父を想う: ある中国作家の自省と回想

著者 :
  • 河出書房新社
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感想 : 6
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  • Amazon.co.jp ・本 (223ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309207049

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  • 国際的に著名な中国人作家による自伝エッセイ。文革時の農村の日々といってもただ懐かしむような筆致ではなく、どこか自己を突き放すような冷徹さがある。著者の父の世代がどれほど生活すること、生きることに精魂つき果たしたか、その日々が描かれる。一家を守るために肉体の限りを尽くし、子供たちの家を建てて所帯を持たせる、それが親というものの役割だと言わんばかりに命を削る父親たちはとてつもなく偉大であり、その父たちへのまなざしは尊敬と温かみで満ちている一方で、子どもに必要とあらば一瞬にして暴力装置が作動し、制御不能の移動式生き地獄と化すのは中上文学における父親っぽくて圧巻。そうかと思うと強く偉大なところだけじゃなく、ギャンブルに溺れて手をつけちゃダメなお金まですってすっからかんになって家族泣かしちゃって、それでどうしようもなくなって自殺未遂しちゃうようなダメな親父でもある。そのダメさというのがどうも責めるの責められない、なんというか楽しむということのやり方もわからずに生きてきて、それではじめてギャンブルの世界を覚えてしまったのが運の尽きというか、これは仕方ないんじゃないか?そこに音楽やらアートやら、映画やら文学やら、あるいはスポーツやら各種の趣味やらを持ち出して、ギャンブルよりもそっちの方がいいだろうと指摘するのは明らかに上から目線で貧しさというものの本質をわかっていない。貧しさというのは牢獄だ。限られた世界で生きるということだ。その世界の外にさらなる世界があるという可能性すら知らないことだ。本なんて読むのは怠け者だという世界のことだ。それは本を読むことの価値よりも、生活の価値の方が優先されることでもある。それが象徴的に描かれるのが、文革時の都市部の知識青年の放下の場面だ。これほどの格差の溝の深さはいかにして埋めようもないだろう。それで著者は小説と出会い、過酷な肉体労働の合間に文学修行をし、軍に入って村から逃れることができた。その罪の意識のせいか、全体的に後ろめたさが潜んでいるような気がするのは気のせいではないだろう。全体的に優れた散文詩のようでもある。アジア圏で村上春樹の次にフランツカフカ賞をとった作家でもあるが、まあ村上春樹とは対極的な位置にいるのかもしれない。

  • 映画やドラマなどを見ていると、大躍進や文革の時期の描写を見かけることがある。大抵の場合、それは北京などの大都会が舞台になっていて、同じ時間の田舎の農村の様子というのは、自分はあまり目にする機会がなかったので、新鮮に感じた。

    父、伯父、叔父の人生を著者である阎连科の目を通じて描く回想記。
    当時の農村と都会の対比、農村に暮らした人々の人生を丁寧に書いていて、深い敬愛を感じます。しかし時に冷静に回顧し、欠点と失敗を美談に仕立て上げない著者の鋭くい眼差しは、真に自分と身の回りの人々の人生と向き合ったからに他ならないと思いました

  • 文章や表現が美しい。
    自分の知っている中国の貧困層の生活様式を家族の温かさと生活の厳しさを交えて書かれていて、初心者にも大変読みやすい一冊だった。

  • 書籍についてこういった公開の場に書くと、身近なところからクレームが入るので、読後記は控えさせていただきます。

    http://www.rockfield.net/wordpress/?p=8574

  • 小学校の美しい先生、都会から来た女の子、下放で村を訪れた知識青年たち、難病を患う長姉、毛沢東語録、『紅楼夢』…。父の世代の苦労と努力は、次の世代を育む土嬢・陽光・雨水であった。人間の尊厳と人生に対する深い理解を示す傑作エッセイ。

  • 朝日新聞2016/07/03書評

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著者プロフィール

1958年中国河南省生まれ。80年代から小説を発表。2003年『愉楽』で老舎文学賞受賞。その後、本書を含め多数の作品が発禁扱いとなる。14年フランツ・カフカ賞受賞。ノーベル賞の有力候補と目されている。

「2022年 『太陽が死んだ日』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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