- Amazon.co.jp ・本 (363ページ)
- / ISBN・EAN: 9784306046207
作品紹介・あらすじ
語り継ぐべき純粋な建築観を復元した新訳。図版の選定までタウトの意思が反映された唯一の著作であり、その集大成となる大学講義録は、経済優先の建築の貧しさ、風土性の欠如など、今日に通じる課題が満ちている。
感想・レビュー・書評
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ブルーノ・タウト著「タウト建築論講義」を読みおえた。
ここ日本においては桂離宮を「再発見」したことで有名なタウト。彼が建築家人生を通してこだわったのは「プロポーション(釣り合い/均整)」。それも図面やパース画の上にとどまらず、視差や錯覚も考慮した“プロポーション”。構造や技術はプロポーションに追従する。彼は建築のことを「プロポーションの芸術」と呼んだ。
たとえば、軸線を中心としたシンメトリーの構造は、「権威」や「非実存性」を象徴する。いっぽう「たおやかな曲線」や「小さなずれ/歪み」は「人間性」や「実存性」を醸す。
一見して表現主義に寄って見えるタウトの建築も、実際は「人間性を表象する均整」の理論的実践だった。
そんな折、朝鮮民主主義人民共和国が水爆実験に成功したというニュースが流れてきた。核爆弾のキノコ雲はシンメトリーであり、それゆえ国威発揚のプロパガンダになる。彼らは核兵器は軍事的抑止力というより、政体の安定性を謳うための象徴(メンツ)として利用しているように見える。
同じようにコロッセオを起源とする円形競技場も、ひとつの権威の象徴だ。いくら新国立競技場を「負ける建築」を導入してみても、それは軸線上のシンメトリー構造を脱しない。またそれは、一度に8万人の匿名性を生み出す非実存の大劇場である。
話をブルーノ・タウトに戻す。
ドイツで建築家として成功をしたタウトは、後に社会主義革命を夢見てロシアに渡る。だがロシアの硬直的な建築界に失望して戻ったドイツは、既にナチズムに覆われていた。共産主義者として祖国を追放されたタウトはその後スイス、ギリシャ、日本などを経て、遂にトルコで客死する。
権威に翻弄されたタウトは、シンメトリーな構造の象徴性をいっそう嫌悪していたのだろう。桂離宮が天皇の別邸であり、権威を離れた安息の場所であったことが彼の心をとらえたのか。
いずれにしても、タウトの「偽物の権威を信用するな」という声が聞こえてくる。実はシンメトリー構造は最も安定的に見えて、美感の安易な解決に過ぎず、不確実性の糊塗するものでしかない。
タウトは「建築家が建築家として仕事ができるのは壮年期」という。時代の喧騒とエゴに左右されない理性を身に着けてこそ、優れた建築は実現する。そのために精神の成熟が必要だという。
若さや速さ、新奇性からは生まれえないもの。そこに現代が抱える問題の処方箋があるのかも。優れた建築は哲学だと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示