日記文化から近代日本を問う: 人々はいかに書き、書かされ、書き遺してきたか

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  • Amazon.co.jp ・本 (568ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784305708885

作品紹介・あらすじ

近代日本の日記文化論へ向けて、ここからはじめる。
虚実が入り混じり、読み手の解釈によりさまざまな相貌を見せるうえに、書き手が想像しなかった意味をも見出すことができるテクスト、日記。本書は知られざる他者の手による無数の日記に向き合うことで、多数の新鮮な「問い」の磁場を発見し、分析していく。
果たして人々は、日記をいかに書き、書かされ、書き遺してきたか―。
歴史学、文学、メディア学、社会学、文化人類学等、多数のジャンルの研究者たちにより、近代日本の日記文化を、史料・モノ・行為の三点を軸に明らかにしていく。
執筆は、柿本真代/河内聡子/新藤雄介/中村江里/川勝麻里/大野ロベルト/中野綾子/康 潤伊/堤ひろゆき/徳山倫子/磯部 敦/高 媛/大岡響子/宮田奈奈/西田昌之/松薗 斉/島利栄子(以上、執筆順)。

【本書を手に取る全ての方々へ。本書全体を通じて検討したのは、史料・モノ・行為の三点を軸に、近代日本の「日記文化」の実態の一端を明らかにすることであった。それは本書の副題に即して言えば、人々はいかに書き、書かされ、書き遺してきたかという大きな問いを一歩一歩検証するための各論的考察であったとも言える。しかし、「いかに」の問いの検証が遂に明らかにしえないのは、本書の特別対談でも話題になったように、人は「なぜ」日記を綴るのか―すなわち人間の書くことの欲望は何に由来するのかという根源的な問いである。人はなぜ、過去から現在に至るまで、そして未来においても、自己に関わる出来事を、のみならず自己の内面を言葉に托し、書き留めるのか。「書かされた」としてもそこに潜在する書くことの欲望を支えるものは何か。根源的であるゆえに容易に答えがたいこの問いに、本書を読む一人一人が考えを及ぼして下さることを期待する。本書で検討した「いかに」の事例が、そのための縁として役立つとすれば、望外の喜びである。】……「あとがき」より

感想・レビュー・書評

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  • 【新着図書ピックアップ!】2006年、ICU元教授の福田秀一(ふくだ ひでいち)先生が急逝後、教え子の著者は膨大な福田先生蔵書のリストを作成し、蔵書の中で最大の割合を占める日記関連の資料の目録化を行った。本書は若手研究者の17点の論文が収められ、研究会「近代日本の日記文化と自己表象」の活動と学際シンポジウムの成果を発表するもの。人はなぜ日記を綴るのか?和歌や海外の日本文学などを研究した福田先生の研究の遺志は再び花開く!

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著者プロフィール

1986年大阪生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了、博士(文学)。
日本学術振興会特別研究員、仁愛大学人間生活学部講師を経て、現在京都華頂大学現代家政学部准教授。
論文に、「教育手段としての日記が定着するまで─明治期少年の『日誌』にみる指導と規範」(田中祐介編『日記文化から近代日本を問う』笠間書院、2017年)、「少年少女雑誌と日記帳─博文館・金港堂・実業之日本社を中心に」(『大阪国際児童文学振興財団研究紀要』34号、2021年3月)、「夏休みの日記の成立と展開―「夏季休暇日誌」から「なつやすみの友」へ」(田中祐介編『無数のひとりが紡ぐ歴史 日記文化から近現代日本を照射する』文学通信、2022年)などがある。

「2023年 『児童雑誌の誕生』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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