- Amazon.co.jp ・本 (520ページ)
- / ISBN・EAN: 9784305707758
作品紹介・あらすじ
連歌は作品として、「百韻」であり「千句」である。連歌作品を、読む。連歌の本質を、考える。
連歌作者心敬が張行した『落葉百韻』『寛正六年正月十六日何人百韻』『「撫子の」百韻』の訳注と、心敬の連歌についての論考を収める。
本書からは、京都在住の心敬の詩歌、詩学の精神が、宗祇ら同時代を生きた連歌師の作風や動向と共に浮かび上がり、百韻をさばいていく連歌師と一座の人々の一句ごとの息づかいがよみがえってくる。
【これは撰集であるが、…複数の読者の様々な見解や解釈が、それぞれに有益であるとともにいかに示唆的かつ刺激的であるかを痛切に感じた。連歌の実作の場もこのようなものではなかったかと想像する。あらためて連歌の注釈は個人ではなく、複数の読み手が必要だという思いは深くなっていった。
今回、伊藤さんに、二人で心敬連歌を解読する機会を提案されて非力ながらお受けしたのは、如上の経験を生かした試みをより深化させた形で実現できると考えたからである。】…「あとがき」(奥田勲)より
○『落葉百韻』
本能寺第四世日明上人が、心敬を宗匠に迎え、心敬や正徹とも関係の深い清水寺、東福寺の僧や、畠山氏の被官である武士たちを連衆として張行した百韻。一条兼良の発句を拝領している。成立は康正二年(1456)から寛正六年(1465)の間である。
○『寛正六年正月十六日何人百韻』
寛正六年(1465)正月十六日に、心敬を宗匠として、専順、行助、宗祇、宗怡ら連歌師と細川氏と関係の深い僧実中らが張行した百韻。宗祇と心敬がはじめて同座した百韻連歌かと考えられ、有力連歌師の出句数も多く、応仁の乱直前の京都の連歌界の状況がわかる。また『所々返答』第三状の題材になった付合も含まれる百韻である。
○『「撫子の」百韻』
心敬を宗匠に、細川勝元とその家臣らが専順、行助、宗祇ら連歌師と張行した百韻。発句は勝元が詠んでいる。心敬が在京時に密接な関係をもった細川右京兆家とその廷臣が連衆であり、多くの連衆が『熊野千句』と重なり、『熊野千句』と近い時期の張行と注目される。成立時期は文正元年(1466)夏以前。