スポーツの後近代: スポーツ文化はどこへ行くのか

著者 :
  • 三省堂
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  • Amazon.co.jp ・本 (259ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784385356754

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  • ポストモダン(=後近代)のスポーツを模索すべきである今、著者は近代科学と宗教の接近に着目し、こうした「合理主義」と「非合理主義」という相容れない論理を如何に共生させるかが、後近代のスポーツの方向性、可能性であると論じている。

    近代論理によって誕生した近代スポーツによって、伝統的スポーツの土着性、祝祭性が排除され、近代化にそぐわなかったスポーツがスポーツ文化の周縁に追いやられた事実は、重いものとして受け止めねばならない。
    また、現在、行き過ぎた勝利至上主義が問題となっているように、近代スポーツがもつ「競争原理」が歪な形となって顕在化している昨今の状況を考えれば、近代論理に一定の限界が生じてきていることについては、同意せざるを得ない。

    しかし、本書では、近代スポーツがもたらした罪過の部分へ中心的にスポットを当てている(勿論、近代スポーツを否定する論旨なのだから当然のことではあるのだが)一方で、功績が過度に軽視されている印象を受けないこともない。
    霊的世界への接近といったような思想にバックボーンを支えられているような伝統的スポーツは、時代の変遷とともに思想が転換する可能性を考えれば、ある意味で危うい存在であり、近代スポーツが誕生せずとも、伝統的スポーツが時代の流れによって淘汰される危険性は十分に孕んでいるといえる。
    近代スポーツを「西洋中心主義」と否定することは簡単だが、産業化、規格化といった近代論理に基づいて体系化された近代スポーツが、思想の差異に囚われにくい万国共通のスポーツの楽しみ方を世界へと提供したという事実は、今もなお決して軽視してはならない部分であると、私は思う。

    また、「土着性の残るスポーツ万歳!」という方向へと傾倒しすぎている感が拭えないことも気になる点である。
    闘牛に代表されるような「野蛮」であると一般的に形容されるスポーツを、伝統を守って土着性を残すものとして評価すべきであるという意見にもある程度は賛意を示すことができるのだが、より広い視点として「動物との共生」というテーマを考えた際、果たして賞賛されるべきものなのだろうか…という疑問も同時に浮かぶ。
    西洋中心主義を否定し、東洋の土着性をも尊重する「共生原理」を推すならば、同様に「人間中心主義」とも言えるような"野蛮"さにも、もっと疑いの目を向けるべきだと思うのだが…

    考えるべき価値のあるテーマではあるのだが、そのバランスの取り方が非常に難しい。

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著者プロフィール

日本体育大学名誉教授
東京教育大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。愛知教育大学助教授、大阪大学助教授、奈良教育大学教授、日本体育大学教授を歴任。退任後、21世紀スポーツ文化研究会を創設。主幹研究員を務める。専攻:スポーツ史、スポーツ文化論
主な著書に『〈スポーツする身体〉を考える』(叢文社、2005年)、『テニスとドレス』(叢文社、2002年)、『スポーツ文化の脱構築』(叢文社、2001年)、『スポーツの後近代』(三省堂、1995年)、『スポーツを読む(全3巻)』(三省堂、1993年、1994年)、『からだが生きる瞬間』(編著)(藤原書店、2018年)、『スポーツ史講義』(編著)(大修館書店、1995年)、『近代スポーツのミッションは終わったか』(共著)(平凡社、2009年)、『図説スポーツの歴史』(共著)(大修館書店、1996年)、『ボクシングの文化史』(翻訳)(東洋書林(カシア・ボディ著、稲垣正浩監訳、松浪稔ほか訳)2011年)、など多数。元スポーツ史学会会長。2016年2月逝去

「2019年 『現代スポーツ批評ースポーツの「あたりまえ」を問い直す』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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