- Amazon.co.jp ・本 (239ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344035768
感想・レビュー・書評
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この本は、インターネットの普及により時代の流れが速くなり、情報が溢れ、情報に流されて自分で考える力がなくなっている人が多いので、「遅いインターネット」が必要だと書かれています。
文体が難しくなかなかすっと入ってきませんでしたが、色々と参考になりました。
ぜひぜひ読んでみてください詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
https://www.silkroadin.com/2020/04/blog-post.html
1.民主主義を半分諦めること
2.拡張現実の時代
3.21世紀の共同幻想論
4.遅いインターネット
以上、大きく分けると4つの主張から構成。
本書のタイトルである「遅いインターネット」
今必要なのはもっと遅いインターネットであるという最大の主張と、そのように結論付けをした根拠を1~3の章で解説。
キーワード
・自分の物語を生きる
・境界のない世界の獲得とそのための努力
・仮想現実から拡張現実へ
・共同幻想からの自立
・物事に対する入射角と距離感
本書に書かれている内容は今の日本、世界にとって必要な言葉、考え方です。
是非ご覧ください。
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うーん。
1964年の東京オリンピックのドキュメンタリー映画を見た母が「この本の前書きが私が最近思っていることに近い」と連絡してきて(前書きだけ無料公開してる時期があった)、興味をもったのがきっかけ。
確かに、東京オリンピック2020が前回のと比べてビジョンがない、という冒頭の問題提起には同意。
しかし、本旨はオリンピックと関係がなく(それはタイトルを見て察するべきだったけど)、何より著者が示したい結論に対する論拠が弱いし、各論拠も根拠薄弱で議論についていけず流し読み(後半はもはや読んでない)。
学術的な本ともジャーナリスティックな本とも違って戸惑いました。著者の肩書きは「評論家」。なるほど...評論家による評論エッセイ? -
タイトルに惹かれ、読んでみました。
何事でもスピード(速いこと)がよしとされる昨今、
「遅い」って魅力的なタイトルです。
そして、まえがきがすこぶる良かった。
著者もまえがきに自信があるのでしょう。
無料公開していましたし。
著者は、東京オリンピックに反対みたいなのですが、
なぜそう考えるのか、また戦後から平成にかけて、
日本が歩んできた道を考察しています。
なるほど、そんな風に歴史を紐解いたことはなかったな、、
という感じです。
本文からは、ちょっと内容が難しくなってきます。
あんまり自分の知らない(詳しくない)分野。。
でも、SNSなどに縛られた生活をしている生き方に疑問を持つ著者のスタンスには賛同します。
また、あとがきも中々ユニーク。
僕もどちらかというと編集者のMさんは苦手な部類なのですが、
著者の考えも一理あるなと感じました。
この人(著者)、あまり知らないのですが、思想家のような人ですね。
本の内容よりも、カバーを取った本のデザイン(色)が
透き通るようなブルーなのですが、この色がとても好きになりました。
どうでもいいかもしれませんが。 -
世界観がとてもおもしろいし、共感できる部分が多い。
こういう活動が有機的に広がると世の中がよい方向変わっていくように感じた。 -
ワイドショーから生贄を見つけるたびに目を輝かせて批判を投稿するTwitterの人々。それに嫌気がさしていた時にちょうど良い本だった。スロージャーナリズムはいいなと思った。NHKの素敵な番組って結構そういう感じかもなあ。なんか、スローなメディアに転職するのもありかなって思ったよ。
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かつて栄光を予感させた新しいテクノロジーやイデオロギー(インターネット、ソーシャルメディア、民主主義など)からはもはや希望が失せ果て、そこに蔓延る衆愚に対する苛立ちや怒りを隠そうともしない。しかしそれを猛烈なエネルギーへと変え、迸る情熱を紙とペンに宿し、書くという行為にぶつける。サブカルチャー論をはじめ、著者の作品はそれなりに読んできたつもりだけど、これまでで最も熱量が込められていたように思う。
