美術教育の可能性: 作品制作と芸術的省察

制作 : 小松 佳代子 
  • 勁草書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (344ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784326251254

作品紹介・あらすじ

学校の図工・美術教育や幼児の表現活動、美術館などの社会教育、美大における美術家養成等、美術教育の場は多岐にわたる。その美術教育にかかわる問いについて検討しつつ、実際に美術制作に取り組む芸術家たちが、作品制作と探究的思考を往復する様を浮き彫りにする。「芸術的省察による研究 Arts-Based Research: ABR」に関する日本で初めての書。

感想・レビュー・書評

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  • 以下引用

    クリティカが、心理をイメージから取り去るのに対し、トピかは、心理をイメージの内に戻す、イメージを真理そのものとするもの。

    トピカは、イメージの創造によってことがらを熟知すること。そのような知ることとしての作ることは、詩的=創作的知恵と呼ばれる。このような知性以前の感覚・知覚レベルで働く知は、身体と未分化な状態にあり、身体的活動性と密接に結びついた次元に位置している

    芸術作品は、芸術家の内部に胚胎する形象を物質に移転させることによって生まれる。というエレメントと、素材を形象へと還元し、創造者の内部に投企することを本質とするエレメント。


    芸術家の内部に完成した考えがあって、それが作品に実現されるのではなく、芸術家は作品の中で自分自身ないし観念を完全に仕上げようと努めるが、芸術家がそれを明らかにできるのは、マテリアルを形成しながらであり、諸々の可能性を絶えず区分けしながらなのだ

    モノとのやるとりの過程においてこそ、芸術家の内部にある形象も見出されていく、その働きそれ自体がメタファ

    トピカとクリティカを、融合させる

    クリティカに先立つトピカがある。

    どんな成果が得られるかわからないけれども、まずはやてみる、やってみるなかで、問題の所在を発見し、自分が何を考えているかに気づいていくという形で、実践的、身体的、感覚的に行為することをとして、思考が彫琢されていくような学び、外界にある環境やモノに触れる中で自らの内側が豊かになっていくような学び

    経験の途上の痕跡が、ドローイング、エスキース、、、つくられつつある作品などの形で、制作者が目の前にすることができるので、それらを通して変化しつつある自己を知ることができる。

    遂行的イメージが形成されるとき、デッサンでいえば、形が捉えられるようになってくると、何重にも重ねられていた線が減ってくる。それは線が外界を連れて形へ統合されるということ。世界の自己のへの統合を示している。形を作る過程で制作者は作られつつある作品に自己をゆだねる、自己と世界との接面で造形へと展開することは、自己を世界へ開きつつ、世界を自己へと引き入れ、内的なものを育てていくこと

    →何枚も書の反故が増えていくのは、この形を彫琢しているプロセスなんだな

    ミメーシス:個人が外界に拡張し、外界を同化するのを助けるもので、ミメーシス的能力を用いて、個人は、なじみのないもへと拡張子、それを自らのイメージや音や創造力の世界へと統合する。

    ★★★外界が取り込まれるためには何らかの再提示を必要とする。イメージはそのようなものとして、ミメーシスを可能にする
    →体験の経験化。咀嚼。

    イマジネーションとは、人間を世界に結びつけるエネルギー。内と外、外と内との橋渡し。

    世界を人間の中でイメージ化し、そのことによって、人間の内的世界を真なるものにする力。
    →今ある秩序を再構成し、新しいものを産出する力をもつ。イメージとミメーシス的取り組みがそれを可能にする

    直観においてあるイメージを追創造すること、それを固定し、それに働きかけ、それをイマジネーションのなかで展開させること

    イマジネーションのなかで、イメージを展開させることで、イメージへと現前化された世界を突き破って新たな世界を構想することができる

    素材や、技法や、道具の理解は、それ自体を取り出すことによってはたらされるものではなく、何らかの制作行為に即して深められるしかない

    ★★★制作においては、モノとのやりとりだけではなく、そこにはイメージがなくてはならない、モノを開く過程は、同時にイメージとメディアをともに成立させて作品化していく、つまりモノのモノ性を活かしながら、どこへイメージを折り畳むことのただなかでしか生じない →これをやっていかんとな、、、、


    ★★鑑賞においてはどうだろう。「そもそも外界に存在する像;イメージは生気を付与するまなざしによってはじめて像:イメージになる」としている。まなざしにとらえられない限り、イメージはイメージとして成立せず、意味の固定したものとしてわたしたちから切り離される。固定化されたままでは美術鑑賞はつまらないものにしかならない。イメージを成立させるまなざしを得て、イメージに生気を帯びて理解されること、そのようなまなざしを得ることで美術を楽しむ
    →像はあくまで、交わりのなかで像となるということ。


    イメージが生気を帯びて、理解されること、そのようなまなざしを得ることで、美術を楽しむときフローが起きる。それは作家がコード化したものを解読するということとは異なる。

