光秀からの遺言: 本能寺の変436年後の発見

著者 :
  • 河出書房新社
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感想 : 3
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  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309227436

感想・レビュー・書評

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  • 謎の多い明智光秀の実像にここまで迫るとは流石、御子孫だと感心しました。
    定説は容易には覆らないかも知れませんが、在野の研究者としてたったお一人でここまでの御活躍をされた事は素晴らしい事だと思います。
    勿論、専門家から見れば指摘すべき誤りもあるのかも知れませんが、明智光秀の汚名を晴らすのに多大なる貢献をされていると思います。

    「『麒麟がくる』はフィクションらしいけど、本当はどうなのか是非知りたい」

    という方にはお勧めです。

  •  明智憲三郎氏の歴史捜査はこれまで、本能寺の変の真相に迫り、信長脳を解き明かしてきましたが、今回はついに、氏の研究の本丸であろう明智光秀の生涯を照らし出します。

     丁寧に検証し推定された土岐明智系図を下地にして、京都・美濃錯乱、連歌つながりの玄宣、頼典義絶からの頼武合流、美濃攻めの線の頼純、義龍軍参陣武将リスト、越前称念寺と東大味の伝承、近江高嶋での義昭加勢など、相互の整合性を気にかけながら丹念に歴史のピースを組み合わせていくと、霧が晴れるように光秀の足跡が浮かび上がっていきます。歴史の渦に沈み込んでいた光秀の位置情報を、憲三郎氏は巧みな歴史捜査と誠実かつ強い探究心(その秘訣はエピローグで明かされます)でもって見事に突き止めることに成功し、私は読みながら我が事のように「ここにいたか!光秀!」という気持ちになりました。この、信長に仕えるまでの50年以上の歳月を氏の歴史捜査とともに辿っていくと、なぜ光秀は即戦力として抜擢され、なぜ生え抜きの信長家臣団をごぼう抜きして信長に重用され、またなぜ上洛早々に格式高い連歌会に参加できたのかなど、深く納得することができます。

     本書は「系譜編」と「生涯編」の2部構成になっていますが、プロローグにもあるように、生涯編から入って系譜編で逐一理解を深めたり固めたりする読み方がおすすめです。系譜編は、足利義材と義澄、土岐守護と土岐明智のグリッド、そこに細川や三好、斎藤らが絡んでさらに混乱、加えて「頼」の字の洪水という具合なので、よっぽど歴史に精通した方は別ですが、光秀という視座、物語の軸がないと土岐明智の系譜は頭に入りづらいと思います。ただ、土岐の系譜を知ることで、例えば上記の連歌の素養についてもそうですし、養子の秀満の実名、光遠に込められた意味もそうですが、明らかに光秀の見方は変わってくると思います。系譜編と生涯編の行ったり来たりをくり返して、じっくり読み込みたい作品です。

     本能寺の変についても、新たに紹介された史料によって明智説はさらに蓋然性を増し、足蹴事件についてはさらに一歩踏み込んだ推理が展開されます。光秀と家康のラインも、新たに木俣、喜多村、小畠と見過ごせない人物が登場します。また、第三章を読んでいると、戦国時代は「昨日の友は今日の敵」の連鎖である応仁の乱や明応の政変の延長線上にあり、本能寺の変は「兵は詭道なり」の極致であることを改めて思い知らされます。従来の陰謀諸説や怨恨説、偶発説は、本書および光秀プロジェクトHPで公表された「明智光秀全史料年表」を参照しながら、一つ一つ信憑性の検証をしていけばよいでしょう。いわれのない誹謗中傷や不毛な議論、根拠の薄弱な説は今後淘汰されていくものと信じています。

  • 系譜編が長い。

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著者プロフィール

1947年生まれ。明智残党狩りの手を逃れた光秀の子・於寉丸の子孫。慶應義塾大学大学院修了後、大手電機メーカーに入社。長年の情報畑の経験を活かした「歴史捜査」を展開し、精力的に執筆・講演活動を続ける。

「2019年 『明智家の末裔たち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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