「福光」「共戦」「薫風」「人材城」の4章からなる。
「福光」の章は、聖教新聞上での連載が、2011年9月から開始された。2011年と言えば、その年の3月11日にあの東日本大震災が起こった年である。
多くの命を奪い、生活を奪い、人々がこれまで築き上げてきたものを一瞬のうちに奪い去ってしまったあの大震災の中で、被災された人々に不撓不屈の魂を赤々と呼び起こすこととなった激励の長編詩から始まる。
奇しくも伸一が、1977年、福島指導へ向かったのは3月11日であった。当時の様々な懇談会での指導を通じて信仰の基本姿勢を学ぶことができる。
自行化他についての指導が心に残った。
・自身の生命を鍛えるのは、広宣流布への「真剣」な献身である。
・自行化他の信心をすれば、悩みは必ず解決する(牧口先生)
・自分の幸福しか考えなければ、心は細りもろくなる。しかし、広宣流布のための人生であると決め、信心の大地に深く根をはれば、心は太く強くなる。
山本伸一の次の言葉は重要。
「信心三十年の私の結論は、信仰という根本の生き方においては、あくまでも純粋に、真面目に、御書に仰せのままに、突き進んでいかねばならないということであります。」
「共戦」の章。
1977.3.19に創価学会のシンボルマークが誕生した。そして同年5.18には、九州平和会館において本部幹部会が開催された(地方開催の第1回目)。
今回も心に響いた言葉や記述がいくつかある。
・(県長への指導):全同志のことを知ろうという必死の努力。もれなく幸せにする責任。無関心でいられるわけがない。
・(商売や事業に対する姿勢):ただ儲けるために信心をするのか、広宣流布していくために、事業を成功させたいのか、そこには天地水火の違いがある。
・信心というのは、”不幸の習性”という鎖を断ち切る、不屈の挑戦の力。
・「必ず心の固きに従って神の守り則ち強し」
「薫風」の章。
1977.5.22、北九州文化会館での会合を通じて、司会の大切さや、失敗に対する姿勢について学ぶことができる。
・人には必ず失敗があるもの
・失敗は恥ではない
・失敗に落ち込み、力が発揮できないことが恥
・失敗を繰り返すことが恥
・失敗は財産に変る
5.24には舞台は佐賀へ移り、創大の卒業生、現役生との懇談を通じて多くを学ぶことができる。
・弘教の要諦
①絶対にこの人に幸せになってもらいたいという相手を思う真心の唱題、②確信、③粘り
・師弟不二
自分の心の真ん中に、いつ、いかなる時も先生がいる。
・一点突破
何か一つ、これは”日本一”であるというものを持つ。それが伝統となり、自信となり、誇りとなり、そこからすべての道が開かれていく。
もし伸一の生涯を貫くものを一言で表現するなら「広宣流布」であることは言うまでもない。彼を貫く行動を一言するなら「励まし」にほかならない。
「人材城」の章。
1977.5.27に伸一が熊本文化会館に到着した。
・リーダーの姿勢。
リーダーは、一人ひとりの奥底の一念を見極めていく眼を持つこと。そのためには自身の生命に濁りがあってはならない。従って唱題第一で、自信の生命を磨きぬくことが大切。
・女子部への指導
蔵の財より身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり
牧口先生の生涯について記されている。
大正尋常小学校の校長に就任した際、地元有力者が、「自分の子どもを特別扱いしろ」と圧力をかけてきたことに対し、牧口先生はきっぱりと断る。
有力者は大物政治家を動かし、牧口先生の排斥を企てる。しかし、牧口先生は、権力におもねることなく、信念を貫く。教員や保護者は牧口先生への信頼熱く、撤回を求めるが、牧口先生は左遷されてしまう。
その左遷先の西町小学校での約3か月の短い就任期間に、戸田先生と出会うことになる。運命的な出会い、不思議な流れを感じずにはおれない。
牧口先生は、妙法を根本とした生活法を「大善生活法」と命名された。その生活法を実践した結果を「実験証明座談会」で情報交換しあう。とても科学的な宗教実践であるなと感じる。
いまも「座談会」として、その原理は同じままに実践されている。
母は現在認知症で、寝たきりで、父が、介護をしています。家族で創価学会員は、母のみです。私は、素朴に、神社で祈るの...
母は現在認知症で、寝たきりで、父が、介護をしています。家族で創価学会員は、母のみです。私は、素朴に、神社で祈るのが好きです。母に、物凄くお願いされましたが、学会員にはなりません。肌感覚、感性に、合わないのです。ですが母のことは大好きですし、創価学会の人とも、母のお世話になっているので、仲良くお付き合いしています。
りまの
信仰でも、他のことでも、全ては自分が決め...
信仰でも、他のことでも、全ては自分が決めるものかなって思います。余計なものを取り払って、自分の心が「これだ!」と感じるものを自信をもって選択したいですね。