弱いニーチェ ――ニヒリズムからアニマシーへ (筑摩選書 236)

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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480017567

作品紹介・あらすじ

ニーチェの言う「超人」は、弱い人間だった。世界哲学の視点からニーチェを読み直して見えてくる生命力あふれる人間像に混迷の時代を生き抜く新しい力を見出す。

感想・レビュー・書評

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  • 私の問として「(私にとって)抗いようのないニヒリズム」に対してどう受け止めるか、立ち振る舞うか(自分の人生をどう理解するか。)についてヒントがないかと思って読んだ。

    本書では、従来から言われる「(ニーチェが述べる)超人」になることではなく、アニマシーというコンセプトで多重主体性をもった「総合的人間」になることだという。

    総合的人間は、①超越/普遍/共通な自己や価値(神や霊的なもの道徳的価値にもとづくな人格などを含む)に依ることもなく、一方で、②西洋的な個人観/自我観である唯一の個人の視点に限定(?)されない、「あいだ」の状態(様々な価値、現象、経験、矛盾などなど)を、その緊張関係の動的な状態も含めて、あるがままに受け入れる人間とのこと。
    本書では、この主張と東洋思想との一致性を説明しているが、確かに近いと思う(むしろ、著者の読み方が、そこから着想を得ている?)。

    この「多様な見方や経験や価値を、同時に、あるがままに受け入れる」ということは、ニーチェがどうかとは関わらず良い方針(もしくは、それ以上はない)方針だと感じた。
    ただ、読書目的である、私が求めるニヒリズムへの理解の仕方の答えとしては、同時に矛盾した価値や捉え方であってもその動的な状態を含めてという切り口は新規性を感じたが、大きくは新しい発見にはならなかったと感じた
    (そもそも、ニヒリズムの受け入れは悟りを開くようなことにならないと、頭では、すっきり理解し得ないということだろうとは思う)

    おそらく、総合的人間とは「自然(語弊あるやもだが)をそのままに受け入れている人間」ではないかと理解した。多重的というコンセプトは欠けるがローティのリベラルアイロニストにもやや近いと思う。

    また、全体の論旨は、①と②の二項対立を脱構築して、間である③の価値を提示していると読んだ(その提案の構造は自然に読めた)。
    なお、全体にニーチェの文書の読み方もデリタのエクリチュール的な感覚なのか大胆な読み方をしている印象(ところどころ従来の否定と断言調がついていけなかった)。
    それがゆえに、本書全体に感じたことは、ニーチェ解説として構成されているが、実質著者のアイデアであるアニマシーというコンセプトの提案を中心に、ニーチェや東洋哲学でも同様なことをいっているという構成でかいてもらったほうが素直に受け止められたように感じた(ただ、これが、この著者の提案だと最初からいわれると、おそらく読まなかった、もし手にとっても途中で投げ出していたかもというのは確かにそうなのだが。。。)。

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著者プロフィール

小倉 紀蔵(おぐら・きぞう):1959年生まれ。京都大学教授。専門は東アジア哲学。東京大学文学部ドイツ文学科卒業、韓国ソウル大学校哲学科大学院東洋哲学専攻博士課程単位取得退学。著書に『心で知る、韓国』(岩波現代文庫)、『韓国は一個の哲学である』(講談社学術文庫)、『朝鮮思想全史』『新しい論語』『京都思想逍遥』(以上、ちくま新書)、『弱いニーチェ』(筑摩選書)などがある。

「2023年 『韓くに文化ノオト』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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