JunCture(ジャンクチャー) 超域的日本文化研究 第6号: 特集:触発するメディア

制作 : 名古屋大学「アジアの中の日本文化」研究センター 
  • 名古屋大学大学院文学研究科附属「アジアの
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  • Amazon.co.jp ・本 (244ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784305002969

作品紹介・あらすじ

名古屋大学「アジアの中の日本文化」研究センターが刊行する機関誌、『JunCture(ジャンクチャー) 超域的日本文化研究』第6号。[※JunCtureというタイトルには、日本文化を、学際的かつ国際的な研究課題の結節点(juncture)として捉えようという意味合いが込められています。]

学問のグローバル化という現代的な課題に対応するために、何をどう発信していくのか。一国主義的・自国中心的な意識や方法をいかに克服していくか。それらに具体的に取り組んでいく、実践の書です。

特集:触発するメディア●特集趣意

メディアとは、もともと媒介を意味している。とはいえ、メディアの機能が、すでにある情報を右から左へ流通させることにのみあると考える者はいないだろう。メディアは媒介する行為のさなかで、情報を生み出す。出来事に形を与え、文脈をつくり出し、送り手と受け手の関係を結び出していく。本特集で問題化するのは、媒介するという行為である。情報が媒介されて流通していくその過程は、決して単純な反復におさまるものではない。流れていく情報は、ときにねじれ、ときにずらされ、肥大化し、縮小し、想定外の方向へ流れ、接続し、切断され、消失もする。またメディアの形態や規模は、多様化し続けてきた。活字や画像や映像や、電波や電子の回路を越境しつつ情報は移動していく。流通のあり方はいくらでも不定型になり得、制御しきることは不可能である。とはいえ同時に問わなければならないのは、情報の流れが均一に不定型なわけではないということだ。情報は束になり、波となりうねりとなる。それが望ましい事態であることもあれば、そうでないこともある。新しい呼びかけに変成することもあれば、陳腐な語りがさらに再生産されることもある。媒介する行為は力を帯びている。誰にとって望ましいのか、誰にとって望ましくないのか。そのあり様を、問うてみたい。触発するという冠は、ジュディス・バトラーの『触発する言葉』から引用した。バトラーは、発話は行為なのかそうではないのかという問いをやめて、発話は行為でありかつ制御しきれるものではないと捉えることによって、発話の力を論じると同時にその効果が反乱となる可能性を示した。メディアもまた、excitable(=触発する/される)なものである。媒介されることで引き起こされた事態の評価もまた、複層的になるはずだ。何がどこでどのように伝えられてきたのか、私たちはいつ誰と結び合っているのか。メディアの責任と可能性を問いつつ、その動態を示したい。

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