臨床教育学 (教職教養講座 第 3巻)

制作 : 矢野 智司  西平 直 
  • 協同出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784319003242

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  • ナラティブアプローチー言葉を持たない言葉のない経験、言葉を与えられていない経験に言葉を与える、見つけていくことよりも、自分を呪縛し自分を抑圧するドミナントストーリーからの解放という問題意識が強い


    芸術体験を教育学の問題として語ることは難しい


    日々の実践制作が同時に研究として制度的に意味づけられるのは大きな意味がある

    理論を実践にあてはめるのではなく、実践のただなかで、理論が彫琢されること、研究する主体が研究する対象に巻き込まれその過程において主体と対象とがともに変容すること、命題的な知だけではなく、身体的な知にも依拠すること

    臨床ー誰かの受苦的体験を理解し、それによりそうことがまず求められる。

    臨床教育学は、他者の何らかの苦悩や悲哀や問題に寄り添いながら、いずれはその苦悩や悲哀や問題が癒やされ解決されることを願いつつ、そも困難な現実にあたる

    臨床教育学が、苦悩する人間に向き合うことを実践課題の一つとする

    臨床という語がもともと医学用語であったこともあり、臨床心理学においては、意識的・無意識的に医学の治療活動をモデルにしてしまっている。病気の診断と、治療により健康な原状に回復させることに類比的ないとなみになる。

    ところが、教育相談においてはそれ以上のこと、つまり「これまでよりももっと大きな自己と世界に対する展望を持つように助けること」、子どもの精神的な生まれ変わり、人格的な成長が目標とされる。だからこそ、子どもと共に同行同苦する共感的で、向上的な態度と自覚が必要

    臨床心理学が医学モデルに傾斜しがちであることに比して、臨床教育学が想定するカウンセリングやサイコセラピーはより、教育的なものでなければならない

    臨床教育学は、臨床心理学に学び、若い世代の無意図的で不随意的な形成や例外的だとされてきた問題を考慮することによって、自分自身の依拠する自明性を問い直しながら、教育学自体を自己変革、自己更新してゆく契機としなければならない

    教育的であることと治療的であることに両義性、両極性。ゼロからプラス方向への成長・発達を促す力と、マイナスからとりあえずゼロ地点に回復するのを手助けする力の両極性。しかし和田が想定するほどに、両者はそう滑らかには両立しないのではないか

    単なる原状回復以上のものを志向する場合、それは教育的な営みとされるわけだが、それは医学や臨床心理学の立場からすれば、越権行為であり、厳しく差し控え、慎まねばならない

    他方、治療的な部分にのみ専念すると、かかわりの様態や目的もかなり限定的なものになるため、そも子どもがどのような価値を体現すべきか、いかなる能力を身につけてほしいか、どのような人生を歩んでほしいかといった、治療行為以上の、規範的な部分に触れることはできない。そのことは、教育的意図をもった規範的関係にとっては、物足りないだけでなく、不充分な行為だということになる。また治療のモデルの解釈図式から出発することが、当人の抱えている現実を理解する上での妨げになることもある

    教育的と治療的との相克


    観察的ー何であるのかを知ること、と、助成的ーよりよい方向へ導くことというさらに別の相克がある。

    和田=困難を抱えたこどもの相談と指導うぃ病理と治療という観点からではなく、クライエント自身の【新生】の援助という観点から統合すること

    観察的なかかわりー対象から距離をとってそこに一体化しないことにより可能になる。他方、助成的なそれは、対象にええきるだけ寄り添うとともに、その対象自身の成長や生成変容を意図することで成り立つ

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