ジェンドリン哲学入門: フォ-カシングの根底にあるもの

制作 : 諸富 祥彦 
  • コスモス・ライブラリー
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  • Amazon.co.jp ・本 (452ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784434135545

作品紹介・あらすじ

体験過程(experiencing)への照射に始まったジェンドリン哲学は、一貫した問題関心を追求しつつ、the implicit(暗在性、暗黙なるもの)の哲学へと発展してきた。"インプライング"、"万事連関(evev)"、"リーフィング"、"介在する事象"、"開かれた循環"、"原言語"、"モナド"、"ダイアフィルス"…独自の新概念によって構築されたジェンドリン哲学の全容を本書は解明する。最終章には『プロセスモデル』用語集を掲載。

感想・レビュー・書評

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  • 以下引用

    未だ形成されておらず知られていないものは、多くの人にとっては、ただの空虚のように思われるけれど、フォーカシングをおこなっていると既知でもなければ、未知でもないような何か、その中間でもないような何か、むしろそれとは異なる何かのことをよく知っているはずだ

    あるフェルトセンスが意味しているものを語ろうとすると、停滞し、閉ざされてしまうことがある

    体験過程=体験すること=前概念的経験

    治療に場においてセラピストの治療的諸反応がクライエントの体験過程の働きを促進するとき、

    知的洞察だけでは十分ではない

    解釈とは何かある無意識的なものがまさに殻を破って出てこようと努めている瞬間に、それに名称を与えること


    意味は、感じられた、具体的な、前概念的な体験過程とシンボルとの相互作用によって形成される


    体験過程は具体的な進行中の事象の過程である

    体験過程は感じられた過程である、内的に感じられた身体で感じられた事象である

    直接照合による

    暗黙の、という規定は無意識ではなくて、明確にではないが、常に意識においては感じられている容態

    フォーカシングは、個人が体験過程に直接照合する際に、引き起こる全過程


    はっきりと感じられているが、概念的には曖昧な照合体に人は直接照合する


    シンボルと呼ぶのは、概念化以前の言語表現この感じとか感じていたといったもの

    認識とは、シンボルが適切に概念化された状態をさす

    そうだ、それこそがわたしが言いたい意味だ、先行された意味を表現する隠喩を発明することが、直接的把握


    そこにあることはわかっていても、まだ顕在化していなかった暗黙の側面を浮かび上がらせること

    環境との相互作用において絶えず進展し変化しつつある「生命過程「と捉える。

    体験流は、そこに無数の暗黙の意味を有しており、それに直接問い合わせ、ぴったるとくるシンボルを探すことによって、数多くのさまざまな意味を生み出すために用いることができる

    ✳︎ジェンドリンによれば、治療とは環境と円滑に相互作用することで、生命過程がとどこおりなく進展していくこと

    体験流が適切なシンボルと相互作用し、その暗黙の側面が明らかにされることによってはじめて体験流は先へと進んでいく。これが体験流の推進力


    心理療法が成功するとき、クライアントはしばしば、自らの内側の漠然とした感じの流れに注意を向けて、それに問い合わせ、まさにぴったりとくるシンボル=言葉やイメジを探索することを通して、それに問い合わせ、その暗黙の意味を明らかにしようとする

    体験的プロセスの有する独自の方向性は他者や文化によって予め決められたものではなく、また本人自身が予め保持していた概念的価値によって指示されるものでもなく、私たちが自らの内的な体験流に注意を向ける時にはじめて、またm自発的に生じてくるものだ

    プロセスはそれ自身の方向性を持っているが、それはたった今、直接に直面される感じられる意味によって与えられる

    ✳︎状況は、固定された事実としての側面、言葉で記述することのできる顕在的な側面だけから成り立っているわけではない。むしろ状況の多くは未だ曖昧な、暗黙の意味を持つものとして存在している。したがって、ある状況の持つ顕在的な側面や、概念的な枠組みによる分析だけからそこでなすべきことを知ることはできない、その状況の未だ覆い隠された側面を浮かび上がらせる、その暗黙の意味を明るみに出しそこで行為することで、その状況を乗り越えなくてはならない

