子どもと創る授業-学びを見とる目、深める技-

著者 :
  • ぎょうせい
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  • Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784324096208

感想・レビュー・書評

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  • 奈須先生の語り口調で読みやすい。例えや言い回しが独特で、知らない熟語や表現が多く、何度も言葉を調べた。
    全国の研究校でのエピソードが満載。いま目指すべき授業や教師の姿勢が具体的な事例から分かるようになっている。そんな中まだまだ多い現実に起こった、教師の都合の授業エピソードもあり、その時の子どもの気持ちを考えるとやるせない。

  • 当たり前なのだろうが、著者の見ている日本の授業の大多数が、一人一人の児童に対する意識や児童の興味関心の汲み取りに違いこそあれ、一人の教員と何十人の児童という構図を持った一斉授業である。よって、描かれている状況を共有することに違和感を感ずることもあり、全ての主張が心躍るものではなかった。しかし、それでも自分が考えもしなかった指摘や「そうそう」と共感する点が多々あった。下記に、それぞれの点と自分の考えを挙げたい。

    p58 「本気の目は必ずや学びへと連なる」
    子どもが本気の目をしていたら、たとえそれまでの話題と関係なさそうな内容に思えても、この後がどう展開するか予想できなくても、児童に語らせた方がいい。
    →この指摘は、一斉授業場面の例が挙げられたものについて書かれたもので、同じことが、私が課題を提示し、それに対して一人一人が自分であるアイディアを発想して伝えてきたとき、即ち、1対1のやりとりの時にも言える。
     自分が求めているものとは、瞬間的に違うと感じても、真剣さや熱意があるときには「いいねー。」と返すことが習慣になっている。なぜかといえば、まず、こちらが児童の言葉を理解できていないこともあり、よくよく聞いたり、進み具合を見たりすると、求めていたことを実現していることがあるからだ。更に、部分的には異なっていても、全体としては求めるものを達成していたり、時には、それを上回るものをつくりだしたりすることがあるからだ。
     さらに言えば、ここで「いいねー」ととりあえず言っておいても、あとで困ることはほとんどない。それよりも、児童の自分が思いもよらなかった発想をつぶしてしまうことのほうがはるかにマイナスだと考えている。

    p74 「いかに数多く発芽させるか」
    小学校での発芽条件の実験についての児童の見方で、科学的な態度を示した小学校の児童と条件分けした二つの芽の「どっちも出てほしい」と情緒的な態度を示す小学校の子どもたちのことや、農業高校では、発芽条件の知識だけでは終わらない例を挙げている。
    この農業高校では、高度な発芽条件の学習はするものの、そのメカニズムには焦点はなく、いかに捲いた種を数多く発芽させるかにあるという。知識は、この視点から学び深める。
    この立場によって、必要な知識は変わってくるという知識の相対性、言い換えれば、誰にでも有効な絶対的な知識はないという指摘は、とてもおもしろい。
    小学5年生が学ぶ発芽条件に対する立場は何であるべきなのか、小学生の得るべき知識とは何なのか、ここも論点になる、

    p79 
    『大切なのは、「だまされたと思ってついていったらだまされた」という授業には絶対にしないという強い決意であり、それを実現し続ける努力です。だまされる経験を繰り返すと、子どもは次第についてこなくなります。授業で子どもが示す無気力や反抗的態度の多くは、この経験に起因するとぼくは考えます。』
    →全く同感である。自分が担任した学年が、次の教員に好かれるかどうかは、とりあえずその教員を信じてついていくという部分を育てられたかどうかだと常々感じていた。1年間かけて、「(ここの)教員は、今はなぜがんばらなくてはいけないか、わからなくても、信じてついていけばいいことがある。」という実感を毎日の授業で実感してもらえることが、担任の仕事だと思う。

    P84「見通しとふり返りがあるのは当たり前」
    児童に「どうしてこれをやっているか?」と問えば、「教員が言っているから」、「教科書に載っているから」、「これが終わったら次は何をするか?」に対しては、「さあ」「先生が後でいう」と応ずるのではないかと、このような見通しをもたない学習が学校では日常になっていると著者は指摘する。これに対して、大人の学びでは、何をどのようにどれだけ学べば、何が自分に起こるのか、そのような見通しを持たずに、図書館に出かけたり、英会話学校に入学したりすることはありえず、学校での見通しの無い状態の学びが異常事態であると言う。さらに、指導案や学習計画というシラバスを親に渡すのは、旅程表を渡して旅行に児童を連れ出すのと同じあり、ごく自然なことだと指摘する。

    p86
    探究とは、大人が日常行っている学びの過程であり、授業そのものを子どもの興味や疑問から生み出す学び。探究であれば、児童は見通しを持って学べ、誰に言われなくても自分からふり返る。
    ⇒探究こそが、見通しを持った学びやふりかえりを生み出すという指摘がなるほどと思った。