トランプやブレグジットをはじめとした昨今のポピュリズムへの回帰を、グローバリズムとの境界を持つ者・持たざる者の分断によって説明。
また吉田氏や糸井氏といった20世期的批評を補助線として引きながら、インターネットとソーシャルメディアがもたらした個と社会との接地面の変化を鮮やかに析出し、その問題解決を「遅いインターネット」に求む。
その帰結をメディアに求めたことは意外ではあったが、重要なことはこれを安易に批判することではなく、スローに考え、自分なりの問いを立てて答え直すという営みを、1人の自己として果たすことだろう。それが、この本を読んだ人間としての最低限の責務だと思う。 -
SEO汚染が拡がり、タイムラインはミームと炎上にまみれ、SNSは自己承認欲求の充足装置を通り越しビジネスツールに成り下がっている。
その現状をある種の敗北と位置づけながら、旧来の媒体に退行するのではなく「考える」余白をとるための「遅いインターネット」という戦略を取る。それが本書の骨子だと理解した。
自己幻想、対幻想、共同幻想の境界が溶け合っているという指摘、
若い世代では「読む→書く」ではなくまず「書く」が来ているのだという指摘には驚きつつも、納得感があった。
考える力を取り戻すための「遅いインターネット」という考え方自体には共感する。
しかし、この考え方を、宇野常寛さんが届けたいという射程にまで広げるにはどういうアプローチがよいのだろうか。
よくある「勉強会は、本当にそれを勉強してほしい人はこない」問題。意識が高く自己研鑽に(時間的にも金銭的にも)投資する/できる層は「遅いインターネット」という装置がなくとも自己幻想の過剰な肥大とは自覚的に向き合えるのではないか。
目の前のタイムラインに流れた情報をとりあえずRTする、マスクを買うために朝からドラッグストアに行列をつくる。そういった層に届けるにはどうしたらよいのか。
NewsPicksの書籍として本書のような硬質な内容が出版されたのは、もしかしたらそういう端緒につながるのかもしれない。 -
インターネットがもたらした創造と破壊、得てして利便のみがフォーカスされるが知識を外部化したことによって退化するものへの懸念と問題提起。
単なる懐疑論ではなく実態としてのエビデンスを示し個人的には成程と思うことが多かった。 -
ソーシャルメディアによる「動員の革命」とは、ポピュリズムの一形態にすぎない。
世界はいま、グローバル資本主義のプレイヤーである「境界のない世界」の「Anywhere」な人たちと、ローカルな国民国家にいる「Somewhere」な世界の住人に二分されているように見える。しかし、実際は境界は取り払われている。だから、壁を求める人々が増加している。
民主主義というゲームは、原理的にあたらしい「境界のない世界」を支持できない。そのため、「Anywhere」な人たちは、民主主義という土台において「Somewhere」の意見に負けざるを得ない。
この2種類の人々を決定的に分断しているのは、「世界に素手で触れているという感覚」。民主主義は、この感覚を人々に与えるために必要なものであった。
「この一票で、世界が変わると信じられること」が民主主義の最大の価値だった。
グローバルとローカルという関係がまだ成立してない時代には、「世界に素手で触れている」という感覚は、政治的アプローチの専売特許であり、だからこそ、20世紀の若者たちは革命や反戦運動に夢中になった。
しかし、21世紀の時代は、国家よりも市場が、政治よりも経済が人々の生を支配する世界になった。
にもかかわらず、民主主義と言う政治的なアプローチを超える意思決定のシステムを持っていない。
21世紀において、価値の中心は「モノ」から「コト」に、「他人の物語」から「自分の物語」に移行している。
劇映画は、MCUのように作品単体の面白さではなく、包括的な物語を体験すること、それをシェアすることに変わった。
またゲームは、ポケモンGOのように、ゲームの枠組みを利用し街歩きをすることで、街の良さの再発見と自分一人だけが味わうローカル体験に変わった。いずれも「コト」「自分の体験」へのシフトだ。
こうした21世紀文化は、日常×非日常×自分の物語×他人の物語に分類できる。
今必要なのは、日常の領域で、自分が物語を紡いでいるという実感であり、これこそが暗礁に乗り上げた民主主義を再生し得る。
そのためには、「遅いインターネット」の発明が重要。
これは、インターネットやSNSの早すぎるペースにとらわれず、自分でじっくりと物事を考え、「書く」技術を共有するような仕組みだ。
情報に対する速度を、距離感を、進入角度を、自分が主体的に自由に決定することが大切である。
【注釈】
