新自由主義の廃墟で: 真実の終わりと民主主義の未来

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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784409031148

作品紹介・あらすじ

排外主義や権威主義、ウルトラナショナリズムにフェイクニュース……それらの根源はどこにあるのか。
ハイエクなど初期新自由主義者たちの論考を辿りながら、世界に吹き荒れる政治言説の布置を問い直す、政治哲学者による批判の書。

「本書の主張は(…)、新自由主義的な合理性や価値づけの様式の影響を受けていないものはないということであり、新自由主義による民主主義への攻撃は、あらゆる場所で法、政治文化、そして政治的主体性を変容させてしまったということだ。(…)白人ナショナリズム的な権威主義的政治の隆盛を、(…)三〇年以上にわたる新自由主義による民主主義、平等、そして社会への攻撃によって形づくられてきたものとして理解することを意味する。」(本書より)

◎目次

序論
反民主主義的な政治の隆盛
新自由主義とは何か?

第一章 社会は解体されなければならない

民主主義、平等、そして社会的なもの
社会は解体されなければならない
今日のハイエク──自由と社会的なもの
ハンナ・アーレントは助けにならなかった
社会的なものの政治的想像領域の喪失

第二章 政治は退位させられなければならない

新自由主義的な反政治
どこでボタンをかけ間違えたのか?

第三章 個人の保護領域は拡大されなければならない

道徳的伝統主義を新自由主義の要素として理論化する
フリードリヒ・ハイエクの伝統論
現実に存在する新自由主義
国民国家を家族そして私企業として描き直す

第四章 表現するウェディングケーキと祈る妊娠相談センター
        ──新自由主義的法学における宗教の自由と表現の自由

表現するケーキ──〈マスターピース・ケーキショップ対コロラド州市民権委員会〉裁判
祈る妊娠相談センター──〈家族および生命の擁護全米協会(DBA NIFLA)他
        対ベセラ(カリフォルニア州法務長官)〉裁判

第五章 白人男性に未来はない──ニヒリズム、宿命論、そしてルサンチマン

ニヒリズムと脱昇華(desublimation)
ニヒリズムとルサンチマン
空間

感想・レビュー・書評

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  • おおよそ、政治学の本なんて、文字ばっかだし、どーでも良いとしか思えないタワゴトしか書いてなくて、出口のない哲学的思考や、科学的な根拠のないヨタ話とか、ひたすらナニかの文献の引用ばっかで、これまで一度も面白いと思ったことなかったんだけど

    この本は、おもしろかった。

    近年の、世界各国の、人種差別主義者とか、国粋主義者とか白人至上主義者とか、そういった人たちの怨念が、うまく説明されていて、トランプやスティーヴ・バノンみたいな、低級なタブロイド紙の卑近な話題と、合衆国のキリスト教福音派との結びつく理由が説明されている。
    同時に、ハイエクの自由主義や、マックスウェーバーとか、オルテガ、ニーチェの、なにやら高尚ぽい哲学が、交錯しながら論じられてるところが、エキサイティングで面白かったんだと思う。


    007
    ドイツ国家のネオナチ
    イタリア国会のネオファスト
    ブレグジット
    北欧諸国の白人ナショナリズム
    トルコや東欧の権威主義的政体
    トランプ主義

    012
    都市に住んで洗練され
    フェミニストであり
    クィア・アラーマティヴであり
    無神論者である人々の間の分断を広げた

    強調点はさまざま
    ときには新自由主義政策が強調され
    リベラル左派が多文化主義とアイディンティティ・ポリティクスに入れあげたとされ
    ときには福音主義とキリスト教ナショナリスト
    教育のない人々が陰謀論に騙されやすく

    016
    今日、国家を好きに操っている金融によって生み出された縁故資本主義や国際的な金券権力の両者

    025
    新自由主義ネオリベラリズム、という用語は
    1938年、10年後にモンペルラン協会という形をとることになるものの政治的、知的な基礎を敷いた学者たちの会合。

