- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480016133
感想・レビュー・書評
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朝日の書評で見かけ、タイトルに惹かれて読んでみたのだが、タイトルから期待される内容ではなくガッカリした。あとがきで著者自身が言い訳しているのだけど、日本語で科学すること自体が言語として何らかの有効性を持っている、ということを証明してくれる内容では無かった。最近は馬鹿の一つ覚えみたいに「グローバルな英語の修得が大事」なんて言うけど、「英語なじゃなくて日本語で科学するのが大事なんだ」ということを示してくれているのではなかった。そうじゃなくて、色んなエピソードを紹介して、最後に無理矢理「日本語で科学することが重要だったのだろう、と思う」と著者の主観が述べられているだけでした。実際に書かれていることは、外国のものを取り込んで日本化してしまう日本において、そして翻訳文化の発達した日本においては、英語が分からなくても日本語で科学ができ、そしてキリスト教文化圏でない日本人が欧米人とは違った発想で科学ができる、大学にだってまだまだ職人文化が残っている、それが独自に科学を生み出している、というある意味、昔からよくある議論が繰り返されているだけでした。内容自身は別に悪くない。著者の科学ジャーナリストとしての長年の経験を踏まえて、サイエンス界についての豊富なエピソードや、この100年ぐらいの日本の偉大な科学者達を紹介してくれていて勉強になる。個人的には準結晶の解説なんかは面白かった。しかし、売るために刺激的なタイトルを付けてしまったことに引きずられているのだろうけど、何でもかんでも無理矢理最後に、日本語で科学することが重要だったんだろう、と付ける必要はないと思った。特に、その科学者本人が否定している場合にもそんなこと言う必要ないだろうと思う。
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【感想】
サイエンス・ライターの手による、ゆるふわ随筆。
主張を立てたはいいが、根拠もなく、洞察もない。面白い薀蓄と素材で紙面を埋めただけ。根拠レスな断言が何箇所かあるせいで、疑似科学に近づいている。
なぜこの品質で書籍化した(販売した)んだろうか。テーマとして「日本語」とか「日本の科学ごいごいすー」とかあると十分に売れると踏んだのか。この選書レーベルは新潮新書レベルになってしまうのか。
【版元】
世界をリードする日本の科学・技術。その卓抜した成果の背景には、「日本語による科学的思考」がある!江戸から明治期、西欧から入る外国語の知を翻訳して取り込み、母国語の知識体系に位置づけなおしてきた歴史に遡り、また多くの科学者たちの証言を手がかりにして、この命題に迫る。そして、本来質の高い日本の科学が直面している問題に対峙、さらなる発展への道を提起する。ユニークな視点から解く、新しい「科学論」。
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480016133/
【簡易目次】
第1章 西欧文明を母国語で取り込んだ日本
第2章 日本人の科学は言葉から
第3章 日本語への翻訳は永遠に続く
第4章 英国文化とネイチャー誌
第5章 日本語は非論理的か?
第6章 日本語の感覚は、世界的発見を導く
第7章 非キリスト教文化や東洋というメリット
第8章 西澤潤一博士と東北大学
第9章 ノーベル・アシスト賞
第10章 だから日本語の科学はおもしろい -
著者の主張を一言でまとめると、日本に優秀な科学者が多いのは、日本の研究者は日本語で考えているからである、となるだろうか。たとえ論文は英語で発表したとしても、思考に用いる言語は母語である日本語である。日本語で思考するということは、欧米とは異なる観点から事象を眺めるということであり、そこから欧米人にはできない考えが生まれ、それが新たな成果に結実する、ということである。
例えば、意見が両極端に割れているとき、キリスト教文化を背負う欧米人は、白か黒か、生命か非生命かと、二分法で結論を出そうとするのに対して、日本人は中間に真理があるという感覚を持つ。それが湯川秀樹の中間子論の背景にある、と著者は考える。
私は著者の主張には概ね賛成である。必要もないのに無暗に英語を使うのは大間違いだと思っている。ただ、この本については、総論概ね賛成、各論には疑問、という感想を持った。
まず、これは著者も認めているが、著者の主張は自分の感覚に基づいたものであり、証明できない。用例の中には随分とこじつけめいているものもあり、「~見える」「~という気がする」などの表現が頻繁に使われ、「自分の妄想」という言葉すら登場する。
また、言語を実利的な面からのみとらえている点に、私は違和感を持った。特定の言語が優勢なのは、その陰で苦渋を強いられている人がいることを意味する。現在英語が優勢なのは、言語そのものの持つ性質とは無関係の、歴史的経緯がある。たとえある言語を使うことが経済的利益につながるとしても、筋として使うべきではない場合があると、私は思う。本書は日本語と科学が主題なのだから、目くじらをたてるべきではないのかもしれないが、文系人間である私は、やはりそこにはこだわりたい。この本のタイトルは「日本語の科学が世界を変える」だが、これは世界をどのように変えるべきかと密接に関わる問題だと思うからである。
最後に本書は、、話が進むにつれて、日本語の問題から逸脱していってしまった気がする。特に「西澤潤一博士と東北大学」以下の3章は、理系の知識が乏しい私には理解が難しく、読んでいて苦痛であり、また、さして言語の問題と関係があるとは思えなかった。
本書は、西欧文明を日本語で取り入れてきた過程を論ずる最初の2章は非常に有益であり、また興味深く読めはしたが、全体としては、私には、高く評価できる本ではなかった。 -
£7.50
新品同様
【定価:1,500円(税抜)】 -
私立大学の国語の入試問題に採用されており、それを読んだ時に具体的な根拠となるところを知りたいと思い読んだ。残念なことに具体的なことは述べられていなかった。
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日本語を書いて考えるということの意味について、自分も実践を通じて考えなければならないことが多い。
そんな中で、色々なことを考えさせられる本。
日本語を中心に思考し・科学しながら、英語との差異を意識してリバレッジを効かせるというのがあるべき姿なのだと思う。 -
母語とする言葉によって、その人の感じ得る領域が変化することが違うことで、いくら主観性を排除しているとは言え、科学の文面にもその違いが反映されるのは、ごく自然でとても面白い。
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サイエンス
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科学雑誌のベテランライターが、自らの経験にもとづいて所感を述べたもの。本のタイトルは大きく出すぎ。言いたいことには共感する。ただ、その根拠となるものを期待して読んだが、それは見つからなかった。これは著者の本意ではないだろうが、「日本すごいですね」本の「科学研究」版と捉えられかねない感じがある。