人権という幻: 対話と尊厳の憲法学

著者 :
  • 勁草書房
4.20
  • (2)
  • (2)
  • (1)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 40
感想 : 5
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784326450961

作品紹介・あらすじ

憲法学者10年+釜ヶ崎弁護士10年。「理論と実践の架橋」を体現する著者が見る「幻」は、社会の片隅に追いやられた生命の1つ1つから立ちのぼる。「日本に憲法があるんか」という問いに答え続ける著者、初の書き下ろし。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 人権とは何か、それは人間と人間の対話なのだなと思った。冒頭にミヒャエル・エンデの「はてしない物語」のファンタージェンと現実を行き来するバスチアンバルタザールブックスの姿から人権を例えた。現実と幻を自由に行き来する人間が、この世に全く新しい世界を作るのだ。僕はこの社会には断層のように切れ切れになった世界が横たわっていると思う。現実の苦しみから、言葉を見つけていかなくてはいけない。僕はこの本を読んでそう思う。

  • 憲法学、哲学の味わいのある内容だが、実際の裁判を例に取りながら多分分かりやすく説明している。多分というのは、私の能力ではスッキリ理解できたと言えないので分かったような気がしているから。
    曖昧な法律と解釈の幅広さ、それがいかに国家の都合に合わせて利用されるか怖いようです。j

  • 部落差別、日の丸・君が代、団地一括建て替え、不法滞在者とその子、在日の国籍、ホームレスの住民票、といった具体的判決事例から、人権とは、日本国民とは、という考察を深める。 現最高裁判断に対し批判的な立場。 少数派としての違憲判断も紹介。
    法律の門外漢である自分にとってはハードルが高い内容ではあったが、国籍や住民票、居住権、教育を受ける権利といった基本的な権利、人権を確保するための法廷闘争があることは理解した。

  • 憲法学の教員を経て弁護士となった著者の近著。
    近代国家とは自明の善なる存在か。それは個人をすべて承認する主体ではなく、合法的に、かつ強制的に人の被承認主体性をはく奪し、モノとして扱うものであった。
    国家に対するディスクールを問う憲法学を、射程範囲を広げることで批判する書。対個人の承認主体として独占性を喪失しつつも、その公的強制力を失わない国家の在り方を再考すべき時なのだろう。

全5件中 1 - 5件を表示

著者プロフィール

遠藤 比呂通(えんどう ひろみち) 
1960年山梨県生まれ。東京大学法学部卒業後、東京大学法学部助手、東北大学法学部助教授(憲法講座)を経て、1997年弁護士登録。1998年4月西成法律事務所開設。単著に『自由とは何か――法律学における自由論の系譜』(日本評論社、1993)、『市民と憲法訴訟――Constitution as a Sword』(信山社、2007)、『不平等の謎――憲法のテオリアとプラクシス』(法律文化社、2010)、『人権という幻――対話と尊厳の憲法学』(勁草書房、2011)、『希望への権利――釜ヶ崎で憲法を生きる』(岩波書店、2014)、共著に『[改訂]ホーンブック憲法』(樋口陽一編、北樹出版、2001)、『沈黙する人権』(石崎学・遠藤比呂通編、法律文化社、2012)、『学問/政治/憲法――連環と緊張』(石川健治編、岩波書店、2014)、『ヘイト・スピーチの法的研究』(金尚均編著、法律文化社、2014)など。

「2021年 『国家とは何か、或いは人間について』 で使われていた紹介文から引用しています。」

遠藤比呂通の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×