- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334039325
感想・レビュー・書評
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本作の内容は、次のとおり
---引用開始
わたしたちはしばしば、「働かない」ことに強くあこがれながらも、計画的にムダをなくし、
成果を追い求め、今を犠牲にしてひたすらゴールを目指す。
しかし世界に目を向ければ、そうした成果主義、資本主義とは異なる価値観で
人びとが豊かに生きている社会や経済がたくさんあることに気づく。
「貧しさ」がないアマゾンの先住民、気軽に仕事を転々とするアフリカ都市民、海賊行為が切り開く新しい経済・社会……。
本書では、わたしたちの対極にあるそうした「その日暮らし、Living for Today」を人類学的に追求し、
働き方、人とのつながり、時間的価値観をふくめた生き方を問い直す。
---引用終了
本作の書評が、本日(2023年5月9日)の聖教新聞に載っていました。
書評を読んでの感想になりますが、今までの自分の生き方を考えさせられましたね。
自分の将来のことを考えながら生きる、これは当たり前のことと思って生きてきました。
実際、若い時分はそれで良いと思いますが、ある程度、歳を重ねれば、その生き方を修正するのもありかなと。
そう言えるのも、世界的に見れば、日本が安定した良い国だからでしょうかね。 -
「初めに」の冒頭に「本書は、Living fou Todayーその日その日を生きるーひとびととそこにある社会の仕組みを通じてその日その日を生きるを再考することを目的としている」
このような本書が目的としていることを子細に読んでみると
上記の「ひとびと」とは、誰のことを指しているのだろうかとしばし考えさせられるが、多分「Living fou Today-その日その日を生きる-」の生活をしているひとびとをを指しているのだろう。
「そこにある社会の仕組み」とは著者が専門としている人類学の調査をしたタンザニアの都市生活者のことを指しているのだろう。
さらに、「再考する」という再考する社会とは
本書中で言及している人類学者である辻信一氏が『atプラス21』
(太田出版、2014年)において述べている「未来のために現在を手段化したり、犠牲にする」社会であり、
さらに、古東哲明氏が『瞬間を生きる哲学』において私たちは常に未来の豊かさや安心のために現在を貯蓄し、みずからの身体のある「現在」を生きていないということを紹介しており、これらのことを想定しているものと思われる。
以上みてきたとおり、著者はタンザニアの都市生活者の「その日暮らし」をみて、われわれの今抱えている問題を再考するとしている。
しかしながら、著者が本書で紹介しているタンザニアの都市生活者の「その日暮らし」の生活の仕方や考え方を知ったからといって、タンザニアの都市生活者の社会環境と生活環境があまりにもかけ離れているので、現在我々が抱えている問題が解決できるとは到底思えない。 -
・「世界的にみると、農業や漁業をのぞいて、ひとつの仕事を老いるまで続ける人のほうが圧倒的なマイノリティ」
・(アマゾンの奥地に暮らす少数民族ピダハンについて)「もっとも未開な人々は、ものを持たないゆえに貧困ではなく、ものを持たないからこそ貧困ではなかった」
本書ではこのような知見を参照し、現在の日本などにおける私たちの生き方への懐疑も動機としながら、おもにタンザニアの都市住民の営みに焦点を当て、私たちからは独特に見える価値観や共同体における工夫などが紹介されます。
ここで彼らに見出すのは「試しにやってみて、稼げるようなら突き進み、稼げないとわかったら転戦する」、「ジェネラリスト的職業選択と生計多様化戦略」であり、「どれかは/誰かは成功する」考え方とお互いに「借り」をつくらない関わり方や、商売上のコツを仲間内に惜しみなく伝えるスタンスが新鮮に映ります。
また、「店を構えることができた理由を聞けば、最初に返される言葉はたいてい「わたしの運だ」」という話は、自己責任的な重さとは対称的なエピソードであり、そこに暮らす人びとの心理的な余裕を感じさせます。
著者による「日本では「根拠のない自身」といった言葉をよく耳にする自信や余裕を持つのにどんな根拠・基準、あるいはルールが必要なのだろうか」といったつぶやきや、「生きていることからのみ立ち上がってくるような自身と余裕、そして笑いが彼らにはあった」とする彼らへの好意的な所感も印象的な著書です。
著者自身があとがきで「学術論文の癖が抜けず、なかなか堅苦しい表現を直すのに苦悩した」としている通り、本書の次に刊行された『チョンキンマンションのボスは知っている』と比較すると、若干の文章の固さを感じる部分もありました。
専業を基本とした私たちの生き方に対して、多業に価値を見いだし提案するという点では、伊藤洋志氏による著書、『ナリワイをつくる』も連想しました。 -
ルポとしての面白さは『チョンキンマンションのボスは知っている』の方が上。でも、比較文化的な観点から日本を考えるためには参考になる。また、海外ビジネスを考えている人は読んでおいて損はないと思う。