    026
    サッチャーとレーガンによって展開された

    044
    社会は解体されなければならない

    047
    国家に管理された計画や公正に対して
    ハイエクが提示する代替案は
    道徳と市場が手を携えて
    広範囲にわたる秩序を創造し、維持するための進化した規律ある行動を生み出すこと。
    進化した行動は
    本能と理性のあいだにあるもの

    48
    ハイエクは、功利主義者達、とりわけ、ジョン・スチュワート・ミルさえも間違っていると考えており

    市場は貢献に対する報酬を出すだけ

    062
    ハンナ・アーレントは助けにならなかった

    ハイエクにとって社会的なものは存在しない

    079
    政治は退位させなければならない


    おーっとぉ、誤字、発見!!!!!

    p.79 7行目
    しかたがって、→ したがって、

    これらの権力を抑制することが必要である
    ハイエク『政治の退位』

    093
    ハイエクによるルソー批判は
    ケインズや、マルクスに対する批判よりも、仮借のないものである。

    ハイエクに言わせれば
    『社会契約論』には、自由と統治について近代人をあざむくことに責のあるあらゆる原理がつまっている。
    それは、自由主義から民主主義を捏造し、それを人民主権のうちに埋め込み、そして国家を賛美する

    097
    ハイエクは、自由主義を民主主義とはっきり区別し、その2つが共有する唯一の原理は、法の下の平等、だけであると主張している。

    彼は脚注で、オルテガを引用している。

    113
    シリコンバレーと金融エリートたちは、理由は異なれ、権威主義者や白人ナショナリストたちと同じくらいに、猛烈に民主主義を非難している。

    133
    トランプの選挙陣営、とくにスティーヴ・バノンは、早い段階から、白人福音派の票の重要性を理解していた。

    福音派は、アメリカ人の17%に過ぎないが、トランプの支持基盤の半分を構成している

    138
    ハイエクは結論を述べる
    成功した自由な社会とは、つねに、伝統に大幅に制約された社会である、というのがおそらく本当であろう

    139
    伝統の基礎的な要素として、ハイエクが
    競争、発展、自由、革新、変化を強調することは
    市場のモデルから引き出されたもの

    147
    国家による規制からの自由という原理を通じて
    かつては社会と民主主義が存在した場所に
    市場と道徳をすえつけること、これがハイエクの夢である。

    150
    個人の自由の擁護のために、平等や反差別に異を唱えることは
    合衆国で最も強力なキリスト教福音主義の機関である自由防衛同盟 The Alliance Defending Freedom;ADF によって見事に磨き上げられた戦略である。

    245
    トランプその人が、復讐を人生の唯一の哲学と名指ししていることは重要である。

    247
    make America great again
    フランスをフランス人の手に
    純粋なポーランド、白人のポーランド

    こういった右翼のスローガンは
    ルサンチマンから生じる。

    248
    ニーチェにとってニヒリズムは神の死から生じたものだった。

  • 先鋭化するナショナリズム、日夜飛び交うフェイクニュース……。混迷極める現代社会の根源は、市場経済と伝統的道徳を重んじる新自由主義による攻撃にあると著者はいう。米国の政治経済学者による警告の一冊。

  • 「新自由主義の廃墟」、「真実の終わり」という言葉にひかれて、読んでみた。

    想像していたよりはるかにハードな内容。議論を丁寧においかけていくのは大変で、途中から斜め読みになってしまったが、刺激的な視点がいくつもあった。

    まずは、著者は、政治学者というより政治哲学者ということで、ベースになっているのは、ニーチェの「道徳の起源」やフーコーの生権力論など。そして、アーレントの「社会」に関する議論を批判しつつ、新自由主義のイデオローグとでもいうべきハイエクの議論をわりと丁寧に読み解いていく。

    このあたりの思想はわたしもかなり関心をもつところだし、ハイエクやフリードマン、そしてアダム・スミスも、この数年間折に触れて読んで、刺激を受けていたところ。

    こうした新自由主義の原点ともいうべき思想家の本を読んでみると、彼らの思想は、われわれがいわゆる「新自由主義」としてイメージするようなものとはかなり違うということに驚く。かれらは、なんでも市場原理にまかせれば大丈夫とか、人間は利己的な存在だとか、経済合理的な意思決定をする主体であるとか、そんなことは言ってないと思う。

