「日本型学校主義」を超えて: 「教育改革」を問い直す (筑摩選書 125)
- 筑摩書房 (2015年12月14日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480016317
作品紹介・あらすじ
18歳選挙権、いじめ問題、学力低下など激変する教育環境にどう対応すべきか。これまでの改革の功罪を検証し、処方箋を提案する。
感想・レビュー・書評
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教育
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集団内部にこもって、かばい合い、外からの批判を意に介さないような「日本型学校主義」に対する批判。
安易で、過激な物言いが鼻につくし、残念な学校にばかり勤めてたのかなとかわいそうにも思うが、提案している内容を概ね的を射ている。
教師主導の教室と戦前の軍国主義の親和性を指摘したのちに、戦後民主主義が教師主権にとどまっていることを指摘する。政治的に教育内容を支配されてきた教員からすると、教育の自由を取り戻すという点で、民主化しているが、学校において主権者になるべきは、学習者であるということを忘れてはいまいか。学習者とその保護者の意見を学校に取り込むことで、すなわち、学校を開くことで、教師に緊張感が生じ、よりよい学びのために努力をするようになるだろう。
すでに、そうしている学校もあるだろうし、「学習する学校」にも、おそらくそれが書いてあるだろう。だから、特にこの本を読まないといけない訳ではない。
また、『競争社会をこえて』を読み、学びの共同体を学んだ身としては、子ども同士を学びあう関係にするのでなく、競い合う関係にする考え方は、愚かしく思えた。
他に教育関係の本を読んでいない状態で読んだら、ある程度面白く読めるのだと思うし、残念な教育にあたった人がどうして残念だったか考えてみたいという場合は、ぴったりの一冊だと思う。
koboで電子書籍版を読んだ。 -
初教育本。教育についてあまり考えてこなかったけど、経済的豊かさと、教育の水準は比例するのが分かった。
筆者は従来の教育を基本の3つのスキームで定義した。
与える教育、教師本位、集団的一斉主義と。
そこから改革、対立するテーゼとして選ぶ教育、学習者本位、個性尊重となる。
東日本大震災での大川小学校の悲劇は日本型教育の学校主義の典型例と言われる。
教師の支持を待ち、教師は責任をこわがる。確かに何百人の命を預かるということは、相当の責任を背負うことになる。しかし、そこの慎重と思われるシンジョウノの裏に自己保身というエゴが隠れている。
それの逆の奇跡として、釜石のものが書かれている。まさにここでの教師の行動は無責任と思われがちだが、自然災害の前ではそういうのは矮小なものでしかない。
自分の命は自分の責任で守る。誰も助けてはくれない。
そして、教育の在り方の一つとして、家庭の関わり合いがある。つまり、PTAなどの。
だが、そこには大きな障害があり、モンスターペアレントというレッテル貼りが待ってる。
まあ何事も思考停止は必ず良い方には向かわない。