    ✳︎ある特定の状況が私たちに提示してくる選択肢は本来、未だ形成されていないものである、私たちはある状況において顕在的に示される選択肢をあげ、そのリストの中から最善のものを選択すればいいわけでない、むしろその状況の中に未だ覆い隠されている選択肢を明るみに出すことが重要


    ✳︎わたしたちは無限のリストの中からものを選ぶ、他方、未だに形成されていない未だ考えつかれていない選択肢がある、自由はわたしたちが未だ以前には思いつかなかった、選択肢の案出にかかっている、それは状況を再解釈し、より特定的に分化する私たちの力にかかっている


    みずからの体験流に意識を向けて、それを正確に解明することによって、その状況の新しい案を出し、それを乗り越えていくことができる、その状況のそれまで見えなかったさまざまな側面を浮かび上がらせる、そこでの新たな選択肢を形成することができる

    ある体験流の暗黙の側面を浮かび上がらせる言葉を見つけることによって、その体験流自身が、まさその言葉と矛盾するような別のものへと変化していく、人はかんじられる意味を適切にシンボルがすることで、まさにその感じられる意味を変えていく

    人間と状況は、相互に重なり合う単一の体系

    ✳︎ある状況はある新しい行為を要請してくる


    ✳︎ある状況の要請にぴったりと適合するような行為は、ほんのわずかしか存在しない。ある状況が私たちに要請し、それを変化させるような新しい行為を案出することが困難なんkはこのためである。

    ✳︎わたしたちの現実世界における当為とは、このよ7な、刻一刻状況から発せられてくるm状況からの要請である、ある状況に置かれた、ある人にとっての、ある時にのみ妥当するようなな一回限りの実存的な営為


    ✳︎立ち止まり、そして何もせずに、幾つもの可能性の中の一つをこれから自分がするであろうことを感じる能力が、思慮である

    ✳︎直接照合体に照合しつつ、からだの知恵に問いつつ、様々な含意の中の一つへと歩を進めること

    成功した患者ーその人自身の今、ここのフェルトセンスに耳を傾け、それを変化言語化することであった。これまで頭の中で繰り返されてきた陳腐な言葉で自分を説得するのではなく、自分の内側から生まれ出てくるものにじっと聴き入る。そういう意味での自分との対話


    ✳︎ここでの対話の相手は、確固たる答えを持った、揺らぐことのない自分ではない、だからこそ意味がある。確固たる明確な答えを持った自分との対話は、せいぜい人が既に所有している概念と一貫していてそれから演繹できるようなものだけしか生まれてこない

    人間は過去によっは決定されていない、人間は自由である、、ある瞬間と次の瞬間の非連続性を強調した。

    コンピュータと違って、私たちの変化は論理的に決定され尽くしてはいない、その時々のフェルトセンスに注意を向ければ、論理だけでたどり着ける場所とは待った別のところへたどり着くことができる

    論理的なつながりとは確かに違うが、一つの繋がりがすなわち感じられた連続性が存在する


    ✳︎体験流過程は思いもよらない、まったく新しい自分へと変化していこと、なおかつそこに自分としての一貫性・同一性が見出されるという、一見相反するこの二つの事柄を統合的に捉えることの重要性を指摘する

    ✳︎思いもよらない何かに生まれ変わりながら、にもかかわらず、私であることの連続性が存在するということの根拠

    心理療法カウンセリングとは、直接に実感された効果を生み出すいくつかの言葉、おそらく5%ぐらいだろうか、を探求していくことである

    ✳︎心理療法は、パーソナリティの変化を目指す、とか心理的な問題解決をはかるといったことにはふれず、ただ言葉を探求していくこととして心理療法が定義されている

    言葉が見つかった時の、全身の解放感。それを実感された真理、体験的真理、あるいは動的真理と呼んだ。この実感された効果の有無がm先の感じられた連続性の連続を証明する

    フェルトセンスは、意識と、もはや自分自身ではない、深く普遍的な人間の広がりとの間からやってくるそうした普遍的な人間の本質の広がりからやってくるものに対して開かれている

    フェルトセンスから、全身的な解放感をもたらすものは、たったひとつ、言葉しかない

    実感された効果という身体的解放感こそが、変化の実態である

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