- Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334035921
作品紹介・あらすじ
世界経済が混迷するいま、経済システムや政策の意義を深く理解する必要性が高まっている。スミス、ケインズ、シュムペーターなどの経済理論を取り上げ、狭義の学問としてではなく、経済の本質を見る目と、困難な問題を解決する基本力を高めることに焦点をあて、「経済古典」の今日的意義を考える。小泉内閣で構造改革を手がけた著者が、現代の経済や政策のあり方に結びつけて分かり易く「経済古典」を解説する。
感想・レビュー・書評
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アタマのいい人と喋っていると自分までアタマがよくなったような気がするけど、それと似た感覚を味わいながら読んだ。
それはまず、冒頭にあるように、アダム・スミス、ケインズ、シュンペーターからブキャナンに至る経済学の泰斗を各章に配置した上、その時代背景と人物像を紹介し、研究の特徴を説き、その論の限界を明らかにするという本の構成そのものの明快さや、大学での講義を基にして書かれたという筆運びのわかりやすさである。
もう一つ、同じく冒頭に「経済学史や経済思想の専門家がたくさんいる中でこうした本を書くことは、私の任には負えない仕事だと思った」とある。だがこの本には、実際に大臣として日本国の経済政策に携わり、その問題意識の中で経済思想のあれだこれだを肌で実感した著者ならではのリアリティがある。
同時代の、全体を見渡せすことができる日本人による、日本語で書かれた啓蒙書、それがわかりやすさの理由だと思うし、これほど得難い教材はない。
さて、「経済古典」と言えばしかつめらしい経済学の原理法則が書かれているのかと思ってしまうが、いずれの泰斗の経済理論も、実は各時代に持ち上がっていた社会問題に対する処方箋として書かれたものである、という基本テーゼがまず興味深い。
たとえばアダム・スミスは市場経済の萌芽を、ケインズは20世紀初頭の大恐慌を、シュンペーターは「大きな政府」の弊害をそれぞれ目の当たりにして、各時代を乗り切るための論を展開した。それらは先人の“限界”に対するアンチテーゼでもあった。こうして概観すると、誰が正しいのかという話ではなく、経済学があっちへぶつかり、こっちでつまづきしながらなお動き続けているのだということがよくわかる。
もっとも、後半のシュンペーターやハイエク、フリードマンらに関しては、“限界”までの記述はない。まだ結論が出ていないまさに現代の問題が扱われているからであり、「小さな政府」を指向する著者の主張が今なお彼らの思想のライン上にあり、またあるべきだと考えているからだろう。
経済学徒ではないし、読書家でもないのでスミスもケインズも知らないが、近ごろの閉塞感の中で語られるいろいろな論客のブログなり批評なりをせめて理解しようと思ったら、これら経済社会のスタンダードが何を言っているかくらいは知っておいた方がいいと思う。そのポイントを適切につまんでくれる本書は、格好の手引き書なのである。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
経済学を学んでいない自分にとっては、分かりやすく、しかも面白い内容。アダムスミスやケインズの考え方を元に、今の政治を俯瞰すると色んなことが見えてくる。竹中さんの本って始めて読んだけど、分かりやすい文章だなぁ。
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さすが竹中さん、すごく分かりやすい。本当に経済古典は役に立つと感じさせられた。
経済学のバックグラウンドが完全0な自分にとって、この手のガイド本はすごく参考になる。アダムスミスから始まり、マルサス、リカード、マルクス、ケインズ、シュムペーター、ハイエク、フリードマン、ブキャナンといった経済学者の諸説の概要が非常に分かりやすくまとめられている。
おそらく経済学部生など一通りかじってしまっている人にとっては物足りないかもしれないが、素人には抜群のガイドブック。
個人的にはシュムペーターとハイエクの考えに非常に興味を持った。特にシュムペーターのイノベーションと想像的破壊の理論や企業家と銀行家の役割、そして資本主義を崩壊のメカニズム。最後のメカニズムについては、竹中さんの指摘している日本経済とのアナロジーに非常に興味を持った。
