- Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
- / ISBN・EAN: 9784401640089
作品紹介・あらすじ
音楽、ファッション、アート、カフェ……あらゆる若者カルチャーをリードしてきた渋谷に90年代、バブル崩壊とともに突如誕生した「渋谷系」。今日の「オタク」文化の元祖とも呼ばれるムーヴメントは、近年の90'sリバイバルとともに再び脚光を浴びつつあります。レコード/CDショップの密集地として有名な宇田川町を中心に発信された渋谷系は、テレビ、ラジオなどにも影響を与えながら全国に飛び火し世界からも注目されます。本書では多くのアーティスト/関係者の証言をもとにさまざまなデータと比べながら文化/社会的な見地で検証。80年代の胎動期から出発し、どのように生まれ、なぜ衰退していったのか、その背景を生々しく描き出します。
感想・レビュー・書評
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サブカルチャー
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いわゆる"渋谷系"というよりもレア・グルーヴ、アシッドジャズ、クラブジャズの話が中心なのだけれど(何しろ著者が著者だし)丹念な取材による証言がたくさん盛り込まれていて興味深く読めた。
後書きで若杉さんも書いてらしたけれど、ブラジル音楽の話とMr.Bongoの話も盛り込んで欲しかったなぁ。
フリッパーズの話は若干取ってつけたような感じもあるけれど、この流れでなければ井手靖と小沢健二の話(といってもホンの触り程度)は書けなかったとは思う。
・・・その後、袂を分かつわけだけれどその話は表は出てこないんだろうな(知りたいけれども)。 -
渋谷系とはなんだったのか、振り返って考察する本。渋谷系という現象にまつわる様々な情報が網羅されている印象です。
読んでみて、渋谷系とは様々な条件が揃って生まれたものなのだと思いました。もともと渋谷から新しいものを生み出そうとしたのがきっかけなので、同じことは渋谷以外でも出来たのだろうと思います。実際、そうなったら良かった、という趣旨のことが書かれています。
ShibuyaRecommendation枠を設置した人も、「渋谷発」にこだわったそうです。渋谷系が売れはじめると、レコメンデーション枠に入れてほしい旨の依頼が増え、それでも渋谷発にこだわっていたのに、渋谷系という言葉が一人歩きして、当初の目論見とは違うものになっていったのかもしれません。ある意味渋谷系の中の人が関係者に話を聞いているので、全体像とは言えないのかもしれませんが、その盛衰から、飛びついては飽きる、熱しやすく冷めやすい日本人の国民性も垣間見える気がしました。 -
思い入れがない身にとっては、難しかった。
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渋谷系を少し引いた目線で語った本。
あのころを少し懐かしく思い出しながら読了(少し物足りなさを感じたけど)。
ネットの普及や更に多様化された趣向の現在だと、あんな感じにはならなかったんだろうな。 -
CDが普及しだして、いろんな種類の音楽の過去の名盤がCDに形態を変えて、レコード店に並ぶようになった1980年代後半。日本の経済は絶好調で豊かな時代。インターネットが広まる前で情報格差がつきやすかった。そんな時に、お洒落で品のいい音楽が渋谷系といわれて流行っていた。渋谷系と呼ばれるようになる直前から流行の終わりまでを、当事者である著者が、自分の周囲の状況を中心に記述している。渋谷系は文化のジャンルが横並びになってから、インターネットが広まるまでの文化の変化の鬼っ子のような存在に思える。
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ブームの終わり頃に、消えていく彗星の尾を眺めていたのが高校卒業するかしないか頃の私であったのか。女子高生が大挙してレコ屋に来るようになったらもう終わり、とインタビュー。まさしくそうだったのね。バイト先の本屋の店長が渋谷系好きなDJで、その影響を受けたっていうあれだから、まあ、実際はアフター渋谷系世代という事になるのかしらね。カヒミ・カリィとかね。なるほど。音楽の知識は今も昔も乏しいから、この本をあれこれ言うことは私には難しい。でも面白かった。
それにしても、色々な事をどんどん人は忘れてしまうんだなあ。カジヒデキのバンド、ブリッジのアルバム持ってた事とか、全く忘れてた。 -
貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784401640089 -
色々懐かしがりつつ読んだけど、時々首を傾げるところも。それから音楽以外にも、特に映画や映像についても一言欲しかったが、著者は音楽ライターなので仕方のないところか。でもミュージシャンとレコード屋、映画、映画館って、当時は密接な繋がりがあったと思うんだよね。
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渋谷系の音楽そのものというよりも、環境としての「当時の渋谷」を語ろうってことか。適度に距離を置こうとする(とは言え自身の思い入れが滲み出てしまう)視点。