提とした南進は資源確保目的。三国同盟はソ連を加えた四国連合による対米牽制志向から。英米不可分と認識を変えた後でも、南進が直ちに対英米戦とは予想せず。
ただし、独ソ開戦により四国連合構想は頓挫、日ソ中立条約もあって米の対日姿勢は硬化。更に、米の対日石油全面禁輸を予測しながらも、田中新一ら参謀本部の対ソ開戦を阻止するための南部仏印進駐。その後の日米交渉では、武藤自身はハル・ノート受領の時までなお対米戦回避を図っていたのだが。
この間、武藤の軍務局長時代の情勢推移が中心で、個人の評伝というより陸軍の、少なくとも軍務局の戦略構想を追うものにもなっている。
田中が起訴されない一方で、対米戦回避を志向した武藤の罪は死刑判決に値したのか。武藤個人はともかく、それが軍務局長という職責の責任か。それとも、少なくとも日中戦争や南進を志向し、それが対米戦に繋がったことからはやはり死刑に値するのか。 -
武藤章の戦前の活動がよくわかった
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昭和陸軍といえば、川田先生。今回は永田鉄山の後継者ともいえる武藤章を取り上げている。
武藤は陸軍内部ではいわゆる「統制派」の中心人物として、大東亜戦争開戦直前の日本の外交、政治をリードしてきた人物の一人でもあった。他の陸軍軍人と同様、地位があがることによって視野が広がり、それまでの方針を変更していくという過程は同じ(例えば、石原莞爾も似たような思考変化を見せている)で、その点は興味深かった。特に興味深い点が、石原と対峙したものと同じことを、開戦前に田中新一と立場を変えてやったのは、因果応報というものか。
どちらかというと軍政家であり、永田鉄山の理想を忠実に踏襲していく。いわゆる「昭和陸軍」を構成した中心人物であることは間違いなく、さらに永田の構想を時期に沿って発展させていこうとする力もあった。ただ、自身の人脈が政治方面に偏った結果、陸軍内部での支援者を持てなかったことが、その後の失脚につながったのではなかろうか。
流れからいくと、川田先生の次の対象は田中新一だろうか? -
総力戦に備えるために総力戦を起こしてしまったわけで、専門技術者(この場合は軍人)が大きなことの舵取りをしたらあかんなあと思います。
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A戦犯で最年少で処刑された武藤章についての本。
と言っても、取り扱う時期は、日米戦争決定に向かうプロセスが中心で、武藤章を中心とした戦前の意思決定プロセスを解説するという感じか?
武藤章はなんとなくあまり深く考えない武闘派というイメージを持っていたのだが、この本によるとなかなかの戦略家のようで、日本が勝つ見込みのない対米戦争を避けるべく最後まで頑張っていたらしい。
その戦略の鍵は、日独伊の三国同盟にソ連を入れた四国同盟を作り、英米などと対応することで、勢力均衡をはかり、アメリカとの戦争を回避しつつ、南方の資源を獲得すること。
四国同盟はできなかったが、日ソ流立条約は締結することに成功し、アメリカにもある程度対抗することに成功するが、独ソ戦が始まってしまい、その戦略は崩壊する。
そうした中で、次なる戦略がな買った武藤は、対米戦争積極派の論陣を破ることができなくなり、現地に飛ばされる。
このあたりのダイナミズムは、やはり歴史の奥深さがあって、なんとなくのイメージで人を判断してはいけないと改めて思った。 -
【昭和陸軍キーパーソンの本格評伝】昭和の戦争に大きな影響を与えた武藤章。陸軍をリードしつつ対米戦反対という「つかみにくい」人物とされる。その思考を解き明かす。