- Amazon.co.jp ・本 (322ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344023611
作品紹介・あらすじ
孤独と自由を謳歌する、国際的なドキュメンタリー作家・伊奈笙子、69歳。秒刻みのスケジュールに追われる、大企業のトップマネジメント・九鬼兼太、58歳。激動する世界情勢と日本経済、混沌とするメディア界の最前線に身を置く二人が、偶然、隣り合わせたパリ行きのファーストクラスで、ふと交わした『プラハの春』の思い出話…。それがすべての始まりだった。容赦なく過ぎゆく時に抗う最後の恋。愛着、束縛、執念…男女間のあらゆる感情を呑み込みながら謳い上げる人生賛歌。
感想・レビュー・書評
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母の本棚から拝借。
話題になっていましたねー。
70歳からの恋。
いやらしい意味ではなくアダルトな内容でした。
これから高齢者もどんどん増えていくし、この年齢から始まる恋も珍しくなくなるのかも。
ただ、内容がセレブリティで若干置いてきぼりにされた感はありました。 -
高齢者の恋・愛・性
「私は岸恵子をエエカッコしいと思っていたが、ここまで己をさらけ出す小説がかけるとは!」みたいな幻灯舎社長見城徹氏のキャッチコピーにまんまとひっかかって買ってしまった。最後まで退屈せずに読めたので最低限の水準は越えている恋愛小説ではあるが、単行本で買うことはなかった。ブックオフで105円になるまで待つべきだった。
お話は、若いときに夫を亡くした自由で孤独な69歳の国際的女性ドキュメンタリー作家と分刻みで世界を駆け回り妻や子供たちの世界に交われない58歳の大企業エリート幹部が出会ってから6年間の恋と性と愛の物語。たぶん、この本は岸恵子さんの実人生とかなり重なっていると思う。
上質な恋愛(性愛)小説には読んでいてときめいてドキドキしたり、ジーンとしびれたりするが、この本は読んでいてそういうものがほとんど感じられない。
なぜそうなのか?
主人公二人の年齢が高齢だからか?
主人公二人の世界がセレブすぎて庶民からかけ離れているからなのか?
著者の作家としての力量不足なのか?
それとも、読んでいる私が高齢(65歳)だからなのか?
そのいずれかであり、すべてであるかもしれない。
まあ、お金と時間が無駄になったとは思わない(そういう本もあるが)が、五つ星が満点でかろうじて合格★三つである。ブクログの私の評価で星四つ以上は自分の本棚に永久保存、私の超おススメ。星三つは合格点だが私の本棚に残す本と本棚に残さずブックオフへ売る本に分かれる。「わりなき恋」は★三つでも単行本でスペースを取るしブックオフ行きと思ったが、最後の別れのシーンに少しジーンときたのでとりあえず本棚に。
少し厳しいレビューになりましたが、岸恵子さん、貴女は数多い私の好きな女性の一人です。少し前にTVで拝見しましたが、八十路を越えられてもなお美しく、知的で、お転婆な貴女は日本の宝です。
蛇足
恋とは自分の意志とは関係なく落ちるもの。恋ははしかのようにかかるもの。年老いても恋に落ちることがあるが、性欲の強い若いときの方が恋に落ちやすい。性欲と恋は分ちがたく混同しやすい。
性(欲)は食欲と同じ。「食べる!」「食べたい!」「美味しそう!という言葉を性的な意味で使っても何の違和感も無い。理屈でなく善も悪もない本能。性欲も食欲も心(意欲)と体の部分がある。食欲は、年を取ると胃や歯など体の能力が落ちるに比例して食べる心(意欲)もすくなくなるが、性欲は年老いて体の能力が落ちても心(意欲)の部分が若いときとほとんど変わらないところが違う。年取ってそれは煩わしくもあるが、それが無かったら生きている楽しみが半分以上無くなるだろう。
愛とは何だろう?やっぱり、これがいちばん難しい。
誰にとっても、人生の最終課題。
まず、自分に執着しないこと?
他者へのやさしさ、思いやり、想像力?
