- Amazon.co.jp ・本 (449ページ)
- / ISBN・EAN: 9784306043060
感想・レビュー・書評
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パタンランゲージの意味するところが分かった気がした。
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選んだパターンの品ぞろえが違和感なく組み合わさるのが言語の文法を満たしていることにたとえてランゲージなのだということなのだと理解しました。
複数パターンの合成をアーキテクチャに落とす技術が書いてあるのですが、おのれの内から湧き出るのだそうです。こう進めていけば正解が決まるというものでもないのですね。実際そうだろうなと思うけど。
「形の合成に関するノート」によって、ある程度機械的に決められるということなのかなと勝手に思っていたので、とても驚きました。再読するとまた発見がありそう。 -
"パラーン・ランゲージ" という言葉を耳にするようになったのはいつ頃からだっただろうか? その記憶は定かではないけれど、今頃になって、やっとアレグザンダー著の本書を読んだ。「やっぱ、これを読まなきゃダメでしょう?!」と言われてのことなんだが…。
わからん…。 (><)
いや、難しい単語や数式が出てくる訳ぢゃぁないんだ。言ってることはすべて分かる。確かに似たようなことを考えてたことはあるのだけれど、彼の言わんとしていることは、ボンヤリとした霧の中にいるような感じのまま、最後まで晴れることはなかった。「結局、パターン・ランゲージってなんなの???」と、読み終わった今も、頭の中に大きくクエスチョンマークが残っている。
確かにそこにはあるのだ。メタな類似性や、その類似性の相互作用が。ぼんやりとして縁取りのハッキリしない雲のような感じではあるのだけれど、けして "ない" のではなく "ある" のだ。それを明確に認識できないのは、読み手である私の方の問題なのだろう。
本書は 1993 年に初版が発行された古い本だし、著者は建築家であって、ソフトウェア開発者ではない。なのにソフトウェア技術者に多く読まれているばかりか、パターンのバイブルのような存在であるらしい。…だが、私にはそれは薄ボンヤリとしか分からない。残念ながら…。
もう、けして若くはない年齢に達しているのだが、どうやら学ぶべきことは尽きることがないようだ。いつの日か「アレグザンダーはこんなこと書いてたけどさぁ〜」などと言いながら、おいしいお酒を飲めるように、大きく目を見開いて、さらなる経験を積んでゆきたいと思っている。 -
本質はモノとモノとの関係性に隠されている
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建設という時を超えた一筋の道がある。
それは、行く千年の大昔から今日まで連綿と続く道である。
コンピューターシステム作りは何を理想として行えばよいか近年なやんできた。よく言われる、プログラムとしての美しさ、作成プロセスの安定や効率化、作成コストや期間の縮小、技術のコモディティ化、顧客要求への合致、ビジネスニーズへの貢献、使い勝手の良さ、などの価値を受け入れようとしても、私自身の理想として心から追求する気にはなれないからだ。
冒頭の文に一つ手がかりがあるように感じる。コンピューターシステム作りを”千年の大昔から今日まで連綿と続く道”にのる行為と考えれば、千年の大昔から人々がずっと望んできた理想に結びつけることができはしないか。
「煉瓦工よ何をしているのか」「煉瓦を積んでいる、壁を作っている、大聖堂を作っている」の有名な寓話、この本に照らすと意味の階層をもう一歩すすんで「時を超えて物を思う場を作っている」といえる。コンピューターシステムを作るとは何をしているのか?私のいままで考えたことは、せいぜい壁どまりだった。ビジネスニーズへの貢献が大聖堂にあたるだろう。そこでもう一歩考えるんだ「それは、何なのか?」。いつの世も、どんな人もよしとするような普遍的なよさとして、何なのか?
そう考えてみると、コンピューターシステムと一括りにできないことに気づく。
それは、遠くに行きたい、もっと知りたい、交流したいという気持ちをかなえることかもしれないし、目や耳や手やの力を拡張・増強したいのかもしれないし、面倒や争いを避けたいのかもしれない。遊び、学び、くつろぎ、刺激、熱中するものかもしれない。カジュアル、フォーマル、リチュアルな出来事かもしれない。建物に、町に、地域にそれぞれの文化や言葉があるように、システムもその位置づけ、そこでおきること、かかわるひとによって根本的に性質が違うはずだと気づいた。
だから、それを作る仕事も一括りにはできない。もちろん共通する部分はあるのだけれど。