編者は鮎川氏が監修となっているが実質芦辺氏が95%は掲載作品を決定しているであろうアンソロジー。
兎にも角にもマニア垂涎という形容がぴったりの濃厚な内容で、逆に自分が本格ミステリマニアでないのを知った次第。
収録された作品は5作。
まずペダントリー趣味溢れる「ミデアンの井戸の七人の娘」から幕を開ける。このフリーメーソンをモチーフにした館物の連続殺人事件は小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』を意識しているところかなり大で作者が小栗氏に負けじとばかりに衒学趣味を十二分に発揮して健筆を振るっているが、これが私を含め、現代の読者にはかなり重く、正直、目くるめく物語世界に文字通り目くるめいて混乱する始末。
名探偵の名が秋水魚太郎、あまりに古めかしいゴシック調本格ミステリ、全編に散りばめられたユダヤ教の意匠、そして怪人物アイヘンドルフのアナグラム、これら全てが専門的過ぎ、読者を選ぶ作品となっていた。
しかしおかしなものでシャム双生児の真相はそれでも驚きに値するものであったのは素直に作者の技量の高さを認めるべきだろう。
次に続く宮原龍雄氏、須田刀太郎氏、山沢晴雄氏三者による合作「むかで横丁」。これはかなり無理を感じた。それぞれのパートで明らかに文体・構成が変わり、戸惑いを禁じえないし、なぜか最後に出てくる星影龍三も単なる狂言回しとしか扱われない粗雑さが読後感として残った。
「ニッポン・海鷹(シーホーク)」もやはり、倭寇の時代から江戸時代まで活躍していた日本の海賊をモチーフにペダントリー趣味を横溢させている。
どうも私はこのペダントリー趣味が合わないらしく、作品から立ち上る作者の熱気に反比例するかの如く、興味は薄らいでいった。
そんな中、ベストと準ベストを上げるとやはり「二つの遺書」と最後の「風魔」となる。
「二つの遺書」は失明した戦争から帰還兵、本條時丸が妻を心臓麻痺で亡くし、人生に絶望し、自殺する旨を記した遺書めいた手記から物語が始まる。しかし実際に密室状態で発見された死体は異母弟の柳原康秀で、手記の筆者である本條は行方不明となっていたというもの。
冒頭の遺書の裏側のストーリーを語る二番目の遺書という趣向が良く、プロットがしっかりしていた。あまりにストレートすぎる題名も他の作品に比べシンプルで好感が持てた。
しかし密室の機械的トリックは字面での説明のみであまり理解できなかったのは事実。この辺がやはり読者を選ぶことになると思う。
「風魔」は雰囲気を買う。他の4作品は先にも述べたように重苦しい雰囲気で、読書の楽しみよりも混乱を目的としていると邪推できるほど、読者を突き放したものだったが、本作は推理作家毛馬久里と相棒のストリッパー美鈴、それに加え、したたかな刑事、菅野の3者の掛け合いがユーモラスで物語に彩りを添えており、娯楽読み物としてきちんと性質を備えている。
内容は台風の夜、池の真ん中にある小島で起きる殺人事件を扱っており、この島が動くトリックには正直奇想天外すぎて呆然とした。小島に建物が建っていること、四面にドアのある一軒家など専門的見地から見るとご都合主義を押し着せられるような感じがして素人考えの浅はかさを感じずにはいられないのだが、前にも述べたように登場人物のキャラクター性といい、娯楽読み物という性質を鑑みてギリギリ許容範囲とした。
しかし、これら昭和初期の本格推理(探偵)小説を読んで意外だったのは、真相が名探偵によって暴露されるのではなく、犯人の独白や手記によって暴かれる事。名探偵はある人物が犯人であることの外堀を固めていきはするが、犯行の動機・トリックなどの事件の核心は犯人に語らせている。
これは欧米の名探偵ホームズ、ポアロ、ブラウン神父などがあまりに神がかり的に事件を看破することに対する彼らなりの問い掛けなのか、それともそれら有名な名探偵たちに対する遠慮なのだろうか?
その辺の言及が編者から一言も無かったのが悔やまれる。