新・人間革命 (第15巻) (聖教ワイド文庫 29)

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  • 聖教新聞社出版局
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  • Amazon.co.jp ・本 (406ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784412013568

感想・レビュー・書評

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  • 著者、池田先生(1928~2023)の作品、ブクログ登録は17冊目。(対談集を含む)

    で、本作の内容は、次のとおり。

    ---引用開始

    【蘇生】
    山本伸一は、1970年(昭和45年)5月の本部総会で、「公害問題」に言及。
    広宣流布とは、仏法の人間主義を根底とした社会の建設だと考える彼の、やむにやまれぬ発言であった。イタイイタイ病や水俣病等が深刻化するなか、彼は反公害闘争のペンをとり、仏法の“人間と環境”の共生の哲学を通して公害根絶を訴え、大きな反響を広げていく。

    当時、水俣でも妙法の同志が自他共の宿命転換を願って、懸命に戦っていた。伸一は74年(同49年)1月、遂に水俣の友に会う。皆が人々の希望となり、郷土の蘇生の歴史をと、全精魂を注いで励ますのであった。

    “妙法の大地に大文化運動を”と、「第三文明華展」などが多彩に行われた70年。伸一もまた、精神闘争即芸術の結晶として、「青年の譜」等の詩を次々に発表する。

    一方、作家・三島由紀夫の割腹死事件を巡って学生部員と語り、広布と民衆のために命を捧げる人生たれと念願した。

    翌71年(同46年)2月には、伸一は北海道に飛び、初の“雪の文化祭”に出席。新しき庶民文化の祭典を実現した友を、心から讃えた。

    【創価大学】
    1971(昭和46)年4月、東京・八王子に創価大学が開学。牧口・戸田両会長の構想を受け継いだ伸一が、「人類の平和を守る要塞たれ」等の理念を掲げ、全生命を注いで建設した教育の城である。

    創立者の伸一は大学の自主性を尊重し、開学式にも入学式にも出席しなかったが、彼を慕う一期生たちは、何の伝統もないなか、次々にクラブを設立するなど、懸命に、奮闘していった。

    当初、教員の一部に、伸一の来学を歓迎しない空気があった。しかし、ならば我々が創立者を呼ぼうと、学生が大学祭を開催し、遂に伸一の訪問が実現する。これ以後、伸一が大学行事に出席し、直接、学生と交流する流れがつくられる。

    2年目の秋、理事会がほぼ決定した学費改定案を学生に諮ると、これは創立者が示した「学生参加の原則」を壊すものだと、学生たちは白紙撤回を要請。その真剣さに、理事会も同意する。その後、学生たちは協議を重ね、自主的に学費値上げを決議したのである。

    こうしたなか、伸一は「全員が創立者の精神で!」と語る。彼の期待を真剣に受け止めた学生たちは、理想的な学園共同体の実現へ、建設の労苦を背負っていく。

    第3回入学式には、伸一が初めて出席し、“人類のため、無名の庶民の幸福のため”という創大開学の意義を講演。また、滝山祭の盆踊り大会に加わり、血マメを作りながら太鼓を叩くなど、学生のなかへ飛び込んで励ます伸一の姿は、人間教育の模範であった。

    大学の評価は卒業生で決まる。伸一は、大学に招待した各企業のトップ一人ひとりに自ら名刺を渡し、「学生を宜しく」とあいさつするなど、全力で学生を応援した。

    4春秋を経て、遂に迎えた第1回卒業式。伸一は共に大学建設に戦った一期生に、生涯、創大で結んだ魂の絆を忘れるなと激励するのであった。

    【開花】
    「大河の時代」を進む学会は、いよいよ、その仏法の哲理を現実社会のうえに開花させる時を迎えていた。伸一は、1971(昭和46)年6月、牧口初代会長の生誕100年に際し、この大河を開いた創価の源流の先師への感謝の思いを募らせる。

    2日後には、北海道へ飛び、激励行の合間に月の写真を撮影。彼の写真は、やがて「自然との対話」写真展に発展し、新たな民衆文化の波を起こすことになる。

    伸一は、学会の発展が、そのまま地域と社会の繁栄につながると考え、地域との交流を図る取り組みを思索していた。その構想を具体化した、「鎌倉祭り」と、「三崎カーニバル」は、地域の興隆を願う学会員の真心が輝き、社会に開かれた信頼と友情の舞台となったのである。

    同年の夏季講習会の最中、大型の台風の影響を受け、近くでキャンプを行っていたボーイスカウトの世界大会の運営本部から、避難させてほしいとの知らせが入った。伸一の陣頭指揮で万全の支援を推進。垣根のない人間と人間の交流がなされた。慈悲の光による社会貢献の時代が大きく開花していた。

    ---引用終了


    気になった箇所は、p224。
    大教育者・ペスタロッチのことが書かれている。
    ペスタロッチは、自ら創立した学園の学生に、次のように呼びかけたという。

    「私と共に学園の礎石を築き、創業の困難な時代に友情深く私を助け、私と共に忍従と愛のうちに創立の重荷を擔った人々よ、友よ、諸君がなかったなら、私の事業は、創業後幾何も経たないで再び終を見たことであろう、友よ、学園の創立者達よ・・・」


    ペスタロッチは、ウィキペディアに次のように書かれています。

    ---引用開始

    ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチ(Johann Heinrich Pestalozzi イタリア語: [pes.ta.ˈlɔt.tsi] ドイツ語: [pɛstaˈlɔtsi] , 1746年1月12日 - 1827年2月17日)は、スイスの教育実践家、シュタンツ、イヴェルドン孤児院の学長。フランス革命後の混乱の中で、スイスの片田舎で孤児や貧民の子などの教育に従事し、活躍の舞台として、スイス各地にまたがるノイホーフ、シュタンツ、イヴェルドン、ブルクドルフなどが有名である。

    ---引用終了


    ペスタロッチは、ルソーやカントの影響を受けて、教育に力を尽くしたとのこと。

    ルソー(1712~1778)
    カント(1724~1804)
    ペスタロッチ(1746~1827)

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著者プロフィール

池田大作(いけだ・だいさく) 1928年、東京都生まれ。創価学会名誉会長/創価学会インタナショナル(SGI)会長。創価大学、アメリカ創価大学、創価学園、民主音楽協会、東京富士美術館、東洋哲学研究所、戸田記念国際平和研究所、池田国際対話センターなどを創立。『人間革命』(全12巻)、『新・人間革命』(全30巻)など著書多数。世界の識者と対話を重ね、『二十一世紀への対話』(A.J.トインビー)、『二十世紀の精神の教訓』(M.S.ゴルバチョフ)、『地球平和への探究』(J.ロートブラット)など多くの対談集を刊行。

「2023年 『完本 若き日の読書』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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