    かれらは、市場原理、自由競争だけではなりたたない公共的な領域をいかに個人の自由を制限しない形で運営するか?とか、人間の道徳感情がどのように社会的な秩序を形成するかとか、社会のルールが進化論的にいかに自生(自己組織化?)するかとか、そんなことを考えている。つまり、個人の自由と社会的な秩序をどう両立させるのか、どこまでが自由なのか、どこで自由は制限されるのかという境界をどうやって確定するのか、といった問題意識を持っているように思える。

    これらの議論には、個人的にとても共感するところがある。一方では、「新自由主義」が生み出している現実の世界はそういうふうにはなっていない。つまり、これらの思想家は、彼らの意図とははなれて、現実の悲惨さを隠すイデオロギー的な役割をになってしまっているのかなと考えているところ。

    で、あきらかに反「新自由主義」の著者の議論を読んでいくと、ハイエクに対する議論はわたしの理解に近いところにあって、批判しつつも、わりと好意的?とも言えるものだと思った。(ニーチェからスタートしている著者の議論としては、ちょっと意外だった)

    が、問題は、現実がハイエクが想定したようなものにはなってないところ。

    どうしてそうなってないのかというところを数十年間の政治史、社会的なセンチメントの変化をたどりつつ説明していく。このあたりになると、アメリカの事例などでわからなくなるところが増えいく。

    だが、第4章でゲイのカップルの結婚式にケーキを作ることを拒否した「マスターピース・ケーキショップ」の事例、宗教性を隠し白衣をきたクリニック風を装いつつ妊娠中絶をしないようにカウンセリングする「妊娠相談センター」の事例で、裁判でどういう議論がなされて、社会の公正性が、表現の自由といった論理のもとにどのように崩されていくのかという過程が具体的に書かれていてとても刺激的であった。

    「自由主義」というのは、時代によって、国によって意味合いが大きくかわっていくものであるが、アメリカの共和党的な「自由主義」は、
    ・キリスト教や家族など伝統的な価値の重視
    ・経済的な活動の自由の重視
    と違う2つの要素が組みあわさっている感じで、そのところが以前から理解できていたなかったのだが、この本を読んで、だいぶクリアになってきた。

    つまり、個人の経済的な自由だけでは社会というのは成立しなくなるので、なんらかの社会秩序、道徳が必要であるということなのだ。(実は、ハイエクやアダム・スミスも同じような問題意識を持っていたのだと思う)

    つまり、この2つの要素の組み合わせは、ある意味、筋の通った「思想」とも言えるわけだが、政策としての「新自由主義」は、「社会道徳秩序」への配慮なく(それは自生するものだから?)「経済活動の自由」という側面を突き進めるなかで、社会的秩序、公益性を破壊していったということなのかな?

    一方、もうひとつの自由主義、つまり社会的な公正性、個人の価値観、権利を重視する民主党的な世界観は、多様性の重視、ポリティカル・コレクトネスを進めていく。そういうなかで、白人男性の地位の下落が生じ、社会的公正性実現への政策に対する怒りが高まっていく。

    そうした「怒り」が、想像上のかつての伝統社会(白人中心のアメリカ)への復帰を促していく。つまり、経済的な自由主義が生み出した伝統的価値観の破壊が経済的自由主義を進める共和党(トランプ)への支持を生み出す。そして、経済的な所得分配に前向きな民主党はそのコスモポリタン的アイデンティティ・ポリティクス、ダイバーシティ推進という観点で憎まれることになるという構図なのかな?と思った。

    こうした構造のなかで、宗教性を隠し白衣をきたクリニック風を装いつつ妊娠中絶をしないようにカウンセリングする「妊娠相談センター」みたいな「欺瞞」がまかり通るようになる。宗教が自分の思想を広めるために、そうした詐欺的な手法も使うようになると、まさに「真実の終わり」なわけだ。

    といったことを本を読みながら、考えた。

    最初に書いたように、わりとハードな政治哲学の本で、斜め読みしたので、以上の感想は著者の議論をちゃんと理解したうえのものではない。そのうち、著者の他の本も読んでみたいと思う。

  • 序論
    反民主主義的な政治の隆盛
    新自由主義とは何か?