一通り大局を眺めてみると、視界がパッと開けた感じになる。
もう少しシュムペーターを深堀してみようか。 -
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アダム・スミス、マルサス、リカード、マルクス、ケインズ、シュンペーター、ハイエク、フリードマン、ブキャナンの著作の考え方と当時の問題、そして彼ら自身を平易に述べている。竹中氏が主張していることは、かれらは経済思想を創始したのではなく、当時の問題の解決策を提示したのである、ということ。
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良い悪い好き嫌いをひとまず置いておいて冷静に見れば現代日本の経済政策に大きな影響力を持つ竹中平蔵とはどういう人物なのか経済古典が書かれた背景と援用のされ方実際に使える所、使えない所などを経済政策のフロントマンでもあったスタンスから話しているので経済学の歴史の読み解きとしては面白いと思う。言い方次第で逆の相も見える。それらを通して竹中氏自身の考えも見えてくる。
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http://highjamp.hatenablog.com/entry/2017/12/16/093920
本書は、2010年4月から7月にかけて、筆者が慶應義塾大学丸の内キャンパスで行った講義をもとに作られた。本書は、以下の古典の内容とその著者についてそれぞれ解説するという形式をとっている。
アダム・スミス 『国富論』
R・マルサス 『人口の原理』
D・リカード 『経済学および課税の原理』
K・マルクス著、F・エンゲルス編 『資本論』
J・M・ケインズ 『雇用、利子および貨幣の一般理論』
J・A・シュムペーター 『経済発展の理論』、『資本主義・社会主義・民主主義』
M・フリードマン 『資本主義と自由』
F・A・ハイエク 『隷属への道』
R・E・ワグナー、J・M・ブキャナン 『財政赤字の政治経済学』
筆者は、これらの古典を読み解くうえで、こうした名著も当初から古典という地位にあったのではなく、「当時の経済社会の問題を解決する」という目的で書かれたという事実に注目し、次のように書いている。
「このことは重要な点を示唆している。私たちがいま直面している経済社会の問題を解決するうえで、経済古典と言われる文献がきっと多くの示唆を与えるに違いない、という点だ。」
本書はこのような視点から経済古典を解説したものだ。具体的には、①当時の経済社会における問題はなんだったのか、②それに対して筆者はどのような解決策を提示したのか、という2点について重点を置いて書かれている。
また、経済古典の書き手の間には影響関係がある場合も多い。例えば、マルサスの議論の出発点はアダム・スミスの議論への批判であり、ケインズやシュムペーターの議論はマルクスを強く意識したものである。本書ではこうした点についても解説されている。 -
もう一度、読み返したい。
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経済古典を読もうと思い概論書を読みたく購入した。
経済学者がその時々の社会問題に対してどう取り組んだか重要であり、~派だからこうしなくてはいけないというような考えはないという趣旨があった。
問題解決の教科書として経済の古典を使うことは非常に有益であり、何度も読み込む価値があると感じさせてくれた。
今後経済の古典を読むたびに参照いきたい。 -
請求記号:SS/331.2/Ta64
選書コメント:
経済と環境は原因・結果として不可分であることを示す著作の例として上に細田[2010]を紹介しました。もともと社会科学系の学部として誕生した環境創造学部では、経済学に関係する科目も多く、学ぶ機会も多くなります。経済学は、“人々がよりよく生活できるように”を科学する学問にほかなりません。ただそれでも、様々な主張・見解が並存・対立して、かならずしも自然科学のように、法則や定理がスッキリと得られているわけではありません。しかも新しい学問ですから、まだまだいろいろな考え方が付け加わって発展を続けていっております。そんな学問自体の流れ(経済学史)をぜひ本書で学んでください。
(環境創造学部環境創造学科 小湊 浩二 准教授)