森瑤子の帽子

著者 :
  • 幻冬舎
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本棚登録 : 159
感想 : 23
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  • Amazon.co.jp ・本 (383ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344034341

感想・レビュー・書評

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  • 森瑤子という作家を、同業者、娘、夫、友人たちと話を聞いていき、複雑で繊細で強くあろうとした作家の、女性としての、個人としての、母親としての、責任と葛藤と信念を読み解いていく。
    筆者の目線のやさしさと、憧れと、真摯さが伝わる一冊だった。

  • 青春時代に森先生の作品を読んだ私には
    煌びやかな側面と
    その陰にあった 森先生の
    素直で寂しがりやな一面
    旦那様や家族への愛の一面
    虚像 森瑤子を演じた一面
    それらすべてが
    懐かしく感じます

  • 二十代の頃に 随分 読み漁った
    森瑤子さんの著書。

    生意気なことを言えば

    平常心の時には
    やや 過剰に感じてしまう

    彼女の恋愛至上主義や
    自己憐憫やスノビズムなどが

    "何かを失った"時に手に取ると

    ジンワリとー
    まるで 砂漠に染み込む水のように
    心を満たしていく

    という 不思議さ。

    胃を痛めながら
    ギリギリまで
    自分自身を追い込み
    本名の伊藤雅代を凌駕する勢いで

    森瑤子を演じ続け
    52歳で逝ってしまった

    か弱く 繊細で
    臆病な女性の姿を

    家族や秘書
    仕事仲間や同級生たちが証言する

    『森瑤子の帽子』。

    こんな斬新な帽子が
    ここまで似合う人なんて

    他にいないですよね。

  • 私がうんと若い頃、かっこいい大人のオンナとはこのような人なんだなあと思って見ていた。
    少し前に読んだ安井かずみ同様、遠くから見ているだけでは絶対にわからない、彼女なりの苦しみが見えてきて、読んでいてつらい。

  • 森瑤子さんは、人気のある作家だった。当時若かった私も貪るように読んだ。人と人とのふれあうヒリヒリするような痛みに共感し、登場する場所やモノに憧れた。
    最近、ふと懐かしくなって「情事」を読んでみた。あまり楽しめなかった。なぜこの主人公はこんなにイライラしているんだろう。もっと伝える努力をしないと人間関係なんて改善しないだろう! と、本読みとしては面白くない感想を抱いてしまった。昔あんなに好きだったのにどうしてだろう。屈託のない人生を送って自分が変わり、世の中も変わった結果なのだろう。
    で「森瑤子の帽子」だけど、いろいろな人のインタビューから多面的に人を浮かび上がらせるこの手法は、やはり面白い。ご主人と3人の娘さん、全員のインタビューは貴重だ。前作の安井かずみさんは時代によって変わっていく様子が浮き上がっていつたが森瑤子さんは、主婦時代も作家時代もあまり変わらない。常にどこか燻ったものを抱えているのが痛々しかった。

  • p222
    装丁 緒方修一

  • ふむ

  • バブルの時代、一主婦が作家デビューし、センセーショナルな作品を大量に産み落とし、そして去っていった。彼女は伊藤雅代から森瑤子になり、生き方そのものが女性たちの憧れとなった。そんな彼女の素顔を彼女と関わりの深かった人たちのインタビュー中心につづっていく。私は森さんが実際に活躍していた頃を知らないけれど、彼女の鮮烈な生き方を感じてみたいと思いました。

  • 「安井かずみがいた時代」は傑作だった。その思いが強すぎたのか、最後までどこか入り込めずに読み終えてしまった。「安井かずみ~」は、語り手が替わるにつれて、どんどん人物像が陰翳を増し、複雑になっていく描き方が素晴らしかった。本書は、そこがややもの足りないような気がしてしまった。

    しかし、いつもながら島崎さんの人物への迫り方は見事だ。「この人は実際にはこういう人だ」というような決めつけ方を絶対にしない。どれが「実像」でどれが「虚像」かなんて、誰にもわからない。ものを書いて(表現して)生きていくことを選んだ人の孤独が、切々と伝わってきた。

  • 一人の人間に関わった多くの人を取材して、多面的にその人の実像を浮かび上がらせる。前著『安井かずみがいた時代』と同じ手法で書かれている。ただし実像は浮かび上がるとは言えない。それも前著と同じだ。

    人はすべての人に対して同じような振る舞いをするわけではない。どの時代に、どんな立場で森瑤子に、あるいは、伊藤雅代に、マサヨ・ブラッキンに関わったかによって見え方も変わってくるだろう。

    どの見え方も虚像のようにも思えるし、実像のようにも思えてくる。きっと誰もがそうなんだろ思う。まして、作家として自己プロデュースをしていたのなら、余計に「虚実」の境は見えなくなってくると思うのだ。

    島崎今日子さんが書くものは、どれも実像に迫るように見せかけて、「本当の自分」など誰にもわからない、関わった人の心の中に残っているものが実像だといあぶり出していると思える。

    そしてあらためて、島崎さんの硬質な文体には憧れる。取材力、構成力も素晴らしい。こんなスタイルの文章を書きたいと本当に思っている。

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著者プロフィール

一九五四年十一月、京都市生まれ。ジャーナリスト。ジェンダーをテーマに幅広い分野で執筆活動を行っている。著書に『森瑤子の帽子』『安井かずみがいた時代』『<わたし>を生きる―女たちの肖像』『この国で女であるということ』などがある

「2021年 『だからここにいる 自分を生きる女たち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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