- Amazon.co.jp ・本 (301ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480071637
作品紹介・あらすじ
東条英機、石原莞爾、山本五十六ら、戦争を指導した帝国陸海軍の軍人たちの実像を最新研究をもとに描きなおし、その功罪を検証する。
感想・レビュー・書評
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戦前の「昭和史講義」シリーズで最後に読んだ。
3巻の「リーダーを通して見る戦争への道」では、政治家が取り扱われているわけだが、なんだかなにをしたいのかわからない人が多い。なんでそうなるかというと、軍部をガバナンスできない、あるいは軍部を動かすために本心とは違うことを言ってみたりするからだ。
という状態で、戦前日本を動かしているのは、やっぱ政治家というより、軍部ということなのかなと思って、こちらを読んでみた。
たしかに軍人のほうが、なにを考えていたのか、なぜそういう判断、行動をしたのかはわかりやすい。(一部、とても政治的に動いている人もいて、政治家同様、本心がわからない人もいるが。。。)
一般的なイメージとして、
・海軍は世界情勢をよく理解していて、日米戦争に反対していた
・世界情勢をしらない陸軍が、暴走して戦争に突き進んだ
という感じがある。
しかし、実際には、
・陸軍もトップクラスの人たちは欧米経験があって、世界情勢、これからの戦争は総力戦であることに問題意識をもっている
・陸軍の関心はもっぱら中国、ソ連、そして南方であって、アメリカとの戦争は海軍の仕事
・なので、海軍がやると言わない限り、アメリカとの戦争はできない
・で、実際、対米戦争に向かっていたのには、海軍側のリーダーシップ?があった
ということのようだ。。。。
エリート軍人たちもそれぞれのプロフィールを読めば、極めて優秀な人々(戦前の日本では軍隊の位置付けが高いので、社会の最優秀な人々の相当の割合、とくに経済的に学校にいくことができない優秀な人たちは士官学校にいく)が、集団になるとプアな結論を生み出すというグループシンクに陥っているということがわかる。
そして、政治家が軍隊のからのプレッシャーのなかで、判断をするように、軍人たちも自組織の中の政治的なパワーポリティクス、そして「大衆」からの圧力、支援のなかで判断しているのだ。
つまり、たどっていくと、大衆のポピュリズム的な動きが、日本の軍人、政治家を突き動かしており、そしてそのエリート集団内でのパワーポリティクスのなかで、だれもが望まない日米開戦になだれ込んでいったということのようだ。
と、なかなかにヘビーな話しなのだが、なかには人間的にも、知性的にも素晴らしい人はいて、陸軍でいえば、今村均、海軍では、堀悌吉。こうした人々が、もししかるべきポジションにいれば、と考えたくなるが、彼らが傍流においやられるような構造、歴史の流れの必然があったわけなので、この「もしも」を考えてもしかたのないことなのかもしれない。 -
帝国陸海軍の主要な14人の将官を扱ったもの。紀伝体的に個別人物に着目しているわけだが、中身は玉石混淆。編年体では無いので全体像は掴みにくくなるが、それはシリーズ全体で縦糸横糸の関係にあると思う。但し、紀伝体らしく、その人の個性・経歴・思想などに切り込めている章が全てではなく、残念ながら星4とした。
読後感としては、個別人物が好きかどうかは別として、梅津、鈴木貞一、武藤、牟田口、今村、永野、石川、堀が面白かった。山本が自分の中ではダントツに詰まらなかった。
特に、海軍の指導者として名前はよく見るが全く知らなかった永野は更に知らなければと思った。リーダーシップなき組織の典型。堀悌吉の項では、とてつもなく有為な人材が末次・加藤のような怪物・俗物の策謀で排除されるわけだが、悪貨が良貨を駆逐する典型例で、いつの時代も気をつける必要がある。 -
重要な局面で鍵を握っていたとされる14人の軍人の最新研究ということらしい。一人ひとりの行動や背景を掘り下げたところで「木を見て森を見ず」ってことに陥りやすいかも。そこは読者のリテラシーに委ねられるのだろうけど。
どうしても各々はちゃんと考えていたし、それなりに評価できるという方向に引きずられそうで気持ちが悪い。
それでも牟田口司令官は全面的に非難されることになる。一番の問題は、そんな牟田口を司令官にした体制であり、しかもインパール作戦の責任も問わなかった軍のシステムなんだけどな。 -
14人の軍人を題材に、対象人物にもよるが「悪玉論・善玉論のどちらに与することもなく」(武藤章の章)研究者が冷静に書いた、しかも新書は本当に貴重。
否定的に見られる一面にも彼らなりの論理はあった、ただし「狂信」(牟田口廉也)や「鬼才による悲劇」(石原莞爾)の責任は逃れ得ないが、という記述が少なくない。武藤章の「対支一撃論」は単純な好戦感情ではなく、開戦初期に大規模攻勢を行うことで短期終結させるというもの(後世のshock and awe?)、梅津美治郎や阿南維幾の戦争継続論はスムーズな終戦や部内統制のため、など。牟田口廉也すらも、さすがに肯定的な記述ではないが、それでも彼の「必勝の信念」は当時の日本軍で最高の価値理念だったとしている。
複数の人物の章を通じ、日中戦争拡大、対米開戦前、終戦直前それぞれの過程で、読み間違い(当時の軍人のほとんどが南部仏印進駐で米があれほど強硬に出るとは予想していなかった、とある)や優柔不断などのために道がどんどん狭くなる中で右往左往していた様子が分かる。
なお、武藤章は日中戦争開戦後に大陸勤務を経て中国大衆への認識を改め、日中戦争拡大論を反省したという。また米国の先進性に驚いた2ヶ月の在米経験が日米非戦の根底にあったことも指摘されている。相手国を知ることは本当に重要だ。しかし永野修身はハーバード大に留学経験があっても、対米開戦については何とも優柔不断なのだが。 -
東2法経図・6F開架 B1/7/1341/K
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210.7||Ts