相撲、国技となる

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  • 大修館書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (229ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784469265026

作品紹介・あらすじ

明治四十二年開館、鉄筋構造ドーム屋根、東洋一の大きさの国技館は、従来の相撲場が直前に木材を組んで作り、興行が終わればすぐ取り壊す掛小屋だったことを考えると、革新的なものであった。しかし、国技館設立の目的は相撲場の改革だけではなく、相撲道の改革にもあった。相撲を品位あるものとし、真のプロスポーツにすることを目指したもので、投げ祝儀の禁止、力士の羽織袴での場所入り、行司の烏帽子直垂着用、幟・積樽の廃止、東西対抗制導入などはこの一環であった。これらの改革なくして、名実共に国技の地位を得るのは難しかったと言える。

感想・レビュー・書評

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  • タイトルからして、相撲と「国技」との関係、ひいては「国家」というものを問う内容か・・・と思っていたが、全然違った。1909年に開館した国技館設立の目的が、「相撲の改革にあった」として、服装の統一や投げ祝儀の禁止、力士の客席往来の禁止といった習俗の規制や、力士の待遇改善をめぐる事件(新橋倶楽部事件)などの詳細を描く。

    それでは相撲が「国技となり、それが定着した理由」とは何か。それは4章で述べられるが、「一般の受けはよく、名名称として定着していった」(p.102)とさらりと流されてしまっている。むしろ、「国技館」という言葉が、「相撲が唯一の国技」という認識をつくり出したようにも書いてある(p.103)。

    その認識の「大本」は、皇室との関係にある、という。しかし、だとしたら剣道や柔道だってそうだろという反論を著者は想定する。ふむふむ、じゃあなぜ相撲だけ「国技」なのか、と読み進むと、結局「国技館」という名称が「「相撲が唯一の国技」の認識の浸透にあった」(p.104)という。

    ただ問題は、なぜ「国技」という名称が人々に受け入れられたか、だろう。日露戦争後の日本におけるナショナリズムの高揚とかそういう問題に踏み込むのかと思ったが、そうでもなかった。

    また、行司の服装が、明治43年夏に現在の侍烏帽子鎧直垂に統一された、という指摘も面白い。相撲は伝統的と言いながら、服装じたいは100年ほど前に変わっているのである。しかしこれも、「江戸時代以来の行司の装束だった裃と、洋風の頭髪が合わないから」だというところで叙述が終わっている。「伝統の創造」という問題を説明する格好の事例だと思うのだが。

    本書は最後に「相撲道の基礎は、国技館開館を機とした後半な改革でできたと言ってよい」(p.222)で締めくくっているのだから、総体としては「国技」という言葉に表われた「国」という言葉よりも、「相撲道」のほうに関心がある、ということなのだろう。明治末期の相撲の改革を知るには良いかもしれない。

  • 配置場所:摂枚普通図書
    請求記号:788.1||K
    資料ID:50201058

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