- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784422300795
作品紹介・あらすじ
「日本刀は武器なのか芸術品なのか?」といった問いに向き合わず、武器=破壊=悪/文化=創造=善という二項対立を声高に唱えてきた敗戦国日本。しかし、その単純な二項対立は、特殊な現代日本イデオロギーにしか過ぎないことが鮮明になりつつある。本書は、武器と文化の不可分な関係をあらゆる時代や事象から、面白くかつ説得的に述べることで、新時代に必要とされる戦争論や軍事論の基礎的な知識を提供する、戦争文化論である。
感想・レビュー・書評
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人類の歴史イコール武器の歴史、と言える。
平和を求めるとしても武器のことを理解しなければ歴史を語れない。また武器を放棄してもいけない。
武器の定義は相手の戦力を弱めることに資するモノ。情報、周辺科学、運送術、食糧など多岐にわたる。現代では情報が特に大事。
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SDGs|目標16 平和と公正をすべての人に|
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https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/763447 -
宗教学と戦争論を専門とする研究者である著者(桃山学院大学准教授)は、一般向けの面白い著書を多くものしている。
私がこれまでに読んだのは、『キリスト教と戦争』『キリスト教と日本人』『私たち、戦争人間について』の3冊。
いずれも、宗教と戦争についての先入観を突き崩される、驚きに満ちた好著であった。
私が読む4冊目となる本書は、武器・兵器の歴史をテーマとしている。
《本書で考えたいのは、武器とは何か、何が武器なのか、という根本的な問いである。究極的には、戦争とは何か、平和とは何か、という問いに向かっていきたいのだが、そうした問いはあまりに大きすぎてここでは扱いきれない。そこで本書では、これまでどんなものが武器として用いられ、軍事に役立てられてきたのかという点に話を絞り、そのさまざまな具体例を見ていくことで、戦争や平和について考えるためのヒントを模索したいのである。》23~24ページ
著者のことだから、宗教と武器の関係についての記述も多い。
過去の『キリスト教と戦争』と同様、宗教と戦争の関係を論じた書としても読めるのだ。
武器の歴史に関する記述がややトリヴィアルで必要以上にくわしく、私にはそこが退屈だった(逆に、ミリタリーマニアの人なら面白く読めるだろう)。
あと、〝戦争に役立つために作られたのが武器なら、鉄道も語学も宗教もある意味では武器だろう〟みたいな話になって、武器の定義を際限なく(と思えるほど)拡大していくのはやりすぎだと思った(そもそも、書名に言うように著者は「すべてが武器になる」と考えているのだが……)。
そんなわけで、過去に読んだ3冊(いずれも★5つ評価をつけた)ほどには評価できないが、十分面白く読めた。
《平和が文化の成果であるように、戦争もまた文化の成果である。》(216ページ)という著者の結論は、そのとおりだと思う。
軍事に関することをすべて「おぞましい」と忌み嫌うお花畑的平和観に冷水を浴びせ、我々の軍事観・戦争観・平和観、そして何より文化観の修正を迫る、「戦争文化論」の好著。 -
本書は最後の一言にまとめられる。
「何よりもまず、私たち自身が武器であり、凶器だったのだ」
本書はまず、武器の定義を「直接、間接に敵の戦力低下を目的として使われる道具」であるとする。
原始の武器である投槍器から始まり、人は常に武器を改良してきた。
それは、例えば飛行機という発明品も、発明されてすぐに武器として使われるようになったり、
ネジの規格化も戦争において、すぐに銃火器を修繕できるためのモノであった。
そして、文化・宗教に至るまで全ては戦争の道具、つまり武器として役に立ってきた。
さらに、今後は情報が大きな武器となるのは言い古された事実である。
フェイクニュース、コンピュータウィルス、情報戦の時代においては、いかなる情報も武器化する。
すると、極論すると人こそが武器である。
武器と文化、戦争と平和、背反するそれらは常に表裏一体である。 -
戦争に使うものを武器だとすれば、日常品だったり犬や馬、情報に宗教、そもそも健康維持が大事だよねとか、戦争のための技術がやがて日常の生活を助ける発展となる。
平和とはなんだろう。
平和と戦争が二項対立するものと捉えるのは無理だろうという結論。
段々面倒臭くなった。