日本のクラシック音楽は歪んでいる 12の批判的考察 (光文社新書 1290)
- 光文社 (2024年1月17日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334101961
作品紹介・あらすじ
本書における批判の眼目は、日本における西洋音楽の導入において、いかに我々は間違ってそれらを受け入れ、その上その間違いに誰も気がつかず、あるいは気がついた者がいたとしても訂正せず、しかも現在まで間違い続けているか、という点である。(本文より)明治期に導入された西洋音楽。だが、その釦は最初から掛け違っていた。作曲家・指揮者として活躍する著者が、二十年を超える思考の上に辿り着いて示す、西洋音楽の本質。
感想・レビュー・書評
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創作の中でも音楽は(あと美術も)小説、映画、演劇などと違って「意味」を介在せずとも楽しめるジャンルだ。本書の中にも書かれているが所詮波長。歴史性など「意味」も付属するものの、究極は聞き手にとっては波長が心地いいかどうかだけの問題。著者の批判文脈は理解はできるものの、当方の音楽鑑賞に大きな変化をもたらすものではない。
吉田秀和に対する批判的評価は面白かった。ただ、吉田氏の文章によってクラシック音楽愛好者が増えたことも事実だし、たとえ勘違いだとしても鑑賞の楽しみを与えてくれたのも事実。導入期に著者の言うゆがみが無ければもっと豊かな音楽鑑賞が実現していたのかもしれないが。
あと古典邦楽については明治以降の教育にしっかり取り上げられなかったこともあり、本書で知った事実が複数あった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
半日ほどで読めた。
著者は、作曲家・指揮者と書かれているものの、ついぞ目にしたことはない。
なかなか強烈な著者の思い入れ(思い込み)にあふれた内容で、とりわけ邦楽の根幹は盲人によってのみ作られたとする理解には腰を抜かした。
ここまで好き勝手を書いた本を出版する光文社も度量が広い。 -
例えば日本に西洋音楽を持ち込んだ明治人の批判とかはおれにはわからないんだけど、とにかく音楽に関していろんなことに気付かせてくれた。
楽譜の忠実な再現してを求めた一時的な新即物主義の時代に井口基成はヨーロッパに行ったから、それが日本の西洋音楽を形作った。旋法の音楽が調性の出現で変化しバロック音楽が生まれたが、このような音楽は西洋音楽だけ。音楽で話すためには、西洋の言語を知らないとわからない、それはドイツでドイツ語でドイツ時から長唄を習うようなもの。当道座という盲人の集団のみが音楽を作ってきた日本の特殊性。黒人の音楽性が寄与したのはリズムではなくハーモニー。君が代は世界で唯一の非西洋音楽の律旋法で書かれた国歌。西洋音楽は語るが日本の音楽は自然にあるもの。調性音楽と階級社会の親和性。モーツァルトやベートーヴェンらは当然ですが相対音感だったこと。スウィングはアフリカ大陸ではなくバロックのイネガルに由来する。絶対音感を色覚に喩え、それが音楽性の豊かさとは別物であること。人工知能のつくる音楽やデジタル化された音楽についてなどなど。 -
受容の躓き:新即物主義 技術偏重主義 裸の王様 西洋・日本音楽の隔たり:秀才の罠 音楽で話す 和洋折衷 邦楽のルーツ:当道座・盲人たち 口伝・集団作曲・明治維新 行進は左足から:世界中例外なし downbeat/upbeat ジャズ・社会変革 西洋音楽と暴力:武器と楽器 利き手で喋る タンギングで話す バロック音楽:変化 宗教・政治・戦争の影 産業革命 支配と被支配の構図 誰もが吉田秀和を讃えている 楽譜から見落とされる音 歌の翼 音楽を運ぶ 現代日本の音楽状況 創を造る行為:あらゆる影響から自由に
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(新書・文庫)『日本のクラシック音楽は歪(ゆが)んでいる』森本恭正著
2024/2/17付日本経済新聞 朝刊
■『日本のクラシック音楽は歪(ゆが)んでいる』森本恭正著
衝撃的なタイトルが目を引く。著者はウィーンで長く活動した作曲家・指揮者。日本の音楽界にはびこる権威主義を徹底批判する。矛先は、発展期を支えた著名指導者や評論家にまで向く。賛否両論ありそうだが、批判が許容されにくい楽壇の空気に一石を投じるものとも解せる。近年は権威におもねらず、世界へ飛び出す若い日本人音楽家も目立つ。歪みは補正されつつあるのかもしれない。(光文社新書・968円)
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2024.01.21 Tweetより
https://twitter.com/smallboxman/status/1748459543716319604