    第一章 社会は解体されなければならない
    民主主義、平等、そして社会的なもの
    社会は解体されなければならない
    今日のハイエク──自由と社会的なもの
    ハンナ・アーレントは助けにならなかった
    社会的なものの政治的想像領域の喪失

    第二章 政治は退位させられなければならない

    新自由主義的な反政治
    どこでボタンをかけ間違えたのか?

    第三章 個人の保護領域は拡大されなければならない

    道徳的伝統主義を新自由主義の要素として理論化する
    フリードリヒ・ハイエクの伝統論
    現実に存在する新自由主義
    国民国家を家族そして私企業として描き直す

    第四章 表現するウェディングケーキと祈る妊娠相談センター 
    ─新自由主義的法学における宗教の自由と表現の自由

    表現するケーキ
    ─〈マスターピース・ケーキショップ対コロラド州市民権委員会〉裁判
    祈る妊娠相談センタ─〈家族および生命の擁護全米協会(DBA NIFLA)他
    対ベセラ(カリフォルニア州法務長官)〉裁判

    第五章 白人男性に未来はない──ニヒリズム、宿命論、そしてルサンチマン
    ニヒリズムと脱昇華(desublimation)
    ニヒリズムとルサンチマン
    空間

  • 目次

    序論
      反民主主義的な政治の隆盛
      新自由主義とは何か?

    第一章 社会は解体されなければならない

      民主主義、平等、そして社会的なもの
      社会は解体されなければならない
      今日のハイエク──自由と社会的なもの
      ハンナ・アーレントは助けにならなかった
      社会的なものの政治的想像領域の喪失

    第二章 政治は退位させられなければならない

      新自由主義的な反政治
      どこでボタンをかけ間違えたのか?

    第三章 個人の保護領域は拡大されなければならない

      道徳的伝統主義を新自由主義の要素として理論化する
      フリードリヒ・ハイエクの伝統論
      現実に存在する新自由主義
      国民国家を家族そして私企業として描き直す

    第四章 表現するウェディングケーキと祈る妊娠相談センター  ──新自由主義的法学における宗教の自由と表現の自由

      表現するケーキ  ──〈マスターピース・ケーキショップ対コロラド州市民権委員会〉裁判
      祈る妊娠相談センター──〈家族および生命の擁護全米協会(DBA NIFLA)他
      対ベセラ(カリフォルニア州法務長官)〉裁判

    第五章 白人男性に未来はない──ニヒリズム、宿命論、そしてルサンチマン

      ニヒリズムと脱昇華(desublimation)
      ニヒリズムとルサンチマン
      空間
    訳者解題


    内容説明
    排外主義や権威主義、ウルトラナショナリズムにフェイクニュース……それらの根源はどこにあるのか。ハイエクなど初期新自由主義者たちの論考を辿りながら、世界に吹き荒れる政治言説の布置を問い直す、政治哲学者による批判の書。

    「本書の主張は(…)、新自由主義的な合理性や価値づけの様式の影響を受けていないものはないということであり、新自由主義による民主主義への攻撃は、あらゆる場所で法、政治文化、そして政治的主体性を変容させてしまったということだ。(…)白人ナショナリズム的な権威主義的政治の隆盛を、(…)三〇年以上にわたる新自由主義による民主主義、平等、そして社会への攻撃によって形づくられてきたものとして理解することを意味する。」(本書より)

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著者プロフィール

ウェンディ・ブラウン(Wendy Brown)
1955年生、アメリカの政治哲学者。カリフォルニア大学バークレー校政治学教授。著書に『寛容の帝国』(法政大学出版局、2010)『いかにして民主主義は失われていくのか』(みすず書房、2017)。

「2022年 『新自由主義の廃墟で』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ウェンディ・ブラウンの作品

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