    「リッパ過ぎる研究からの脱却」
    p101 理論編は薄いほどいい
    「十数年前に協同研究に誘われた時に僕がお願いしたのは、どうしても曖昧さつきまとう図(バームクーヘン型の学力構造図や、矢印がらせんを描いて立ち上がる研究構造図の類)を研究冊子から原則配すること、独自な造語は極力避け、伝統的な教育学や法令上の用語で語ること、理論的な説明は毎日の授業に必要なものだけに限定することの三つ。」
    ⇒全く同感。なぜも小学校だけかわからないが、わけのわからない一まとめになった図を見ると、だから何なの?といつも思う。)

    p102 :授業者の個性的成長=学校研究の進展
    改革の方法として、山口大学附属小学校の研究について挙げている。
    それは、月に一回全員が原則、自主的に研究授業を行うものだ。当然、主幹教諭など都合がつく人だけが参観して、事後の協議も簡便なものにする。
     協議では、授業者が大切にしていること、目指していることを丁寧に聞き、何よりもそれを尊重した上で、その方向や筋道の先に可能な改善策をみんなで具体的、実践的にさぐる。スタイルの違いはあっても、原則としてその適否は不問に付し、授業者の意向を尊重する。
     続きがまたいい。「普遍的に正しい教育方法などというありもしないものを探し求めるのではなく、大切な同僚の個性的成長、挑戦の成就を心から願い、あらん限りの知恵を絞り合おう」という考えから、上記のスタイルが取られているという。

    学校改革をめぐる五つのウソp117~

    p117
    共通理解は、会議の抽象的な議論から生まれるのではなく、待ったなしの共通の難題の解決の連帯から生まれる。共通理解を得るために、議論を重ねるというのは大ウソだそうだ。

    第4章
    p119  「心理学は人間にやさしい学問」と著者は言った。こんな風に考えたことはなかった。心理学出身の自分もそれを誇りに思いたい。

    p132 「宝の持ち腐れ」学力からの脱却
    「どうもそういことらしい」という他人事の知識を量だけたくさん所有することが学習だと、子どもが勘違いしてしまう。他人事との知識では、実生活の問題解決には役に立たないし、生涯にわたって生き方を支えてくれることもない。子どもが「なるほど」と納得するまで考え抜ける機会を保証することが必要。

    4-4リアルな学習とバーチャルなテスト
    p143 伊那小のクラスで牛を飼えるのかを判断するときに、「1年間にエサ代がいくらかかるか」を計算しなくてはならず、そのために2桁や3桁のかけ算の筆算を習い、その便利さに感嘆の声を上げた事例を書いている。そして、しっかり計算ができたあとに、教員が果たしてこの方法は、エサ代を計算するときにだけ使えるものなのかという問いかけをする。このことで、特殊な具体的な場面での利用から、より多様な状況へと結びつけ解き放つ。こうすることで、その後のドリルにも身が入るという。
    →この辺りの事例はとても良いと思った。先に必要性のある場面に児童が立つのがベストであろうが、反対でもいいから、教科固有のスキルに終わらせないで、教科横断型の学びに、より必要性のある場面にリンクを貼る意味がここにあると思う。

    第5章
    p175 日常と結びついた非日常
    なぜ、日常ではありえない、わずか数ページの国語の説明文を10時間もかけて読むという非日常をなぜやるのかという問いに対して、著者は「日常的な実用を超えた言葉の世界が、たった数ページの説明文の奥に広がっていることを伝えたいから」、文体との出会いによって、児童も「僕らしい書きぶりで書きたい」と思うようになると説明している。
    しかし、私はそうは思わない。なぜ、そんなに時間を書けるのかと言えば、教科書会社の時間配当がそうなっているからであり、それだけ設定時間に余裕があるからだと思う。もっと、たくさんの必要性の高い文章をもっと読み、得た情報を利用する方が大切ではないか。

    第6章
    p184 食料自給率は少ないと言って問題視するのに、調理するのに必要なエネルギー自給率は気にならないのか?との指摘がおもしろい。

    以上

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著者プロフィール

奈須正裕(上智大学教授)
神奈川大学助教授、国立教育研究所教育方法研究室長、立教大学教授などを経て2005年より現職。 現行の学習指導要領等に関わっては、中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会、教育課程企画特別部会、総則・評価特別部会、幼児教育部会、中学校部会、生活・総合的な学習の時間ワーキンググループ、小学校におけるカリキュラム・マネジメントの在り方に関する検討会議、小学校段階における論理的思考力や創造性、問題解決能力等の育成とプログラミング教育に関する有識者会議、2020年代に向けた教育の情報化に関する懇談会等の委員として、重要な役割を担う。主著に『「資質・能力」と学びのメカニズム』(東洋館出版社)、『次代の学びを創る知恵とワザ』『「少ない時数で豊かに学ぶ」授業のつくり方』(ともに、ぎょうせい)など。

「2022年 『個別最適な学びの足場を組む。』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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