言葉にすれば、そんなことだろうか? -
69歳の笙子と58歳の九鬼が国際線の機内で知り合ってから、足掛け7年の交際模様を描いた作品。九鬼には妻と5人の子供がおり、笙子は30年前に夫を飛行機事故で亡くして以来の恋。出会ってすぐの心のときめき、恋がいつしか愛に変わる瞬間、意見の対立や激しい口論、ともに乗り越える試練。2人を取り巻く環境も時間とともに変化し、その中で叙々に移り変わる関係性が丁寧に描写されている。
岸惠子さんの本は初めて読んだ。なんだこの、溢れ出る文才は!読んでいて溜息が出るくらい美しい文章が、最初から最後まで淀みなく続いた。個人的に最も印象的だったのは、冒頭のこの一文。
「止めた足を人の往き交う雑踏の中に戻した女は、視線を遠くに結んで、ゆっくりと歩いた。(6頁)」
止めた足を雑踏の中に戻す・・・「歩き出す」という行為の開始を直接的な言葉にしないで表現しようなんて、わたしなんかには思いも寄らない発想。すごいなぁ。わたしが小説を読む原動力になるものは、内容そのものより、こんなふうに圧倒的な表現力を目の当たりにしたときの感動なのかもしれないなぁと思う。
たしか高校生くらいのとき、「小早川伸木の恋」というドラマがあって、大人のドラマなんか滅多に見せてくれなかった母親がなぜかそのときだけ了承をくれたので(何故なのか猛烈に気になってきたから次会ったら確認する)、食い入るように観た。内容も結末もほとんど忘れてしまったけれど、エンディングに納得できない!と凄まじく悶えた記憶だけしっかり残っている。
既に分別がついてしまった大人同士の恋愛は、相手への配慮とか自分への矜持とか、とにかく考えなきゃいけないことが多すぎて、好きならそれでいいじゃん!的な感覚だった当時のわたしには全く理解が及ばなかったんだろうなぁと今になって思う。今回この本を読んで、まぁそうなるよね、そうなるしかないよね、と、著者が設定した物語の着地点の合理性というか仕方のなさみたいなものに、すんなりと納得がいった。わたしも、大人になったのだ!
もしこの小説が、笙子にも家族がいる設定だったら結末はどうなっただろう。きっと「お互い様よね」という薄情な連帯感が息苦しいほど募る互いへの想いを発散させてしまうだろうから、こんな切なくて狂おしい小説になんてなり得ない。不公平だからこそ生々しくて、そのリアルさが心に刺さるのかな。 -
読むのに時間がかかってしまった。
夢中になって早く続きが読みたい…とはならなかった。
69歳と58歳の出逢いを否定はしないけど、
文章が時に高尚過ぎて、時に稚拙で、なんだかくるくると気持ちが乗らなかったなぁ〜。 -
出会った当時このままでは二人とも焼き焦げてしまうのではないかというくらい情熱的に恋をしていた。ただ彼には家族があり、時の経過とともに少しずつそれが垣間見えてきて苦しむ主人公。また、今までに見たことのなかった彼の一面に触れた時の彼女の驚き。恋もその他の人間関係も突き詰めていったとき、疲れのようなものを感じるのかもしれない。彼は孫に触れたときその喜びを隠すことなく彼女に話し始めた。彼女は嫉妬より彼の幸せそうな姿を見て、互いに愛していたけれど、彼を家族のもとに返す決心をし、彼が飛行機に乗るとき別れの手紙を手渡す。愛していながら相手を思いやり分かれていく二人が素敵だと思った。苦しんだとしても何もない人生より良いのかもしれない。私もいくつになってもこんな恋のできる人でありたいと思った。
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岸恵子さんの私小説的内容。実話ではないらしいけど、伊奈笙子と岸恵子をだぶらせてしまう要素たっぷり。
70歳の恋愛を否定はしない。だけど、小説の設定(伊奈笙子と九鬼兼太)があまり一般的ではないためか、もうひとつピンとこなかった。
今もテレビで時々お見かけする岸恵子さんは、とても80歳には見えないし、素敵な女性だと思うけれど、この小説はもうひとつ馴染めなかった。 -
久々に読んでいるのが苦痛だった。
次に控えている本を横目で見ながら、もうすぐアンタにたどり着くから待っててね、と奮い立たして読み終えた。
大人の恋愛は大いに「アリ」だと思っている。
それが、70オンナと年下男の話、となれば、期待して読み始めたわけだ。
幻冬舎のどぎつい広告に惑わされて、ね。
そしたら、コレだ。
なんだ、コレ。
小説としてもテイをなしてない。
上っ面だけの散文集みたい。
70オンナのゴージャスなありえない生活ぶりも、そりゃあ、本の中でいえば、アリ、だろう。
恋愛だって当然。
震災の下りも、筆者はたぶん、現地に行ったんだろう。
でも、中途半端。
ここの中では恋愛話の彩りにしかなってない。
さ、次を読もうっと。 -
歳は十分すぎる国際的に活躍する女と初老のトップビジネスマンの恋。社会的活動(仕事を持っている)は年齢を超える。二人の差異は過ごした時間の歴史だけ。男女の年齢差を感じさせない現役の恋愛。別れは年齢が理由ではない。岸惠子さんのパワフルさがじかに感じられる。加齢による性的な違和感が巷では話題だけれど、そんなことは、男女の恋愛において本質的な問題ではないんだよ。文章は説明的だし、冗長だけれど通俗小説ではなく、自伝的小説です。
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勧められて読みました。著者の本は初めてで、映像からの印象しかなかったのですが、心情も丁寧に描かれていて一気に読みました。前半は、恐らく笙子と同じように九鬼の気持ちを全面的には信じられず、後半に近付くに連れ「このまま幸せな結末を」と、何が幸せな結末なのかもわからずに願っていたように思います。最後は、一般的な幸せ、2人が人生のパートナーとなることは難しいことを突きつけられましたね。この物語の幸せは、「幸せな時を持つことができた」に尽きますね。読み終わり直後より少し経った今、清々しさを感じます。