本書を読んでいると、杉浦日奈子の描く江戸庶民の暮らしが思い出される。例えば、タンザニアの人々の購買活動には計画性が欠けていて場当たり的だという指摘は、「宵越しの銭は持たない」という江戸っ子気質に重なるものだし、その時々の状況に合わせて職を点々として生きていくという点もまた、江戸の下層市民に見られるもの。何より、貸しと借りの感覚の(いい意味での)ルーズさは「金は天下の回り物」と言い切って、深く考えずに金を貸し借りしてしまうのになんだかんだで誰かに助けてもらえる、江戸の街がかつて持っていた懐の深さを彷彿とさせる。戦前まではこの空気は残っていたらしい。食い詰め者がホームレスとしてあからさまに排除されるようになったのは、街が焼け、江戸が根こぎにされた後のことだと語る人もいる。
ーー目標や職業的アイデンティティを持たず、浮遊・流動する人生はわたしたちには生きにくいものにみえるが、タンザニアの人びとはこうした生き方がもたらす特有の豊かさについて語る。それは職を点々として得た経験(知)と困難な状況を生きぬいてきたという誇り、自分はどこでもどんな状況でもきっと生きぬく術を見出せるという自負であり、また偶発的な出会いを契機に、何度も日常を生き直す術であった。(p.217エピローグより)
同様のことを杉浦日奈子は『百日紅』で葛飾北斎の娘・おえいに喋らせている(筆と箸二本あれば、おれと鉄蔵はどこだって食っていける、だったかな)。画業で名を成した故の自信に裏付けられた発言、というよりは、浮草の身を気にもかけない、飄々とした彼女の人柄を一言で言い表したセリフだった。彼らは家に他派の絵師が上がり込むのも気にかけない。タンザニアの零細商人たちが後続の同業者に惜しみなく自分の手管を教えてしまうように。
ただ、タンザニアの彼らと日本人とで決定的に違うことが一つある。『チョンキンマンションのボスは知っている』で言及される、独立自尊の気風だ。タンザニアの零細商人には、これが極めて強い。徒党を組むことを潔しとしない。「寄らば大樹の陰」「長い物には巻かれろ」という空気(同調圧力とも言う)が微塵もないこと。実は、「開かれた互酬性」を実現するにあたって最も必要かつ日本社会に欠けているのはそれなんじゃないかという気がしてならない。 -
一口に資本主義経済といっても、根底に流れる価値観(文化・宗教・自然等など)によって、どのように受け入れられるか(利用されるのか)は異なることを知る。とても面白い。
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資本主義の世界で生活しながらも先のことを考えない「その日暮らし」の経済とはどのようなものか?そんな経済を回しているアフリカや中国の人々を調査して論じた一冊。
3章まではなんとか読んだが、そこで一旦リタイア。著者があとがきで「文章に苦労した」と書いている通り、アカデミックな用語が多い論文テイストの文章がしんどかった。しかし6章はおもしろかったので完読。
困った時はお互いに贈与し合う関係が「いかに努力をしないか」という競争に繋がり、その地域が経済的に発展しない要因の一つになっている、という指摘は興味深く読んだ。日本と対照的だ。
先のことを考えずに、その時々で仕事をコロコロと変え、互いに仕事ネタを教え合い、流行りの仕事にみんなで飛びつく、という生き方はかつての日本でもあったのではないか。今の日本でそういう転がり続ける生き方をしてる人もいるだろうが、圧倒的に生き辛い感じがする。転職回数が多いことはマイナスだし、横の人的ネットワークが圧倒的に日本は貧弱だ。私たちは先のことを考え過ぎで、仕事というものを重く考え過ぎではないか。
6章で書かれた、貸し借りの関係の中で「とりあえずまだ返さなくてよい」ものが、スマホと送金システムの発達によって催促されるものに変わってしまった、という話がおもしろかった。それに対抗するやり方が、小口で沢山借りる、自転車操業的に借りを返すために借りる、というのも興味深い。この6章で書かれた貸し借りとそれに伴う心理的負担の話は読みやすかったし、一番おもしろかった。 -
読み応えのある内容だった。
なぜ、コピー商品が容認されているのかの背景が衝撃的だった。
その日を生きるためが前向きなメッセージとして発信されている社会のキラキラ感に魅力も感じる。 -
ブランドの偽物や海賊版の商品を見て、気持ち悪さや憤りを感じるだろうが、これらの主戦場であるインフォーマル経済は巨大であり、"今を生きる"ための要素が多分にあることがわかる本。世の中の新しいメガネが得られる。
詳細は下記
https://note.com/t06901ky/n/n6f119be5ed23 -
常識が揺さぶられる一冊。
タンザニアを舞台に「インフォーマル経済」のあり方を観察したレポートなのだが、現在の日本社会(の主流)とは全く異なる原理で動いているので、スムーズに読み進まなくて頭がムズムズする。
サブタイトルの「もう一つの資本主義経済」というのは、確かにその通りなのだけど、いままでは規模が小さいから見逃されていただけで、2つの資本主義が並立したり主導権が入れ替わるかはよくわからない。
最終章で触れている、スマホを使った送金システムの普及によって社会(我々とは異なる原理で動く社会)が変質し始めていることを示唆しているし。
一応、現代日本とは異なるというスタンスで述べてきたが、1970年代末頃の日本でも偽ブランド品が割と普通に受け入れられていた(abidasの靴とかネタ交じりで履いていた)ことを思い起こすと、「全く別」は言い過ぎかもしれない。
購読、おすすめです。
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