合コンの社会学 (光文社新書 331)

  • 光文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334034320

作品紹介・あらすじ

「合コンは、誰もが参加できる平等な競争の場である」-広く共有されたこの前提は、実は幻想にすぎない。男女は、まったくランダムに、真空状態のなかで出逢うのではない。そこには社会の階層性が色濃く反映され、職業や年齢や容姿を軸にした序列がはっきりある。私たちは、合コンを通して恋愛すべき相手と恋愛し、結婚すべき相手と結婚することで、社会構造の維持に貢献することになる。合コンは、現代の私たちが出逢うために創りだした、そして今や私たちを取りこもうとする、まごうことなき「制度」である。

感想・レビュー・書評

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  • 新書にしては言い回しがとっつきにくく
    社会学にしてはもっと深く突っ込んで欲しいところも。
    でも、合コンを社会学するという視点はおもしろい。
    「参加者全員で偶然を演出し、自分たちだけの物語をつくる舞台装置」というのにかなり納得。

  • 【本学OPACへのリンク☟】
    https://opac123.tsuda.ac.jp/opac/volume/426472

  • ブックオフ売却

  • 真面目に合コンを分析した本
    かつての学生のものから、社会人のモノに変貌した合コンは、かつてのお見合いや職場結婚の代替物。結婚・恋愛相手を探すことを目的とし、、社会的階層性が組み込まれているが、表面的にはそれを見せないようにする欺瞞性があるのが特徴

  • 常見陽平『ちょいブスの時代』(宝島社,2013年)の参考文献になっていた流れ(?)で読んでみた。

    とくに気になったのは、第五章。『ちょいブス~』が参考にしていたのも、多分このあたりだったかと。
    合コンの楽しみって、もはや異性との出逢いというより、むしろ同性の友だちを作るとか,仲間内でワイワイ騒いで飲むこと~になっちゃってるんでないの!?という指摘。
    本来の目的とはかけ離れていってるのかもしれないけど、やっぱ同性の連帯感に勝るものはないんじゃないかなと思うわけで…。笑

    あとは、なんといっても第六章。「理想の相手」ではなく「運命の物語」を~の節に、ものすっっごく共感した!!
    曰く、男女が執拗に求め続けているのは、実は「理想の相手」ではなく、「運命の物語」の方なんだと。
    〝私たちは、出逢えればいい、結婚できればいい、というわけではない。そこに、物語がほしい。〟(130頁)
    〝おもしろいと思える人、直感で通じ合える人、いっしょにいて癒される人――それはつまり、ともに「運命」の物語を紡いでいける人、ということだ。〈中略〉たとえば「外国人」や「年齢差」はそれだけでじゅうぶんに物語の要素になりうるだろう。〟(134頁)
    …うんうん、実によく頷ける話であるなw

    でも、合コンこそが、この物語を構築するのに最適な場だ~という見解には、ちょっと疑問が残った。
    思うに、運命の物語には“思いがけず”っていう要素が必要不可欠で、(表面上どんなに隠しても)自らガツガツ出逢いを求めて臨んでいる合コンにおいて、それはどうあっても成り立たないんじゃないかなと。たとえ周りにそうとはわからなくても、自分の中で出逢いを求めにいった自覚がある時点でアウト!みたいな。周囲への言い訳は立つけど、自分自身は騙せないから、それはもう偶然の出逢いではないよなぁと。
    あくまで、そのとき自分の方は出逢いを求めてなかったんだけども“思いがけず”運命の人にめぐりあったのよ~ってな感じでなきゃいけないんだろうと思う。
    その一方で、じゃあ職場恋愛は「運命の物語」にはならないのか?運命の出逢いの場としては味気ないか?って言われると、それも違うと思うんだなー。
    それこそ“思いがけず”同僚の新たな一面を発見して惹かれたら、そこからはもう立派に一つの物語として始まっていくんだろう。
    まぁ要するに、〝自分に納得のいくストーリーがつくれればいい。〟(134頁)ってことかw

    だけど本当は、どんなに平凡でありふれた話だったとしても、それはその二人にしか紡げなかった物語だから。二人で歩んできたってことだけでじゅうぶん、どれも特別で唯一の運命の物語なんだけどね。
    でも心のどこかに、ドラマチックなストーリーを夢見る自分も残ってるんだろうねぇ…それが厄介なのかも?笑
    補論では、出逢いにストーリー性がほしいと考える心理について、行き先不透明で流動的な昨今の社会情勢のなかにあって,少しでも堅固なもの(=代替不可能な二人の関係)を求めようとする心性の現れ~と説いているけれど、これには大いに納得した。

    ひと昔前なら、結婚/交際相手は「三高」(=高収入・高学歴・高身長)でなきゃ嫌!っていう明確な基準があっただろうし、抽象的なものであっても、“親が安心・納得する人”とか、わかりやすい人物像があったように思う。
    でも、今の人が最も重視している条件って、もしかしたら「三低」(=低姿勢・低依存・低リスク)よりもっとわかりづらい、居心地の良さ~みたいな、非常に曖昧で難しいものなんじゃないだろうか。
    一緒にいて居心地のいい人,あるいは、自分のテリトリーに踏み込まれても許容できる相手…のような。
    そういう相手は、もちろん出逢っただけじゃ相性なんてわからないし、そこへ更に自分だけの運命のストーリーも求めて~ってなると…そういう人にめぐりあえる確率って、いったいどれくらいなんだ!?!?笑

    合コンを社会学的見地から考察する~という試みが、新鮮で面白い一冊だった。

  • 著者もあとがきにて言及しているが、社会学としてどこまで深掘りするかは難しい問題である。それにしても、タイトルにそれを名乗っている限りは、とことん追求してロジカルに展開して欲しかった。トピックがトピックだけに、バックボーンの論理的な考察なしでは、単なるインタビューの羅列としてとことんチープな方向に転んでしまう。

  • 251026 新

  • 特に面白いことも学べることもなかった。
    満足度4

  • 「合コン」がどういうものか知らないので、もう処分するという友だちにもらって読んでみた。
    うーむ、若いやつはめんどくさいなあ。というのが最初の感想。仲間内の序列は明らかなのに、誰かひとりが目だったり外れることがないように気を回したり、「キャラ」をかぶったり、そりゃ疲れるだろうよ。
    が、著者たちによれば、若者たちはかくも必死に偽装をこらしつつ、条件に適う「理想の相手」ではなく、「運命の物語」こそを探しているのだとか。結婚が経済的な生存戦略であることはあからさまになっているのに、なぜ古臭いロマンティック・ラブ・イデオロギーがいつまでもはびこり、なぜ若い世代が過剰に適応しようとするのだろうかと不思議になるが、阿部の補論は、階層化と不安定化が著しいこの世代においては、経済的条件と同時に、代替不可能な「純愛」という幻想もまた、安定を保障してくれる(かのように思われる)要素なのだという解釈を示している。
    しかし社会が階層化し流動化しているのが事実としても、これほど息詰まる窮屈な関係性を彼らが自ら構築してしまうのはなぜなのか、そこのところがもうひとつ理解できない。当事者に対しては「もっと気を楽にもって」というアドバイスくらいしかできないだろうが、こんなに閉塞的な関係性しか想像できない若者が多いとしたら、それはこの世代だけの問題ではないと思うのですがね。

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