空想から科学へ (科学的社会主義の古典選書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (158ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784406026468

作品紹介・あらすじ

マルクスが「科学的社会主義の入門書」と推奨したエンゲルスの名著。空想的な社会主義思想の歴史をたどりつつ、空想を科学に変えた二つの偉大な発見の意義を内容豊かに解説。資本主義社会の根本矛盾から必然的に生じる社会主義の未来を、人類史の壮大な視野から展望する。訳文、訳注ともに充実、懇切な解説を付した古典選書版。

感想・レビュー・書評

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  • 本章は大きく三つの章から構成されている。第一章では、科学的社会主義の先駆けとなった、サン・シモン、フーリエ、オウエンの空想的社会主義がどのようにして生まれたのかについて。第二章では、社会主義を科学に変えたマルクスの二大発見―唯物論的歴史観と余剰価値―の簡潔な説明と、それに先立って二大発見に至る世界史的な壮大な思想史の発展過程が解明されている。最後に第三章では、史的唯物論の見地から資本主義の発生、発展と社会主義への移行の必然性、人類史の未来の基本的特徴が解明されている。

    ~第一章~
     最初に現れた共産主義の形態は、禁欲的な、人生の享楽を禁止する、スパルタ流の共産主義であった。それに続くようにして三人の偉大な空想家が現れた。それがサン・シモン、フーリエ、オウエンである。三者に共通していることは、それまでとは異なり、彼らがプロレタリアートの利益の代表者として現れたのではないということである。彼らは特定の階級の解放ではなく、全人類を解放しようと思ったのである。また、彼らは啓蒙思想家たちと同様に、理性と永遠の正義の王国をもたらすことを構想したという点が共通している。彼らは、それまでに啓蒙思想家たちの諸原則によって打ち立てられたブルジョア的世界もまた非理性的であり、不正義なものであるとみなし、本当の理性と正義による世界を目指したのである。この点において、エンゲルスはこの三者を空想家と呼ぶのである。三者はそれぞれ偉大な功績を遺したものの、このような絶対的真理を根拠にした社会主義では、それぞれの正義が異なるために、結局のところ、互いに妥協し合う折衷的な平均的な社会主義しか実現することはできない。社会主義を科学にするためには、『まずそれが実在的な基礎の上に据えられなければならなかった(P46)』。

    ~第二章~
     近代のドイツ哲学は、ヘーゲルにおいて簡潔に達した。その最大の功績は思考の最高の形式としての弁証法を再び取り上げたことである。肯定と否定、原因と結果は相互対立をなしているという考え方は一見明白のように見える。しかし、厳密に考察することによって、肯定というような対立の両極は、対立していると同時に互いに切り離せないものであり、それらはまったく対立しているにも関わらず相互に浸透し合っていることが分かる。弁証法では、『事物とその概念による模写を、本質的に、それらの連関、連鎖、運動、発生と消滅においてとらえる(P53)』のである。このような弁証法によって、次のことが明らかになった。それは、『これまでのすべての歴史は、原始状態を例外として、階級闘争の歴史であったこと、これらのたがいに闘争する社会の諸階級は、いつでもその時代の生産関係と交易関係、一言で言えば、経済的諸関係の産物であること(P59)』である。また、それゆえに『社会のそのときどきの経済的構造が現実の土台をかたちづくっており、[中略]全体の上部構造は、結局、の土台から説明されるべきである(P59)』ということである。これまでのように人間の存在をその意識から説明するのではなく、人間の意識をその存在から説明する道が見いだされたのであった。そして、その結果として、マルクスの唯物論的歴史観と剰余価値による資本主義的生産の秘密の暴露という二つの偉大な発見があるのである。

    ~第三章~
     唯物論的歴史観では、すべての社会的変動と政治的変革の究極の原因は、永遠の真理と正義についての人間の認識の発展に求められるべきではなく、生産様式と交換様式の変化に求めるべきなのである。すなわち、『哲学の中ではなくて、その時期の経済の中に求めるべき(P62)』である。このような歴史観から資本主義の発生・発展を考察すると、そのカギとなるのは「社会的生産と資本主義的取得の矛盾」である。詳しく述べる。資本主義社会では、『社会的に生産されている生産物が、生産手段を実際に動かし、生産物を現実に生産した人々によって取得されないで、資本家によって取得される(P68)』のである。しかしこのような生産手段と生産は、個々人の指摘生産を前提とする取得形態の下におかれるはずである。『生産手段はその前提を破棄しているにも関わらず、それはこのような取得形態の下におかれる(P68)』のである。この矛盾のなかに、現代のすべての衝突が含まれている。そして、この社会的生産と資本主義的取得との矛盾が、プロレタリアートとブルジョアジーの対立として、明るみに出てきたのである。さらに、社会主義革命の主要な内容は、労働者階級の権力の確立と生産手段の社会による掌握、計画的な生産である。それによって初めて、『人間はある意味で、最終的に動物界から離脱し、動物的生存条件から出て真に人間的な生存条件にはいる(P92)』のである。そうすることで初めて、人間は『自然に対する意識的な真の主人となる(P92)』という。

  • 随所に鋭い考察が見られる一方、いや、それはないでしょというところも多々。恐慌が10年毎くらいに来るのを持ってブルジョアジーに生産管理能力がないとするのは間違っていないけど、それを社会主義的政府が担えるというのは残念ながら間違いだったわけで。

    1. 中世社会。小規模な単独生産。生産手段は個人的仕様に合わせて作られており、したがって、原始的で不細工でちっぽけで効果も取るに足りない。
    2. 資本主義的革命。まず単純な協業とマニュファクチュアとによって行われる工業の改造。これまで分散していた生産手段の大きな作業場での集積、したがってまた個々人の生産手段から社会的生産手段への転化。
    A 生産者の生産手段からの分離。労働者は終身賃労働を宣告される。
    B 無高速な競争戦。ここの工場内の社会的組織と総生産における社会的無政府状態との矛盾。
    C 競争のための機械改良が工場主の強制命令となるが、これは絶えず増大する労働者の解雇と同じ意味を持つ。一方では生産手段と生産物との過剰。他方では仕事も生活手段もない労働者の過剰。
    D 資本家たち自信が生産力の社会的な正確を部分的に承認することを余儀なくされる。
    3. プロレタリア革命。プロレタリアートは公的権力を掌握し、この権力によってブルジョアジーの手から滑り落ちつつある社会的生産手段を公共の財産に転化する。

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