    私たちが、あるものを経験するとき、基地の何かとしてのみ解釈する場合が「再認」。他方、近くは私たちはモノを経験し、それ自体の固有の性質を理解したときに生じる

    知覚の場合、者の客観的性質は、われわれの経験に内在するものであり、再認のばあい、それらは外在的なもの。知覚という経験は、われわれがあるものを解釈する際の図式を修正させられ、あるいは拡大すること、また使い慣れた解釈の枠組みを拡大、修正すること

    知覚はまさに既定の枠組みを問い直すことで、自己変容を可能にする、イメージに生気を付与するまなざしによって作品を自己へと引き受け、それを自らの内で自由に展開させること、そのような創造力の展開こそが、創造的再構成といえる

    自らが創造的再構成をしながらでなければ、作品の諸要素をいくら開いてもイメージは浮かび上がってこない

    イメージに生気をあたえること、すなわち美術作品の重層性を開いていくことと、そこで得られた諸要素をイメージへと折り畳むこととが同時に重層的に行われていくこと、そこに美術の特殊性がある。イメージを介したそのような複雑なプロセスにおいて美術教育の学びは成立する。

    ★ミメーシス的なまなざしにより、観察者は世界の写像を受け取り、それを自らの心的なイメージ世界に受肉する。このように像をかいして、外的世界と内的世界とをつなぐことを、メタファと呼ぶ


    制作学のように、客観的普遍性を目指して制作者の個人的な省察を超えようとするのではなく、制作者が制作のただなかで感じ考えているきわめて個人的な自己省察から研究を立ち上げようとしたのがABR

    作られる作品の前理解であるデッサンやエスキースを描く段階から、内的世界と現実世界のギャップ解消によって創造活動が可能になり、そうして現実空間に構築された作品は、内的世界に新しい背景を構築することで、自己の広がりを可能にする

    ★オートポイエーシス的な変容ではあっても、学びが生じるためには、自己が世界の呼びかけを聞き取り、世界への呼びかけに応答し、世界への責任を引き受ける必要がある
    →発露するかは、あくまで作家の覚悟によるということ

    制作者が自らの身体や使う道具や事故と作品を取り巻く環境に常に注意を払っている。しかし、制作者は、身体ー道具ー環境システムに回収されない自己を保持している

    学びが生じる機制を、自己と世界の間に不均衡を感じ取り、そこに均衡をもたらそうとする、世界とのかかわり方の問題として見る

    大震災のような圧倒的な不均衡を生み出すような大災害がおびただしい数の美術作品を促したことにもそれはあらわれている

    だが、そうした不均衡があるから制作するのではなく、たとえ美しい均衡が保たれていても、そこにあえて不均衡を作り出す行為も美術制作

    素材に手を加えることは、モノのモノ性を否定することだが、制作者はしかしなお素材を生かすという

    陶芸家の意志があって、それを粘土に伝えているのではなく、粘土と陶芸家との相互作用において生じている自体が、制作行為

    美術製作者は、素材や環境などのモノというエージェンシーに自己をゆだねつつも、そこに自己を刻み込もうとしてる

    ABRは、芸術制作行為のおける探求それ自体を、研究と位置付ける

    制作者のなかにあらかじめイメージがあって、それを何らかの技術によって外部化するだけが制作行為ではない、イメージ自体が具体的なモノとのやりとりの中で明確化していく、そのようにつくるという過程において、想とものとを同時に生じさせるはたらき

    質感とは、何らかの形として自覚化される前の、さまざまな可能性をはらんだ前ゲシュタルト。質的知性は、このような前ゲシュタルトにおける豊穣性を保持しつつ、それを具体的な作品へと表現するときに働くもの。緻密な現実を縮減してもなおそれが芸術作品に宿るのは、このような前ゲシュタルトにおける全体的で感情的な経験が保持されるから。

  • 2022学生オンライン選書ツアー 購入本

    ☆こちらから電子ブックで読めます(駒澤大学内関係者限定)
    https://kinoden.kinokuniya.co.jp/komazawalib/bookdetail/p/KP00019658

  •  自分の研究を小説として執筆し、さらに演劇として上映することを、想像したことがありますか?堅苦しく、難解な研究論文の発表と比べて、どのように違う研究成果や知見が得られるのでしょうか?その答えのヒントは、本書にあるのかもしれません。
     本書は、美術教育研究における国際的な研究動向の中で注目されている、「Arts-Based Research」(以下:ABR)という方法論の理論と実践を紹介しています。ABRは、芸術制作の特性を研究に用いることによって、従来の統計的な、量的分析による研究とは異なる知の創出を目指す研究方法論です。本書の前半では、美術教育の特殊性を踏まえ、ABRを「芸術的省察」と捉えながら解説しています。後半では、ABRを使った研究実践例が掲載されています。
     アートには、美術、音楽、演劇、小説、映画などの様々な表現形式が含まれており、ABRは、美術教育だけでなく、社会学などの分野でも応用されています。本書は、美術教育の新たな動向を知りたい方のみならず、他分野の方にとっても、ぜひおすすめしたい一冊です。
    (ラーニング・アドバイザー/芸術 LIAO)

    ▼筑波大学附属図書館の所蔵情報はこちら
    https://www.tulips.tsukuba.ac.jp/opac/volume/3657923

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