白の民俗学へ 白山信仰の謎を追って

著者 :
  • 河出書房新社
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感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309224534

感想・レビュー・書評

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  • 白山信仰を元にした、「しら」を巡る信仰の考察の本。
    白山の内容から、他地域のしらに関する事例や文献などがふんだんに盛り込まれている。
    そのせいか規模が大きくなりすぎて、白山信仰との関係が途中わかりにくくなってしまったけど、白山信仰を元にした「しら」の信仰を探っていくと捉えれば、多岐に渡った内容で、特に自分は全然知識がなかったので逆に引用元を読んでみようかな、と広がる部分が多かった。

    印象に残ったのは、再生を意味する「籠り」の稲の産屋、神の世話をする非人達の話、神はキヨメでケガレ、の部分。

    読み進めていると、シラも石神も似てるなと思う。
    どなたかが言ってたけど、大きな根の所は一緒なのかもしれない。

    最後の現代人に向けての無宗教への指摘はハッとさせられた。信仰が特別な事になってしまった近世は、これらの神を祀り生活の一部になっていた時代に比べて、辛いことなのかもなと腑に落ちる所もあった。

    著者の白山関係の三部作目にあたるらしく、時間を見つけてその他の本も読んでみようと思う。

  •  聖職者として畏怖される一方、死穢の象徴として賤視の対象ともなった被差別部落の人々。彼らがそのような聖と俗との境界に置かれたのは、人が生まれ死ぬ過程で避け難く排泄される「ケガレ」を一身に引き受ける吸収装置としての特殊能力があると考えられたためだが、著者はここに同じく出産と血の穢れのイメージを具備する「シラ(白)」の概念と「白山神」―浄化と再生を司る神―を重ね合わせ、被差別部落に白山信仰の多い理由を解き明かそうとする。

     生あるものを屠ることを生業とした人々がその業に悩まされ、ケガレを浄化し再生へと導く神に祈らねばならなかったことの必然を説くくだりは感動的。また、近代化の課程で「神なるもの」の姿が見失われた結果ケガレの概念のみが残り、これを人々が他者=被差別者にすべて押し付けた結果が被差別部落への賤視を温存させたことも示唆しており、考えさせられる所が多かった。終章の現代日本に失われた宗教=民俗の力を取り戻すべきとの主張も力強い。

     残念なのは構成が門外漢にとって不親切な点。あとせめて索引が欲しかった。

  • ふむ

  • 貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
    http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784309224534

  • 白山神社、あるいは白山的なるものを巡る冒険の書。今年の夏を決定した本。

  • 白山信仰を追った本。語学的側面や大陸の民族の信仰などともつなげて考えていて、壮大。先人の考えに更に自分の考えも加えている。ただ、ちょっとスケールが大きすぎてついて行けない部分も。

  • 気になる。

  • 民俗学への興味が一段と増した一冊。民俗学でタブーとされた闇の部分へ踏み込む。

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著者プロフィール

前田速夫(まえだはやお)

民俗研究家。1944年生まれ。東京大学文学部英米文学科卒。1968年新潮社、新潮社入社。1995年から2003年まで文芸誌『新潮』編集長を務める。1987年より、白山信仰などの研究を目的に「白山の会」を結成。主な著書に『異界歴程』『余多歩き 菊地山哉の人と学問』(読売文学賞)『白の民俗学へ』『「新しき村」の百年』『谷川健一と谷川雁 精神の空洞化に抗して』など多数。

「2022年 『未完のユートピア』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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