- Amazon.co.jp ・本 (406ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334752903
感想・レビュー・書評
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国家論とか政治論とかにはいつでもどうしても興味が持てず、後半、16-19章は飛ばし、20章だけ読んだ
スピノザの宗教観、とてもいい
要するに、聖書は、神への服従を言ってるのだ。そして神への服従とは、隣人への愛として行われるのだ。
要するにこれだけのことだ、と。
素晴らしい。初めてあのわけのわからん宗教がよくわかった。確かにそうだよ。
そして、発言の自由を認めるべき、ってとこね。
これは今なら表現の自由と読み替えたい。
発言の自由を抑えることは不可能なのだ、どんなに法で否定しても、人は自分の好きに考えることをやめられない。
つまり、好きに考えることをやめさせようとするのは、人間の性質を無視した矛盾でしかなく、結果、破滅的な結果をうむことにしかならない、と。
そんな抑圧しなきゃいいのだ、好きなこと考え、好きなことを言えばいいのだ、ただし、法を犯すような行為はだめよ、と。法には従うように、と。国が腐敗してない限りは、と。
さすが、厳密なだけで、答えはめちゃくちゃシンプルなんだよなー
なるほど、「どうしてソクラテスは死ななければならなかったのか」という問いがプラトンの基本にあるとしたら、スピノザにはやはり、「どうして自分の意見を言うことに命をかける必要があるのか」という疑問があるのだろう。
それは、ユダヤ教から破門されたこと、その後、暗殺されそうになったことが根本だろうし、そのとき切り裂かれたマントをその後もずっと手放さなかった、というのに現れてるんじゃないか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
宗教権力に対する抵抗と民衆への不信。
スピノザ、単独者による神聖や世俗への根底的批判である。
本書は光文社新訳古典文庫であり、文章は、ジュブナイル、リライトと思えば、むしろ、それは難解な古典がわかりやすく通読できるという点で優れものである。
私は、岩波文庫の同書を読み、歯が立たなかったのが本書では、あっさり読めた。
読めたからこそ、「宗教権力に対する抵抗と民衆への不信。スピノザ、単独者による神聖や世俗への根底的批判である。」などと書きつけることもできたのである。
そして、本書で私がようやく理解できたことが、「マルクスはスピノザの方法に負う」という言葉である。世界への根底的批判を達成するために、マルクスが古典経済学へ向かうように、スピノザもまた聖書へ向かう。前者は資本主義世界、後者は中世権力である。両者にとって、世界とはテクストである。テクストの検証、批判を通じた「イデオロギー批判」であり、スピノザは、明白な宗教批判だが、マルクスもまた資本主義という宗教性を批判する。
マルクス、スピノザ、それらを「単独者の批判」と呼び、超越論的な視座にある。