フェイクニュースに対抗するために「ファクト」を重視することは大切だが、それだけではだめだ。
何故なら、フェイクニュースは欲望の問題であり、正しいか間違っているかよりも、自分が述べたいオピニオンにとって都合のよいファクトを求めているから。ファクトが間違っていることは気にしないのだ。
また、世界にはそもそも絶対的な真実があるわけではない。ファクトの正しい報道は大事だが、あるファクトが報道されれば正しいオピニオンも自動的に導き出されるという考え方は危険だからである。
【感想】
遅いインターネット を読んで
本書は、インターネットが高速化するにつれ、その在り方を変えてきたことによる「弊害」を説明し、それへの解決策として「遅いインターネット」を提唱している。
①SomewhereとAnywhereな人々
2016年は、トランプ当選やブレクジットに代表される、ポピュリズム政策が躍進する年であった。
その躍進を生んだ一番の理由に、人々の属性が二分されたことが挙げられる。
具体的には、人々がSomewhereとAnywhereな人間に二分されたことである。
Somewhere人間はローカルに留まるブルーワーカ―、Anywhere人間とはグローバルに活躍するホワイトワーカーを想像してみてほしい。
彼らは年収、住まい、価値観、政治的イデオロギーなど、様々な面で対照的な人間群である。その中でも、トランプを当選させイギリスをEUから離脱させた決定的に異なる価値観は、「世界に素手で触れている」感覚である。
②政治よりも経済が支配する世界
世界に素手で触れている感覚というのは、「自分の存在で、世界が変わると信じること」である。
この感覚は、20世紀においては政治の専売特許だった。政党はSomewhere人間に、彼らの生活の安定を約束する。彼らは投票を通じて政党の公約の実現を支援する。政党は政権を握った見返りに、有権者の雇用を保障する。ここに実現したのは国民と政治家とが手を取り合った「国作り」であり、国=世界の全てであるローカル人間たちは、間違いなく世界に素手で触れていた。
しかし21世紀になり、Anywhereな人間達が国の生産を主導するメインプレイヤーになると、政治よりも経済が、社会よりも市場が力を持つ時代が到来した。
そのような時代には、Somewhere人間は世界に関わりを持てず、居場所が無い。
対するAnywhere人間は、世界がより水平で平等で透明なものになることを望んでおり、彼らは経済を持って「世界に素手で触れて」いた。
彼ら二分した人間のイデオロギーのぶつかり合いが、大統領選挙とブレクジット国民投票であった。しかし民主主義の枠内において、政治的解決を望むSomewhere人間に、経済的解決を望むAnywhere人間は勝つことができなかったのは、当然の結果といえよう。
③遅いインターネットによる書く技術
21世紀になり、人間の価値観だけでなく体験の価値観も変化した。
価値の中心は「モノ」から「コト」に、「他人の物語」から「自分の物語」に移行したのだ。
そのため、これから重要になるのは日常の中で自分の物語を紡ぎ、「自分が世界に素手で触れている」感覚を持つことである。
著者は、それを実現するために「遅いインターネット」が必要だと提唱している。
遅いインターネットとは、自分でじっくりと物事を考え、「書く」技術を共有し、情報に対するテンポを自分が決める仕組みである。
現在のネット社会において、情報の速度は上がるものの、情報の価値は下がる一方である。
これは大衆による「情報のポピュリズム化」の結果である。
誰でも「自分の物語」が欲しい。みんなの目に留まり、賞賛を浴び、世界を動かしている感覚を味わいたい。
その結果が情報のファストフード化である。重要なファクトよりもセンセーショナルなゴシップのほうが人々の興味をそそる。バズリやすい嘘ツイートは、己を発信力のある人間のように飾り付けてくれる。他者を批判し燃やすことが、自分の人間の価値が高まるように見せかけてくれる。
そうした情報の速度から一歩距離を置き、ゆっくりと「自分の物語」を紡ぐことこそが真の「世界に素手で触れられる人間」作ることにつながるのだ。
本書の構成だが、「遅いインターネット」というタイトルにもかかわらず、結論が「自分で書くこと」というのでは何かしっくりこない。
「自分で書くこと」はインターネットの使い方ではなくて、自分が世の中にどんなテンポと態度で接するかの問題である。言葉を変えれば、インターネットの有無は、「素手で触れる」ための感覚を養うことには無関係だ
「遅いインターネット」というキャッチ―なタイトルで読者をひきつけたいというだけの本であった、という印象である。