p3
歴史は、知識ではなく教訓の宝庫。あるいは、歴史に関する知識は、そこから得られた教訓と組み合わされて初めて、教養の名に値する。
我々の歴史を見る目は、そこからどれだけの教訓を得られるかで試されている。
p16
近代市民革命
フランス革命 自由 平等 博愛
アメリカ独立宣言 生命 自由 幸福追求(=実は所有権)
ロック 生命 自由 所有権こそが自然権である
「自由」の中身
市民革命は、高慢な理想を掲げてはいたが、それに実際に参加した人々の多くにとって、それは政治的闘争でないとは言えないまでも、主として経済的闘争であった。
イギリスでもフランスでもアメリカでも、革命勢力に最大の動機を与えたものは、旧政権が何かと口実を見つけては課してきた身勝手な重税であった。
たしかに、啓蒙思想は革命の機運を高めたが、革命のエネルギーは、経済的要因によってすでに十分に溜め込まれていた。
権力の独占
全人口の数%の富裕層・ブルジョワジー=市民を名のる
フランスで「第三身分」には、
第一身分(聖職者)、第二身分(貴族)という寄生的特権階級ではないという意味と、陰の第四身分(一般人民)たる無産階級ではないという、二重の意味があったし、人権宣言そのものが、正式には「人、及び市民の権利宣言」であるように、はなから「市民」を格別の特権的存在として扱うものであった。
p18
マルクス主義
マルクス主義は、分析理論の部分とイデオロギーの部分に分けて考えた方が、その本来の姿を正確に捉えることができる。
史的唯物論、労働疎外論、搾取論
「生産資本の私的独占を通じた、資本家階級による労働者階級の粗大と搾取」
マルクスは、自らの理論の科学性を際立たせるために、それ以前の社会主義思想を空想的社会主義と呼んで批判
しかし、マルクス主義も、思想としては空想的社会主義の枠にとどまるものであり、それすらの全面的に科学的であると信じ込む姿勢は、それ自体が形を変えた宗教である
史観の話1
史観とは、「我々はどこから来て(歴史認識)どこへ行くのか(歴史意識)」という話である。どちらかというと客観的な歴史認識と主観的な歴史認識から成り立っている。歴史認識とは、過去の事実についての一応は客観的な認識なのだが、実際には、歴史認識の形成そのものにも歴史意識が作用してしまうために、そうそう普遍的な歴史認識が共有できるわけではない。
一方、歴史意識は、「我々は誰か」という集団的自意識の上に、「どこに行きそうか」という予想、あるいは「どこに行きたいか」という願望が乗っかったもので、こちらはかなり主観性が強い。
史観=歴史に対する思い込み
p72
真珠湾攻撃
ファシズム化の加速
日中戦争が長期化する中、軍部との一体化を進めた日本政府は、戦争続行の障害を除くため、ナチの手法に倣って国民生活の全面的な統制強化を図るようになる。経済は完全に戦時経済に移行し、国家神道と結びついた思想統制も強化され、学校では徹底した思想教育が行われるようになる。政党は全て解散して大政翼賛会として再組織され、さらにこの大政翼賛会の組織化は議会内にとどまらず、末端は隣組にまで及ぶ全国民的な運動に拡大された。このようにしてできあがった国家総動員体制の下、批判勢力が徹底的な弾圧を受けただけでなく、全国民は国家への忠誠と戦争への協力を強制され、非協力的な姿勢を見せるだけで、官憲の苛烈な虐待を受けた。