- Amazon.co.jp ・本 (245ページ)
- / ISBN・EAN: 9784260009546
感想・レビュー・書評
-
この本も医学書院のシリーズ「ケアをひらく」の一冊。帯に「私は何をしてこなかったか」とある、向谷地さんの本。「何をしてきたか」ではなくて「何をしてこなかったか」というところに、べてるの家のつくりかたがあるのだと思う。
どの章も、おもしろくてびっくりしてナルホドーと思ったり、ホンマかいなと思ったりする話が満載だが、そのなかでもとくに「プライバシー」のことと「質より量」のことを書いたところが私にはおもしろかった。
「隠せば隠すほど疎外感は強くなる」と小見出しのついたところでは、西坂自然さんのメッセージが引かれている。
▼…こうやって書いていても「病気を公開したらプライバシーが悪用される事態」がいったいどんなことなのか、私にはうまく想像がつかない。もし病気や弱さを公開して生きづらい社会なら、それは健常な人にとっても、きっと生きづらい社会に違いない。自分を強く見せて、欠点のないように見せて生きる社会、弱さを見せたらデメリットになる社会は、誰にとっても生きづらい社会であり、弱さを安心して見せられる社会のほうが皆が暮らしやすい社会だと思っている。…
たしかに病気の体験を人に知られるデメリットは、いまも社会にはある。しかし私は、病気だということを、いま誰かに知られてもほとんどデメリットのない価値観のなかに生きている(それが日本中にひろまったらすごくいいが)。そして、"病気の体験を人に知られる"ということは、私に新しい可能性をもたらすもっともメリットのある暮らし方となっている。(pp.177-178)
「専門家は「量的な世界」への媒介者」と小見出しのついたところでは、浦河という地がけっして"理想の地"ではないことが書かれる。
▼…浦河は、統合失調症をもって暮らすことを、隠したり、恥じたりしなくても住める場である。しかしそれは、地域の理解が進んでいるからではない。いつも言うように、浦河は「問題と葛藤に満ちた場」である。だからこそ当事者たちは、地域の理解にとらわれない暮らし方をしてきたし、逆にそのような問題に満ちた地域を理解しようとしてきた。
つまり当事者にそのような「主体的な生き方」を促したのは、良い人ばかりではない多様な人々が暮らす地域、すなわち量的な世界なのである。(p.201)
巻末には、こんどの「べてるまつり」にもいらっしゃるという木村秋則さん(『奇跡のリンゴ』の人)と川村さん、向谷地さんの鼎談がある。「農薬が多い国は"脳薬"も多い」話、「本来もっている力を取り戻す」話、そして「人間の北側」を観察するといいという話などが、笑いとともに語られている。「南側は太陽があって、みんな元気いいの。北側はお日様のあたりが少ないから本当の姿を見せるのさ。」(p.238)という木村さんの言葉がすごいと思う。
北海道の芸術の森美術館では5/30まで「片岡球子展」をやってるそうで、いいな~行きたいな~と思う。そのあとは旭川美術館へ巡回するらしい…旭川と浦河はだいぶ方角がちがうのでたぶん行けないだろうが、来月末には、本ばっかり読んでいたべてるの家の「べてるまつり」に、初めて行く。めっちゃ楽しみ。詳細をみるコメント0件をすべて表示