このシリーズが始まった当初は本格ミステリに耽溺していたのでトリックやロジックの方ばかりに興味は向いていたが、もう40も過ぎると、トリック・ロジックはもとより推理「小説」としての物語の部分を重視するようになった。そしてそれら物語に熟成したワインのような味わいをもたらせるのはなんといっても文章の力である。
今回はその文章力が非常に際立ったものがあった。
全13編中、もっとも優れていたのはやはり現在作家として活躍している光原百合氏と石持浅海氏の2名の作品だった。これら「消えた指輪(ミッシング・リング)」と「地雷原突破」は文章のみならず物語としてもしっかりとしており、本格ミステリが奇想天外なトリックのみに支えられているのではないことを見事に証明してみせた。
光原氏の作品は所謂「日常の謎系」の作品でこの同趣向の作品である「僕の友人」、「店内消失」の中でも最も印象に残った。トリックの奇抜さは「店内消失」がこの3作品の中で最も大掛かりだが、読書中の愉悦、読後の余韻も含めてやはりダントツである(「僕の友人」は素人の拙い筆運びがそのまま出ている感じで、読んでいる最中に真相が見え隠れし、謎を謎として保てていないし、「店内消失」は架空の電話ボックスを設えるのはナイスアイデアだが、いささか懲りすぎ。人間消失の真相が壁を壊して脱出したとあっては肩透かしを食らった感が否めない)。
今回のベストはやはり石持氏の作品である。何百個とある音響地雷の中のたった1つの本物の地雷をどうやって犯人は踏ませることが出来たのか?
このように事件の状況も他作者と違い、大人の小説とでも云おうか、レベルが1つ抜きん出ている。淡々としたやり取りで繰り広げられる推理劇は渋かった。
その他特に印象に残ったのを列記するとまず「南の島の殺人」。鹿児島をスペインに思わせるミスディレクションが効いていてよかった。南の島が鹿児島の桜島で降雨が実は降灰だったというアイデアは秀逸。
次に「閉じ込められた男」。これは本書の冒頭を飾る1編で真相解明のヒント―寒い日でしかも停電だったのになぜ閉じ込められた男は布団に包まなかったのか―はツイストが効いてていい。ただ34歳のキャリアウーマンが無類の大きなぬいぐるみ好きという設定はトリックのために設えた人物設定というのが見え見えでちょっとあざとい。
それと「ホームにて」。よくある駅のプラットホームでの轢殺事故を殺人だと見破るのに回送列車を使用したのがミソ。
この3編くらいか。
あとトリックが解ったのは「湯めぐり殺人休暇 伊豆湯ヶ島温泉編」と「塩の道の証人」。
前者はただ旅館の女将が事件に関与していたのは気づかなかったがそれ以外は当たっていた(鮎川氏は偶然に因るところが大きいと述べていたが、これは許容できる範囲ではなかろうか)。
後者は睡眠時間が異常に長かったのですぐに解った。ただ時刻表を読者に提示せずに目の前でアリバイ崩しを行われても何のカタルシスも感じない。文章は上手いとは思うが説明文すぎるし、犯人の旧友が警察の事情聴取に塩の道の解説をするのは荒唐無稽だと思う。改行も少ないし、あまりに現実味に欠ける。
残りは何らかの不満が残る作品。
特に「壁の見たもの」は犯人が壁という名前だと云われても実際の壁なのか、「壁」という名の人なのか結局よく解らなかった。
また「DEATH OF A DRESS CROSSER―女装老人の死―」もヨガをやっている老人が後頭部を頭蓋骨が割れるほどの力で叩けるだろうか?トリック先行の不可能事件としての最も悪い例だろう。
今回はなんと云っても光原氏、石持氏の作品に尽きる。
これを読んで改めて彼らの作品を読もうと思った。明日の本格はここにあるといっても過言ではないだろう。