わたしが最後にドレスを着たとき―性同一性障害と診断されたある「少女」の回想

  • 大和書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (293ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784479570110

作品紹介・あらすじ

十五歳の少女が「不適切な女性」という理由で精神病院に収容された。そこで彼女が受けた治療とは、化粧や髪のカールのしかた、女らしい服装や身のこなし等々の女らしくなるための矯正だった-。本来ならありふれた高校生活を送るべき貴重な青春期を、3つの精神病院で"真性の"精神病患者に囲まれて過ごすことになった、ひとりの少女の苦悩と成長を鮮烈に描く、秀逸のノンフィクション。「性同一性障害」をめぐる問題提起の書。

感想・レビュー・書評

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  • ダフネは、男になりたいと思ったことは無い。ダフネは、女性が好きだと思ったことは無い。ダフネは、女性であることを拒否したことは無い。ただ、女らしい服装やしぐさをするのがイヤだと思っていただけだ。

    父親に殴られ、母親に愛されず、近所の男性や、ベビーシッターに性的な虐待を受けた。

    でも、数々の問題行動の末に送られた精神病院で治療を受けたのは、うつ病でも無ければ、その他の行動障害でもなく、性同一性障害であった。彼女は、化粧をし、女性の服を身に着けるように矯正される。男性に触れて喜び、女性とは触れないように求められる。

    あまり文章を書いたり、考えをまとめたりするのが得意では無いと見受けられる作者の日記がジャーナリストの手によってまとめられたものである。日記には、そのときの思いがそのまま雑然と並べられている。それが逆に、心に響く声に感じられた。

    結果的に、彼女は、性同一性障害と世間で呼ばれる傷害を持つ人であることは確かなのだけれど、そのことが彼女の問題行動(暴力や窃盗など)をひきおこしたわけではない。彼女にとっては、自分が自分のままでいられる世界があればそれだけでよかったのであり、女になりたいわけでも、男になりたいわけでもなかった。なのに、なぜ、精神病院では、彼女の問題は「性同一性障害」だけに特化されてしまったのだろう。

    日記の中に、興味深い表現があった。いつも妄想している患者についてのこと。彼は、自分をキリストだと信じている。彼女は、「彼は、そのままで幸せそうだ。彼をそのままそっとしておいてやるのはいけないことなんだろうか?」と考える。

    難しい問題だと思う。人間は、社会的動物であり、特に先進国では、自分で生産できない人の分を生産できる人が負担する。生産できない人が生産できるように矯正しようとするのは当然のことだ。でも、そのままでも生産できるのだとしたら?本人がそのまで幸せなのだとしたら?

    人間は、理解できないものを不気味に感じる。女性として生まれて、女性の心を持てないことを不気味に感じる。不気味に感じるから、本人の意思ごは関係なく矯正しようとする。

    障害と個性は紙一重。何が正常で何が間違っているかは、時代とともに変わっていく。多分、これまでにも精神病院によって精神病にさせられた人たちがたくさんいることだろう。すべての個性を認める社会がよいとは思わない。そこはもっと複雑な問題だと思う。ただ、精神医学が、「個人を尊重して、本人が幸せになるように手助けする」という方向に向かって行けばよいなと思う。

  • 性同一性障害に関する書籍です。
    著者名とタイトルから察するに、海外のFtMの方の話題だと思われます。

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